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しめ縄が巻かれた神木、モノクロ写真

書籍名

ポップ・スピリチュアリティ メディア化された宗教性

著者名

堀江 宗正

判型など

322ページ、四六判、上製

言語

日本語

発行年月日

2019年11月19日

ISBN コード

9784000613729

出版社

岩波書店

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ポップ・スピリチュアリティ

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本書の主題はスピリチュアリティである。ここではひとまずスピリチュアリティを ”宗教文化的資源の表象や使用で、教団「宗教」の外で個人的に受容されているもの“ と定義しておく (詳しい用法と定義は第1章を参照)。日本では2000年代以降に、英語の「spiritual」に由来する「スピリチュアル」という言葉が、形容詞ではなく文化的ジャンルを指す名詞として使われてきた。
 
しかし日本では1970年代あたりに、組織「宗教」の外で個人主義的な宗教文化的資源の消費が盛んになり始めた。それは、オカルト、精神世界、ニューエイジなどと呼ばれてきた。1995年にオウム真理教地下鉄サリン事件が起こると、こうしたジャンルの本や思想家がオウム真理教に影響を与えていたことが明らかになった。事件のあおりを受けて、そうした消費の動きは批判に晒され、一時期は下火になるかと思われた。そのようなときに、2000年代に入って、テレビや書籍にうながされる形で「スピリチュアル・ブーム」が起こる。そのピークはだいたい2007年あたりで、「スピリチュアル・カウンセラー」と名乗っていた江原啓之がテレビによく出演した時期である。そのブームは、彼が批判のせいでメディア出演をやめた後に、衰退したと思われている。しかし、実際にはテレビに、スピリチュアルなコンテンツが出なくなっただけである。出版やネット上の動向を見ると、2011年の東日本大震災以後にも、スピリチュアリティに関連する事柄への関心は盛り上がりを見せている (図1-2、図9-2) 。インターネット、SNSなど、従来とは異なるメディアを通じて、スピリチュアリティの拡散と深化は続いている。それは、人々自身がメディアとなってコミュニケーションし合うようになったという新しい状況に根ざしている。
 
同時に、インターネットは激しい論争が繰り広げられる場所でもある。「スピリチュアル」は、「虚偽・詐欺・軽信」を含意する言葉としてとらえられるようになり、それゆえ当事者はこの言葉を使用するのを避けるようになっている。その結果、組織的な宗教との関係はないが、広い意味で宗教的なものと関わりを持つ現象を指す適切な用語がない、というのが現在の日本の状況である。
 
他方、小さな「ブーム」は、あまりにも頻繁に起こっている。たとえば占いはオカルトや近代魔術との関連を深めつつ、インターネット上でのサービスを広げている。2000年代の後半から、何度か「占いブームが起こっているのではないか」とささやかれてきた。2011年の東日本大震災後、パワースポット・ブームは、「聖地ブーム」、「神社ブーム」、そして最終的に「御朱印ブーム」へと衣替えをすることによって命脈を保っている。こうして近年では、既成宗教である神道が個人主義的な現代人にアピールし始めている。仏教でも、新しい動きがある。ユニークな僧侶の活動に関心が集まり、とくに東日本大震災以後は仏教者のスピリチュアル・ケアへの取り組みも盛んになってきた。だが、どの分野の関係者も、やっていることは昔からそう変わらず、メディアの側が目新しい部分に光を当てたにすぎないと見ている。おそらく、宗教文化的資源への個人主義的関心を総称する言葉がないために、小さな「ブーム」が次々に起きているという認識が出来上がってしまうのではないか。
 
当事者も、自分たちをアイデンティファイする包括的な用語をあえて求めていない。『スピリチュアリティのゆくえ』(岩波書店、2011年) では、「スピリチュアル」なものに関心を持ちながら、それを周囲の人間に隠そうとする若者を、インタビュー調査という形で追った。彼らには、自らの関心を仲間に話すとひかれるのではないかという恐れがあった。実際にクラスメイトからのいじめを体験した少年もインタビュイーの中にいた。一方、スピリチュアルな事柄については男女の間に関心のギャップがあり、多くの女性が男性からの批判にさらされている (第5章参照) 。スピリチュアリティへの関心の拡散と深化は静かに続いているが、世間からの承認不足による閉塞感も漂っている。
 
私は、インタビュー調査などにおいては、インタビュイーが嫌うようなラベリングを避けるという方針で臨んでいる。彼らは特に「宗教」信者と同一視されることを恐れるが、最近では「スピリチュアル」と呼ばれることにも警戒している。しかし、宗教集団に属さずに宗教的なものに関心を持つ人々、および彼らが生み出す現象を総称する言葉は必要だ。それなしでは、歴史的な変化や国による違いを論じることが難しくなる。幸い、英語圏ではこれらの現象を指すニュートラルな概念として「スピリチュアリティ」が用いられている。また、それに関する学問的議論の蓄積もある。さらに、この言葉は日本では一般に用いられていないため、スティグマを付与する効果をも持たない。したがって、「スピリチュアリティ」という言葉は他の流行語よりも、宗教集団外の宗教現象を中立的に記述するのに適しているだけでなく、比較宗教文化の観点から分析するのにも適している。
 
本書のタイトルは「ポップ・スピリチュアリティ」だが、この場合の「ポップ」には、軽薄とか浅薄などといった侮蔑的なニュアンスは込められていない。「ポップ」は英語の「ポピュラー」の省略だが、この言葉は「人々」を指す「ピープル」の形容詞形に当たる。つまり、ポップ・スピリチュアリティとは、「人々のスピリチュアリティ」であり、宗教研究でなじみのある言葉を用いるなら「民俗的スピリチュアリティ」と呼んでもよいだろう。
 
また、「ポピュラー」には「人気がある (多数の人に共有され、享受されている) 」という意味もある。ポップ・スピリチュアリティと似た言葉としては「ポップ心理学」がある。これは、アカデミックな心理学よりも多くの人々にとって理解しやすくて実践しやすい心理学を指す。つまり、人々に受け入れられるかどうか、よく売れるかどうかというテストをパスして、世間に流布するに至った心理学的知識を指す。
 
同じようなことがスピリチュアリティについても言える。この分野は西洋の心理学やセラピーとの関係が深く、現代日本のスピリチュアリティは西洋心理学のスピリチュアルな側面を輸入してきたとも言える。だが、人々は、そのすべてを受け入れるのではなく、分かりやすく取り入れやすいものを受け入れる傾向がある。その結果、「ポップ」なものが普及する。彼らは、宗教についても心理学や医学などの知識についても、ある程度は知っているが、それらを全面的に支持するわけではない。心や魂の問題を理解して解決するために有用なものは使うというプラグマティックな態度を持っている。「ポップ・スピリチュアリティ」とは、人々 (ピープル) のためのスピリチュアリティであり、理解しやすく、実践しやすく、人気 (ポピュラリティ) があるかどうかという基準によって選別されたスピリチュアリティであり、ソーシャルメディア上で人々自身がメディアとなって流通させてゆくスピリチュアリティである。本書はそのような「ポップ・スピリチュアリティ」の、21世紀に入ってからの重要な動向を記述するものである。
 
この本のもととなったのは、出版前の約10年の間に筆者が書いてきた論文である。第1章と第2章は「スピリチュアリティ」概念の総説に当たるものだが、それ以外は独立した章として読むことができる。第3章、第4章、第5章は2000年代に日本のスピリチュアリティを牽引した江原啓之に焦点を当てている。彼は、英国スピリチュアリズムのアイディアや実践を日常的に応用可能な「スピリチュアル」として提示し、人々の間に広めた。人々がどのような点に魅力を感じたのか、それがどのようなメディア環境において可能となったのか、またどのようにして排除されたのかを、これら3つの章は跡づけている。したがって、これらの章は単なる事例研究ではなく、メディア研究の視点からスピリチュアリティをとらえ返したものと言える。
 
第6章では、現代のスピリチュアリティの標準的な死生観となりつつある輪廻転生と前世療法を取り上げる。第7章と第8章は、スピリチュアリティ現象のなかでも現代日本でもっとも目立っているパワースポットをテーマとした。これらの章の特徴は、歴史的記述やフィールドワークを交えつつも、インターネット上の体験談や投稿を主な対象として分析しているということである。それによって、当事者の体験や内面がどのような一般的特徴を持っているのかを分析した。
 
最後の第9章は厳密にはスピリチュアリティ研究というより、サブカルチャー研究に近い。テレビアニメの分析を中心として、その中に含まれる魔術への関心を浮き彫りにしたものである。宗教学と関連のある特定の用語 (専門用語、固有名) が、様々な物語作品のなかで繰り返し取り上げられ、そのなかでも読者やオーディエンスに人気があるものが生き残る。日本では、クリエイター向けの事典や、ウィキペディアがそれらの意味や特徴を解説することで標準化される。以上のような用語の選択の過程がサブカルチャーの形成につながっている。それは、現実の宗教から独立したフィクション的な宗教世界とも言える。このような過程は本書以前には十分に研究されていなかった。この章は、スピリチュアリティ研究から離れたサブカルチャー研究のように見えるかもしれない。しかしながら、本書でそれまで取り上げてきたポップ・スピリチュアリティ現象とサブカルチャーとの共通点は多い。それは、 (1) 宗教文化的資源の折衷的な摂取、(2) 共同体や宗教団体ではなく、メディアを通じての個人主義的な受容、(3) 受容者は自分たちのコミットメントを「宗教」と思っていないこと、(4) 受容者自身が宗教的知識を選別することで、日々ヴァーチュアルな宗教文化的資源のデータベースを更新し続けていること、(5) SNS上で報告や感想を投稿する受容者自身が他のユーザーにとってのメディア・コンテンツとなっていること、などである。
 
「メディア化された宗教性」という本書の副題は、以上の特徴を表したものである。この場合の宗教性とは、当事者が「宗教」と呼ばないが宗教的であるようなものを指す。しかし、その先駆形態は歴史のなかで「宗教」と呼ばれたり、その類似する現象が他文化では「宗教」と呼ばれたりすることが多い。
 
宗教はもともとメディアであり続けた。とくに近代以降の宗教は、書物を通じて同一の内容の教えを共有し、伝えるメディアになろうとした。また信者になることは、布教を通して自分自身がメディアになることであった。これらすべては、同一の意味内容を保持する書物をモデルとしている。だが、聖書も経典も、口頭伝承や対話を文字に書き起こしたものである。そこから立ち上がって、抽象的な概念や教義を作り上げてきたのが「宗教」である。宗教は、神話、伝説、師弟間の対話などを含むもっと大きな人類の物語の歴史のなかでは、高度に形而上学的構築物である。スピリチュアリティ領域では、多くの人々が「宗教」を形骸化したものとしてとらえ、よりダイナミックなスピリチュアルな信念や実践に価値を見出そうと試みてきた。そのような人々が日々に更新し続けている「ポップ・スピリチュアリティ」の世界は、現代的な現象ではあるが、むしろ文字以前の、つまり「宗教」以前の人々の精神生活の有様に近いものであるかもしれない。
 
一方、日本では、「宗教」であれ、「スピリチュアル」であれ、非世俗的なものへの賛否を明確にするよう迫る雰囲気がある。筆者はスピリチュアリティの研究者ではあるが、その味方でもなければ敵でもない。本書の基本的姿勢は、まずきちんと調べてみて、その素材を整理または分析し、宗教心理学や宗教社会学の観点から理解し、説明するというものである。このような本は、実は意外に少ない。宗教やスピリチュアリティについて公的に語ることを、本書が容易にするのに役立つのであれば、著者としては幸いである。
 

(紹介文執筆者: 人文社会系研究科・文学部 教授 堀江 宗正 / 2022)

本の目次

はじめに
 
第一章 スピリチュアリティとは何か ―― 概念とその定義
 1 「スピリチュアリティ」の意味と定義
 2 英語の心理学の学術文献における定義
 3 日本における出版の動向 ―― 死者の重要性
 
第二章 二〇〇〇年以後の日本におけるスピリチュアリティ言説
 1 オウム事件、反カルト的雰囲気、意識変容への懸念
 2 ポテンシャルからトラウマへ
 3 癒しの時代
 4 ポピュラーなブームとしての癒し
 5 片仮名のスピリチュアリティと「霊」の排除
 6 マス・メディアにおける「スピリチュアル」
 7 根強い「霊」への関心
 8 日本人の無宗教の宗教性
 9 スピリチュアリティのゆくえ
 
第三章 メディアのなかのスピリチュアル ―― 江原啓之ブームとは何だったのか
 1 スピリチュアルという言葉と江原啓之
 2 霊能者からスピリチュアル・カウンセラーへ
 3 テレビ番組の相談事例から ―― スピリチュアル・カウンセリングの構造
 4 江原の思想の特徴 ―― 霊的真理の八つの法則
 5 「霊を信じるが無宗教」という層へのアピール
 6 オウム以後のメディア状況 ―― カルトはバッシング,オカルトはブーム
 7 ブームのゆくえ ―― スピリチュアリティ言説の状況から
 
第四章 メディアのなかのカリスマ ―― 江原啓之とメディア環境
 1 初期の雑誌掲載 ―― 占い特集のなかで
 2 単行本の刊行 ―― 霊的真理の教義化の試み
 3 テレビ出演、個人相談の中止、「メディアのなかのカリスマ」の誕生
 4 テレビ「えぐら開運堂」―― カウンセラーとして
 5 テレビ「天国からの手紙」―― ミディアム・ヒーラーとして
 6 テレビ「オーラの泉」―― コメンテーター化
 7 まとめ ―― メディア論との接合
 
第五章 スピリチュアルとそのアンチ ―― 江原番組の受容をめぐって
 1 弁護士たちによる要望書
 2 二七時間テレビ「ハッピー筋斗雲」問題
 3 スピリチュアル番組規制論へ ――『J‐CASTニュース』の批判記事
 4 ネット・ユーザーの反応 ―― 規制論からテレビ批判へ
 5 好意的コメントに見られる江原評価の要因
 6 アンチとファンの対比
 7 「ネンダー」間の論争?
 8 「テレビ」の衰退とスピリチュアルのゆくえ
 
第六章 現代の輪廻転生観 ―― 輪廻する〈私〉の物語
 1 日本における輪廻転生観
 2 現代日本の前世療法の体験談の分析
 3 欧米における輪廻転生
 4 輪廻転生観の近代性
 
第七章 パワースポット現象の歴史
     ―― ニューエイジ的スピリチュアリティから神道的スピリチュアリティへ
 1 一九八〇年代のパワースポット ―― 天河神社の登場
 2 国外のパワースポットへの関心
 3 国内のパワースポットの再発見
 4 神社のパワースポット化
 5 現世利益と真正性
 6 神道的スピリチュアリティとナショナリズム
 
第八章 パワースポット体験の現象学 ―― 現世利益から心理利益へ
 1 パワースポットの効果の類型論 ―― 関連ブログの収集
 2 現世利益と心理利益の関係性
 3 コーエンのツーリストの現象学との比較
 4 大神神社をめぐる重層的な真正性 ―― 神祇信仰・現世利益・自然崇拝
 5 パワーの脱文脈化と一般化
 
第九章 サブカルチャーの魔術師たち―― 宗教学的知識の消費と共有
 1 「魔術」への関心の高まり
 2 インターネットにおける「魔術」―― 内容と関心層の属性
 3 アニメに見るサブカルチャーのなかの魔術
 4 「魔術」に関する知識の操作
 5 研究の意義 ―― サブカルチャー研究と「宗教」研究のあいだで
 
参考文献
あとがき

関連情報

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堀江宗正「メディア史のなかのスピリチュアリティ」 (『福音と世界』 2021年5月号)
https://www.shinkyo-pb.com/magazine/%e7%a6%8f%e9%9f%b3%e3%81%a8%e4%b8%96%e7%95%8c2021%e5%b9%b45%e6%9c%88%e5%8f%b7/

書評:
後藤正英 評 (『宗教哲学研究』38巻 p. 124-128 2021年)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/sprj/38/0/38_124/_article/-char/ja/
 
河西瑛里子・堀江宗正 評 (『宗教と社会』27巻 p. 150-155 2021年)
http://jasrs.org/publication/journal2.html#vol27
 
小池靖 評 (『宗教研究』94巻3輯 p. 104-109 2020年)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/rsjars/94/3/94_104/_pdf
 
酒井順子 評 (『週刊文春』 2020年2月6日号)
 
速水健朗 評「神道、ブームで復権の可能性 速水健朗氏が選ぶ3冊」 (日本経済新聞 (夕刊) 2019年12月12日)
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO53214050R11C19A2BE0P00/
 
著者インタビュー:
「堀江宗正 東京大学教授 現代社会に広がるスピリチュアリティ」 (『読売クオータリー』53巻 p. 134-143 2020年)

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