『吾妻鏡』は、日本の中世を知る上では欠かせない歴史書として知られ、注釈書や現代語訳が出版されています。最近では、2022年に放映されたNHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』にも、しばしば『吾妻鏡』の記事をもとに描かれた場面が見受けられました。本書は5講にわたる講義形式で、これらの記事を引用しながらその魅力の一端を読者と共有していくような気持ちで執筆しました。
幕府の公的歴史書とはいえ、『吾妻鏡』の内容は政治・制度の他にも、経済・社会・文化・宗教などの多彩な問題に満ちており、幕府の置かれた都市鎌倉と深く関わって記録されています。また、事実を中心とした記述ばかりではなく、説話や物語を多く盛り込んだ記事が多いことも、この書物の魅力の一つでしょう。
このような様々な切り口の中から、今回は仏教に注目しました。「鎌倉の仏教」というと、法然・親鸞・日蓮らの「鎌倉新仏教」を思い出す人も多いでしょう。それももっともですが、このことばには他にも、鎌倉時代の仏教、そして都市鎌倉の仏教、というニュアンスも含まれています。本書ではとくに都市鎌倉という場に注目して、「鎌倉の仏教」を考えていきます。
『吾妻鏡』は、実際にはモンゴル襲来を経て、幕政が行き詰まりを見せる中で編纂された書物です。そこで、頼朝をめぐる始まりの物語をとくに雄弁に語る面があります。幼年期を都で過ごし、貴族的な信仰を身につけていたこともあり、頼朝の信仰関係の記事は頼朝の個性を際立たせていきました。本書ではこのあたりを、とくに彼の観音信仰に注目して解き明かしています。
ともあれ、こうして幕府がだんだんに統治機構として整備されてくると、幕府の宗教体制が確立していきます。鎌倉でその中枢を占めたのが、鶴岡八幡宮・二階堂永福寺、そして大御堂勝長寿院でした。本書はそれぞれを場として活動した栄西や隆弁を取り上げ、また発掘成果により明らかになった廃寺永福寺の建物の復元成果なども取り入れて説明しています。
鎌倉の町をきらびやかに彩るこれらの大寺院に対して、あらたな仏教の動きは、鎌倉の周囲をめぐる低山に深く入り組んだ谷戸に展開していきます。当時、谷戸の奥は墓所に利用され、多くのやぐらに囲まれた“地獄の風景”が広がっていました。このような鎌倉の、いわば影の部分は、『吾妻鏡』にはほとんど描かれません。そこで本書では、日蓮の目を借りながらこの地で熱心な布教に挑戦していった宗教者たちの群像に迫ります。最後に、宗尊親王将軍記をもって終わっていく『吾妻鏡』を通じて京・鎌倉の関係を考え、その後の時代も見通しながら本書は閉じられます。
本書に取り上げた『吾妻鏡』と都市鎌倉の世界は、ほんの一部にすぎません。これを入り口として過去の鎌倉に思いを馳せ、また現代の鎌倉にも足を運んでみていただきたいと思います。
(紹介文執筆者: 史料編纂所 教授 菊地 大樹 / 2023)
本の目次
ガイダンス
第一講 源頼朝の信仰と天下草創
1 祈りとともに始まる時代
2 政治文化装置としての寺院と幕府
3 持経者としての源頼朝
第二講 個人の信仰から都市鎌倉の宗教へ
1 源頼朝の観音信仰
2 鶴岡八幡宮の成立
3 故実を語る場
4 頼朝将軍記の掉尾
第三講 都市鎌倉と天台宗勢力
1 永福寺の創建と意義
2 栄西の位置づけ
3 鶴岡八幡宮の発展
4 鎌倉の仏教と寺門派の再評価
第四講 日蓮が見た都市鎌倉
1 『吾妻鏡』が描かない鎌倉の仏教
2 中世社会の枠組みから鎌倉の仏教を考える
3 鎌倉の専修念仏と日蓮
第五講 京と鎌倉、そして鎌倉仏教
1 鎌倉幕府と朝廷
2 後嵯峨院政と執権政治の展開
3 『吾妻鏡』後の鎌倉
閉講の辞
関連情報
>第1回「『吾妻鏡』と鎌倉仏教」 (法華コモンズ 2017年10月21日)
>第2回「源頼朝の時代と法華信仰」 (法華コモンズ 2017年11月18日)
>第3回「鎌倉武士と仏教」 (法華コモンズ 2017年12月16日)
>第4回「都市鎌倉と天台宗」 (法華コモンズ 2018年1月20日)
>第5回「都市鎌倉と日蓮」 (法華コモンズ 2018年2月17日)
>第6回「京と鎌倉、そして鎌倉仏教」 (法華コモンズ 2018年3月17日)
その他関連講座:
日本の歴史と文化「吾妻鏡で読み解く鎌倉仏教の役割――「鎌倉の仏教」の視点から」 (早稲田大学エクステンションセンター 2023年10月20日~12月15日[全6回])
https://www.wuext.waseda.jp/course/detail/60524/