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白い表紙

書籍名

大日本古文書 家わけ第十六 島津家文書之六

判型など

418ページ、A5判

言語

日本語

発行年月日

2019年4月19日

ISBN コード

978-4-13-091146-7

出版社

東京大学出版会

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『大日本古文書』のシリーズで発刊されている多種の史料集のうち、「島津家文書」は、東京大学史料編纂所所蔵の旧薩摩藩主島津家に伝来した文書群で、武家文書の白眉として国宝に指定されている。本冊 (島津家文書之六) は、「御文書」と外題が付けられた巻子のうち、「家久公十二 巻十七」から「家久公二十七 巻三十二」までの二十五巻の翻刻である。時代的には、江戸幕府成立後まもなくの慶長十三年から三代将軍徳川家光の治世の寛永十四年までの文書が収録されている。江戸幕府初代将軍である徳川家康は、わずか二年で将軍職を子の秀忠に譲り、自身は大御所として駿府城を建設して移り住んだ。しかし、権力はなお家康の掌握するところで、本冊では、家康が、側近の本多正純・山口直友らを使って、島津氏に様々な指示を出していることが知られる。たとえば、駿府に移った家康は、見舞いに駿府に参上しようとする島津家久に対し、駿府に来ることは指示があるまで無用と命じている。こうした具体的なことがわかるのが、文書研究の醍醐味である。慶長十九年九月二十三日には、大坂城の豊臣秀頼家臣大野治長から、家康と対決することにしたので、秀頼様のため是非上洛して味方してほしい、という書状が届いている。この巻子に収められた他の書状はおおむね原本であるのに対し、この書状は写しである。島津氏は、治長の書状の内容を家康に報告し、その際、この文書の原本も家康に提出したものだろう。写しのみが残る史料も、それによって受け取った者の行動を推測することができるのである。元和二年八月八日付けの江戸幕府年寄連署奉書は、二代将軍秀忠が、父家康死後の対外関係の方針を示した文書として重要である。これは、ポルトガル船・イギリス船の薩摩藩領内への着岸を禁じ、長崎・平戸に回航させるよう命じている。ところが、唐船に関しては、キリスト教に関係ないので領内着岸も商売も許している。貿易統制の文脈で語られることが一般的な外国船への対処が、実はキリスト教と密接な関係があることを示していることがわかる。このように、本冊に収められた369通の文書は、江戸時代初期の幕府と幕藩関係を研究する上で不可欠のものである。
 
 

(紹介文執筆者: 史料編纂所 教授 山本 博文 / 2020)

本の目次

〔御文書 家久公十二・二十二通 巻十七〕
~〔御文書 家久公二十七・二十一通 巻三十二〕

関連情報

書籍紹介:
刊行物紹介 担当者 山本博文・松澤克行 (『東京大学史料編纂所報』第54号p.49-52)
https://www.hi.u-tokyo.ac.jp/publication/syoho/54/pub_komonjo-iewake-16-05/
 
関連情報:
「東京大学史料編纂所所蔵島津家文書の情報化」
I 島津家文書の概要 山本 博文: 東京大学史料編纂所 (文部省科学研究費補助金重点領域研究「沖縄の歴史情報研究」総括班研究成果報告書 1998年8月1日)
http://www.tulips.tsukuba.ac.jp/limedio/dlam/B95/B952215/1/vol02/pdf/3401.pdf

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