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書籍名

社会の解読力〈歴史編〉 現在せざるものへの経路

判型など

248ページ、A5判

言語

日本語

発行年月日

2022年3月19日

ISBN コード

9784788517578

出版社

新曜社

出版社URL

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社会の解読力〈歴史編〉

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本書は、東京大学社会学研究室に長年勤務し、大学院人文社会系研究科 / 文学部長も務められた佐藤健二氏の歴史社会学から薫陶を受けた9名の社会学者が、自分たちの研究の現在地を記した論文集である。その中で筆者は、第10章「歴史社会学の作法の凄み―『流言蜚語』について」を執筆した。
 
佐藤社会学の大きな特徴は、先人の知的格闘に対する敬意にあり、先人がどのような背景や知的文脈のもとで資料や現実と向かいあい、知的生産を行ったかを、ほとんど自ら追体験するかごとくに再=現前させてきた点にある。その特徴が顕著に現れているのは、佐藤健二氏の1985年の著作『流言蜚語』第2章「資料の形態を読む」であり、佐藤自身の回顧によると「研究者としての最初の仕事」と位置づけられている。
 
『流言蜚語』の第2章は、元東京大学新聞研究所教授で、社会心理学者の池内一が個人的に収蔵していた流言資料、いわゆる「池内流言資料」の内容と来歴を解き明かしている。池内によると、「私は或事情から今次大戦に於ける、わが國の流言に関する相当まとまった資料を手に入れることが出来た。(中略) その性質上、この種の資料は終戦時大部は火中にされたものと思われる。又、たとえ保存されているとしても、その公表には多くの抵抗があるであろう」とされた。佐藤はこの謎めいた資料の現物を、池内の遺族から借り受けて分析に取り掛かる。
 
その手法の第一は、資料整理の過程で内在的に判明することの推理・確定とともに、資料の大部分を占める特殊な用紙の「裏紙」に着目したものであった。この「裏紙」をつなぎ合わると、海軍技術研究所が見習い工員採用の知能検査・能力検査のテスト用紙として使っていたことが判明した。「裏紙」を用いた分析手法は歴史学における紙背文書の研究に比類しうるものであり、歴史社会学を名乗る研究において、これほどまでに資料の形態にこだわり、多くを引き出した研究は前代未聞であると筆者は評価した。
 
第二に、資料の来歴についての事情を知る人物に対するヒアリングを精力的に行ない、池内が15年戦争末期に海軍技術研究所の応用心理研究の部局に予備士官として勤務し、そこでこの流言資料を入手した事実を確定した。そして池内流言資料の裏紙が、採用適正検査に使われた用紙であった理由を解き明かした。
 
第三に、池内一ら社会心理学者や社会科学者が巻き込まれた、終戦直前の歴史的状況や社会関係を「復元」する作業が行われている。池内が戦争末期に、海軍技研内部の研究員として、宮城音弥、中野好夫、尾高邦雄、清水幾太郎、都留重人、坂西志保、金子武蔵ら、戦後の人文・社会科学を支える有名人と研究会を通して交流していたことが明らかとなる。
 
佐藤自身は、この論文で、次のように述べている。
 
データが「書写」というかたちで、非公式もしくは非制度的に移動したことが、軍では敗戦時におそらくその他の諸文書とともに火中に投じたであろう内容が、今日に残ることになった経緯である。この資料が焼かれずに残ったのは、書写作業にも深く関わった旧蔵者の研究者としての意思に多くを追っているが、他面、直接の作成者・担当者ではない、しかも周辺的な部局に、非公式に移動していたという要素が幸いしていることもつけ加えておかなくてはならない。「残存」はけっして偶然や天恵にのみに帰せられるべきものではなく、構造的な効果の接合をもまた読み取りうる。(佐藤『流言蜚語』75頁)
 
これは、ある資料が偶然、誰かのもとに残されたという事実自体に、ある時代における社会関係の構造が反映されているという社会学的な認識である。佐藤健二の歴史社会学は、資料の探究自体が、これまでの社会学における「質的 / 数量的」という二分法を乗り越えるという方法意識に貫かれたものであり、後世に残されるべき名言であると筆者には思われる。
 
さらに、『流言蜚語』の第2章における探究は、探偵小説やミステリー小説を読むような面白さがある。歴史社会学を志した人なら誰でも、佐藤が行ったような「捜査」と「推理」を実行できるかは定かではない。しかし後続する歴史社会学者は、佐藤社会学における「方法意識」を自らの研究に取り込んでいく作業に関わらざるをえないと、本論文では結論づけている。このように本論文は、佐藤健二氏の歴史社会学が出立する瞬間に立ち返りつつ、佐藤社会学の特質の一端に触れようとした。
 

(紹介文執筆者: 人文社会系研究科・文学部 教授 赤川 学 / 2023)

本の目次

第1章 文書館の政治学
    ――“啓蒙の装置”から“記憶の装置”へ
第2章 トラウマの言説史
    ――近代日本は「心の傷」をいかに理解してきたか
第3章 南ティロルにおけるファシズム / レジスタンスの記憶
    ――解放記念日と凱旋門の顕彰を手がかりとして
第4章 戦争体験と「経験」
    ――語り部のライフヒストリー研究のために
第5章 日本社会論の現在と戦争研究の社会学的可能性
第6章 丸山真男の歴史社会学
    ――遙かなる過去から東アジアの近代を見るとき
第7章 昭和五十年代を探して
第8章 戦前日本における家族社会学前史
    ――『社会学研究室の一〇〇年』を手がかりとして
第9章 コミュニティを統治する
    ――ハウジングの社会調査史
第10章 歴史社会学の作法の凄み
    ――『流言蜚語』について

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