2017年に私はダニエル・デフォーの作品A Journal of the Plague Year (1722) の新訳『ペストの記憶』(研究社) を発表した。この翻訳に取り掛かったのは2010年だったが、すぐに2011年の東日本大震災と福島第一原子力発電所の事故が発生した。17世紀ロンドンをペストが襲ったときの人びとのパニックと市当局の対応を描く本書は、ポスト3.11を生きねばならない現代日本の人びとにとって他人事とは思えない共感をもって読まれるだろう。少しでも多くの読者に本書を届けるため、デフォーという作家や17世紀ロンドンの地理を知らなくとも無理なくよめるよう訳文を工夫し、ロンドン市内の地図も新たに作成した。
いわば私は、18世紀の古典を現代の文学として甦らせることを試みたのだが (本訳書について、詳しくはUTokyo BiblioPlazaでの紹介文をご参照いただきたい)、そのときはまさか3年後の2020年になって、別の形で本書に関心が寄せられるとは、予想もしていなかった。
新型コロナウイルスの世界的な感染拡大の波は、すぐに日本にも押し寄せてきた。同じような感染症としては、20世紀初頭に「スペイン風邪」と呼ばれるインフルエンザの世界的流行があったものの、ほとんどの人間は当時の記憶をもっていない。未知のウイルスによる未曾有の事態は、市民生活を一変させ、政治経済に大きなインパクトを与えた。2023年も年末を迎え、改めて当時の混乱を振り返ると様々な感慨が湧いてくるが、ワクチンの接種も始まらず、一人ひとりが新しい生活様式を模索している時期、アルベール・カミュの『ペスト』(1947) と同様に注目されたのが、この『ペストの記憶』だった。カミュの『ペスト』が、北アフリカの町をペストが襲うという架空の設定のもと、作者の戦争体験を寓意的に反映させた不条理文学の傑作であるのに対し、デフォーの『ペストの記憶』は、1665年にロンドンでペストが大流行し、多くの死者を出したという実際のできごとを題材に、事実と虚構を織り交ぜて書かれたものである。なので、疫病流行下における人びとの振る舞いには、2020年の私たちとぴったり重なるものも多い。
そのためもあってか、2020年の9月に、NHKの番組『100分de名著』が『ペストの記憶』を取り上げ、私が指南役として出演した。この番組は、思想・文学等の世界的な名著を毎月1冊紹介するもので、タレントの伊集院光氏とアナウンサーの安部みちこ氏が司会を担当している。ちなみに、本番組のために私が作成したテキスト (NHK出版) があり、これもすでにUTokyo BiblioPlazaで紹介した。
今回ご紹介する『名著の話――芭蕉も僕も盛っている』は、『100分de名著』において扱った著作のうち、伊集院氏がもっと議論を深めたいと感じたものを選び、番組とは別に指南役と対話するというものである。本書の前に『名著の話――僕とカフカのひきこもり』(2022) も刊行されていて、こちらではカフカ『変身』、柳田国男『遠野物語』、神谷美恵子『生きがいについて』を取り上げている。
このシリーズの二冊目として2023年に出版された『芭蕉も僕も盛っている』では、松尾芭蕉『おくのほそ道』、コッローディ『ピノッキオの冒険』と共に、デフォーの『ペストの記憶』も選ばれ、伊集院氏と私の対談が収められている。『100分de名著』では十分にお話できなかった、ダニエル・デフォーという人物の矛盾した人格の魅力 (宗教的な情熱と金銭欲・名声欲の共存、フィクション以外にも様々な著作を出していることなど) や、デフォーの著作と近代小説との関係、そしてデフォーのもうひとつの名著『ロビンソン・クルーソー』と『ペストの記憶』との関係などについて、かなり踏み込んだ議論を交わすことができた。
また、『100分de名著』でも扱った『ペストの記憶』の名場面・珍場面について、番組よりも詳しく分析した箇所もあるので、番組を見たり、テキストを読んだりした人には、さらに楽しく読めるのだろう。
伊集院氏は、テキストの読みが確かであるだけでなく、彼自身の実体験に寄せて作品の世界を追体験することが非常に巧みで、文学研究や評論になじみがなくとも、まさに氏のラジオを聴いているような感覚で名著の世界にどっぷり漬かることができる。『ペストの記憶』の悲喜こもごものエピソードと関連して、伊集院氏の集めた「コロナギャグ」の一部も公開されている。『ペストの記憶』以外の章も拝読したが、人間の男の子になったピノッキオが元の自分である木の人形を見たときの感想を、伊集院氏は若いころの自分のラジオを聴き直したときの印象に重ねる。また「あとがき」では、落語の師匠だった六代目三遊亭円楽が亡くなり、脱力感に襲われた伊集院氏が金沢に旅立ち、芭蕉の句碑を見る場面が書かれているが、本文と併せて味わうと胸に込み上げてくるものが感じられる。
単にコロナ禍を振り返るためというより、文学の古典がいかに現代生活で命を得るかを目撃するために、ぜひ読んでほしい一冊である。
(紹介文執筆者: 総合文化研究科・教養学部 教授 武田 将明 / 2023)
本の目次
長谷川櫂 (俳人) ×伊集院光
「古池に」でなく「古池や」なのはなぜ?
芭蕉はどこが革命的だったのか
心の地図と歌枕の廃墟
『おくのほそ道』のフィクション
なぜ松島に芭蕉の句がないのか
虫と夏草にシンクロする俳句
会ったことのない死者の前で
ボーッとするから俳句が生まれる
■ダニエル・デフォー『ペストの記憶』――伝染病のすべてをあらゆる書き方で
武田将明 (英文学者) ×伊集院光
デフォーの細かさ
「コロナの記憶」を残すとしたら?
ペスト禍の笑い話
「見えない」という根本的な不安
帽子を盗んでいく女たち
「死者を捨てる穴」のやりきれなさ
書き手であるH ・F の死
原発事故の記憶
デフォー嫌いの夏目漱石
『ロビンソン・クルーソー』との共通点
どこからでも読める本
■コッローディ『ピノッキオの冒険』――ピノッキオは死にました。でも……
和田忠彦 (イタリア文学者) ×伊集院光
落語のような会話のリズム
わかりやすい善人や悪人は描かない
キツネとネコがあらわすもの
サメの喩え
「母を訪ねて三千里」とピノッキオ
ディズニーの『ピノキオ』から消えたもの
糸のきれたあやつり人形
関連情報
「古池や」の「や」がすごい! 伊集院光が松尾芭蕉らの奥深さに触れる書籍 (お笑いナタリー 2023年3月20日)
https://natalie.mu/owarai/news/517364
「伊集院光が名著と対話するシリーズ第2弾! 深夜ラジオと芭蕉の名句の意外な共通点とは?」 (株式会社KADOKAWA 2023年3月17日)
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000012382.000007006.html
インタビュー:
【伊集院光さんインタビュー】名著を読み進めていったら、あの頃の僕に出会いました (LEE 2023年4月29日)
https://lee.hpplus.jp/column/2608000/