就職活動で、自己分析が求められ、フォーマットに従って回答すると、「あなたは、こういう人間です」と、自己像が示され、それを受け入れることを強要される。さらに、その自己像に沿って、自分のこれまでの人生を振り返り、分析し、自分とはどういう人間なのかを表出せよ、その自己像に疑問を抱いてはならない、と指示される。そして、その自己表出を他者によって評価される。
この社会では常に、自己とは、過去から現在まで、そして未来に渡って、一貫したイメージを結ぶことが前提されている。この自己に疑問を差し挟むことは、許されない。なぜなら、その営みは、自己を自己だと意識させている社会の基本的な枠組み、つまり自分が存在している社会そのものを疑うことだからである。
その結果、自分は自己に囚われとなり、そこから抜け出せなくなってしまう。しかも、近年では、脳科学と人工知能の結合によって、早期発見・個別対応・早期治療による社会への適応が、外部の力つまり社会によって施され、自分は自己であり続け、この社会に適応し続けることを強いられ続ける体制がつくられている。
人々は、この自己を受け入れ、他者によって決められる自己を生きることに慣れてしまう。この社会では、自分を問うことは、苦しいことであり、他者に精神を委ねた虚構の自分を生きることの方が安逸なのである。
しかし、人は本来そのようにはできてはいない。その安逸さの裏には、常に生きづらさと自分の存在の意味への問いが貼り付いていて、自分を苛み続けている。しかも、それはまた、析出された自己像にもとづいて、あなたとはどういう人間なのか、他者とどう違うのか、個性を表出しなさい、というこの社会の強迫とも重なっている。
私たちは、自己に囚われとなり、社会に適応するように強いられ、かつその自己を他者とは異なる存在だと表出することを、社会から強要される矛盾の中にいて、常に過去に囚われとなり、トラウマとして回帰することしかできない即自的な閉塞した循環の中に閉じ込められてしまう。この自己の閉塞的な一貫性の概念が「発達」という虚構である。
自己という虚構がもたらす発達という虚構が、さらに自己という虚構を強化して、私たちに自己に囚われ続けることを強要する。こういう体制が他者つまり社会システムであり制度、すなわち私たちが生きている社会であり、それを強化する装置が学校である。
本書は、このような自分という存在をめぐる自己と発達という二重の虚構を問い返し、私たちがそこから自らを解放する足掛かりをつかもうとする試みである。それはいいかえれば、発達する自己という二重の虚構がつくり出す教育可能性つまり操作可能性という虚構を問い直し、教育とは何かを問い返すことでもある。
(紹介文執筆者: 教育学研究科・教育学部 教授 牧野 篤 / 2022)
本の目次
第1章 〈いま〉の継起としての自己————再帰的ならざる人々の社会
序 問い返される主体
第1節 高齢者の社会参加をとらえ返す
第2節 近代の再帰性と高齢者の発達
第3節 再帰性のほころびと〈主体〉
第4節 〈コミュニケーション〉としての存在
結 〈いま〉の継起としての自己
第2章 発達する自己の論理————近代資本制社会における人格の一般理論
序 近代資本制社会における自己
第1節 商品
第2節 資本
第3節 工場
第4節 拡大再生産
第5節 事後性と対自性
結 一貫した自己の論理
第3章 〈あいだ〉に生成する運動としての自己————対話の贈与によるものづくり
序 生産と自己へのまなざし
第1節 勤勉の解体と自己意識の変容
第2節 自己表現の運動
第3節 個人か、社会か
第4節 言語と貨幣
結 〈ことば〉と贈与
むすび 〈わたし〉に贈与される自己