2025年 藤井総長年頭挨拶
明けましておめでとうございます。
昨年は、みなさんもご存じの通り、国立大学法人化の時点から約20年間据え置かれてきた本学の授業料の改定を決めました。東京大学が未来の社会に向けて創造的な役割を果たし、魅力を高めていくためにも、教育研究環境を継続的に改善することが待ったなしであったからです。このプロセスにおいて教職員や学生のみなさんにはさまざまなご意見をいただき、またいろいろとお世話になり、ありがとうございました。年末には、学生の個別事情に配慮した対応を丁寧に行っていくことなどについて、それぞれの部局のみなさんと直接に懇談する機会も持ちました。
そこでも触れることがありましたが、多様な研究の裾野の広さは、東京大学のきわめて大切な財産です。次世代の研究者が独立して自由な発想で個性的な研究を進めていく環境を担保するためにも、大学が長期的に自由に裁量できる基金、すなわちエンダウメントを増やしていく必要があります。イノベーションが強く求められる昨今ですが、優れた基礎研究がなければイノベーションも生まれません。UTokyo Compassが掲げる「新しい大学モデル」の要(かなめ)も、大学という場における教育・研究活動が思いのまま行えること、その自在性の確保にあります。創造的で公共的な成果が絶えることなく生みだされ、世界のさまざまな人びとのために役立つ。そのようなイノベーションの実現を支える財政基盤の強化は重要だと考えています。そうした中でいま国際卓越研究大学への申請に向けて準備を進めています。
新年ですので、このような方向性の背景にある私の問題意識について、今日は改めてお話ししたいと思います。
昨年のノーベル平和賞を、長年にわたり被爆体験を広く粘り強く発信し核兵器の悲惨さを世界中に訴え続けてきた日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)が受賞しました。ヒロシマ・ナガサキ以降、罪の無い多くの市民が一瞬で殺戮される核反応を利用した兵器の威力や残虐性は忘れられ、ともすれば置き去りにされてきました。そうしたなかで、被爆者のみなさんが体験の悲惨さを語り、世代を越えて伝えてこられたことに、心からの敬意を表します。と同時に、「核兵器のない世界」の実現に向けて、大学が果たすべき役割や責任は決して小さくないとも思います。これは核の保有や非保有に関わらず、すべての国々が理想において合意できる国際的なルールを創りだす、まさに未来社会のデザインの問題でもあるからです。
いま国際情勢に目を向ければ、ウクライナやパレスチナ/イスラエルをめぐる戦禍が、残念ながら継続ないし拡大しています。両地域合わせて、すでに数十万人の命が失われ、さらに多くの命が危険にさらされ続けています。対立する当事者だけでは対話の糸口すらつくりだせず、国単位で分断されがちな政治家や外交官だけに任せて解決する問題でもありません。一方で、紛争の終息に向けて大学が果たしうる貢献はかなり限定的です。解決のためにはそれぞれの紛争の原因や詳細を知る必要があり、まさにそこに大学の役割もあるのですが、その解明への努力も認識の共有も十分とはいえません。
パレスチナ/イスラエルの対立は、衝突が暴力化してからすでに1世紀以上続いており、ヨーロッパの歴史もそこに深く関わっています。ロシア・ウクライナ戦争についても、ソ連解体や冷戦の「戦後処理」の諸問題から考える必要があります。とはいえ、いずれの紛争も人間が引き起こしたものです。さらにいえば、遠く離れた地域で起こった紛争であっても、食料やエネルギーの価格上昇や人の移動に伴う軋轢など、連鎖的な悪影響はグローバルに広がっていきます。それはまた別の地域での紛争発生の契機になってしまう危険をはらんでいます。
このように見れば、世界平和もまた、グローバルな公共財である、といえそうです。
つまり、各地の紛争問題には、ちょうど地球環境という公共財の観点からすでに国際的に取り組まれている気候変動問題と、同じように取り組む必要があるともいえます。国際社会としての関与が必須であるだけでなく、まさに、直接の利害関係を超えて学知に基づいて公正な議論ができる大学こそが、積極的に関与すべき規模や性質を有しています。国際政治において国の単位での分断の傾向が強まるなかで、いかにグローバルに手を取り合っていくことができるのかが問われています。多様性、公平性、包摂性に留意しながらこうした問題に取り組む人材を育てることは、まさに本学が取り組むべき課題です。こうした重要課題に取り組もうとする学生を後押しし、世界が抱えている課題をより深く詳細に知る機会を提供し、学生が自らの学びを主体的にデザインするような枠組みを整備することがカギとなるでしょう。そのためには、さまざまな局面で、教員と職員の知恵の結集が必要です。
かつて新たな方向性として強調された「学際研究」という言葉には、文系と理系、基礎と応用など、独立した専門領域の明確な境界線を前提としつつ、その境目を越えて連携するという意味合いが強かったと思います。しかしながら、学術の最先端においては、このような形での学際研究の時代は終わりを迎え、さらに一歩進んだ新しい段階へと移行しています。
その変化を象徴する出来事の一つが、昨年のノーベル物理学賞、そして化学賞でした。ノーベル物理学賞は、物理学の知見を活用して人工知能の基礎を構築した情報科学分野の研究に授与されました。一方で、ノーベル化学賞は、その人工知能を用いて、タンパク質の立体構造についての高精度の予測を実現した研究者たちに贈られました。タンパク質の立体構造の予測や決定は生命科学、ひいては創薬や病気の原因解明にとって大変重要なのですが、これまでの実験や解析技術では一つの構造を決定するのに数年かかることもあり、科学の偉大なチャレンジの一つとされてきました。それが今回の技術により、計算環境にもよりますが、早いものではたった数分で高精度の構造予測を行うことが可能となったわけです。多様な学問が融合し、基礎研究と応用研究という従来の境界が完全に消失する場において、まさに学術上の新たな、そして大きな飛躍が生まれ、多くの分野の科学者たちの取り組みが、意図しなかった拡がりで結びついていく、ということが明白になった瞬間でした。
こうした学問の新たな展開は、社会、文化、自然、人工物、そして情報を扱うすべての学術分野において、分野間の境界を意識しない基礎教育の重要性を強く示唆しています。学び方や研究の仕方それ自体が、変わりつつある時代となっていることを、本学も強く意識する必要があります。
最近10年間の人工知能の発展は著しく、技術の未来を予測することは簡単ではありません。それでも、国際的に卓越した人材を輩出し続けるには、人間と社会、そして地球の未来をしっかりと見すえた高等教育をつくりあげていく必要があります。情報ツールの利便だけでなく、教育そのものに関する視点の転換が求められます。東京大学として、高い理想と強い意欲をもつ多様な学生が、この大学でなにを学ぶかを自在にデザインできる、そのような時代に向けて、われわれがどんな大学をつくりあげるかが問われています。
日本の大学は戦後の長い間、高校を卒業したばかりの若者を同じメニューで効率よく教育し、定められた年限で卒業させ、卒業生は卒業と同時に就職することで、経済成長にも一定の役割を果たしてきました。このように、仕事や教育を供給する側、すなわちサプライサイドからみた効率と量的な要求を満たすやり方は、高度経済成長を支える上で有効なものだったと言えるでしょう。しかしながら複雑化して低成長の時代となり、一人ひとりの多様な学びや柔軟なキャリアこそが新たな活力を生み出す、という現在の社会においては、この標準型の大学教育だけで、個々の学習者の期待に十分に応えることは難しいと言わざるを得ません。
さまざまな分野で人工知能が人間の能力を超え始めたいま、エネルギーや資源が使い放題ではなくなったいま、そして、COVID-19のパンデミックや気候変動のようなグローバルな危機に共同で対処しなければならなくなったいま、未来にどのような人材が必要とされているのかを、すべての学問分野において真剣に議論する必要があります。学生たちに一つの専門分野を学んでもらうだけでなく、創造的に解決策を探るクリエーターとしても羽ばたいてもらいたいと考えています。博士の学位取得者はこの点でとても高い潜在能力を持っており、世界の課題解決に向けた活躍の場を大学としてもまた探っていきたいと思います。
機会あるたびに説明をくりかえしていますが、私が重視している「デザイン」は見映えのよさの追求にとどまらず、学びや研究を設計し直し、多様な知を結集して、直面する世界の諸問題を解明し解決する、あるいは新たな価値を創造する、そうした考えや行動を組み立て、そして実施することです。諸課題について、できるだけ多様な立場の人びとが一緒に考えることが重要であり、女性や留学生、さらにはさまざまな世代の方々にもっとキャンパスに集まってもらう必要があります。その際、「学際」や「学融合」の理念がもともとそうであるように、デザインにおいてもまた対話を通じて共同で行うことがきわめて重要です。制度や慣習にしばられない自由な対話なくしては、理想を深く掘り下げることも、事実を共有することも、さまざまな知恵を結びあわせていくこともできないでしょう。昨年11月に開催した東京フォーラムでも、デザインの本当の力は「co-design」にこそあるという話がありましたが、人びとがともに解をみつけようとするなかで、真剣な対話が生まれ、意外なイノベーションを生みだす力が育っていくのだと思います。
本年もさまざまな課題に向かいあって、みなさんとともに大学を動かしていくことになると思いますが、東京大学らしく、じっくりと対話しつつより良い未来を創りあげていきたいと思います。本年もよろしくお願いいたします。
令和7年(2025年)1月7日
東京大学総長
藤井輝夫