インクルーシヴな場を生み出す哲学対話とは何か ダイバーシティ&インクルージョン研究 05
このシリーズでは、様々な観点からダイバーシティ&インクルージョンに関連する研究を行っている東京大学の研究者を紹介していきます。
総合文化研究科 教授 梶谷真司
―― これまで、数多くの「哲学対話」を行ってこられました。どんな経緯で始められたのでしょうか。
2012年の夏に、私が所属する「共生のための国際哲学研究センター(UTCP:The University of Tokyo Center for Philosophy)」とハワイ大学哲学科の企画で共同哲学セミナーを行いました。その際、両センターを支援している上廣倫理財団の方が、ハワイで行われている「子どもの哲学」を見てきたらどうかと、中心人物であるハワイ大学上廣哲学倫理教育アカデミー所長のトーマス・ジャクソンさんを紹介してくれたのがきっかけです。
ハワイでジャクソン博士に会ってすぐに意気投合して、カイルア高校とワイキキ小学校に連れて行ってもらったんです。そこで子どもの哲学に出会って、一瞬でこれは面白いなと思いました。いわゆる哲学者の名前や難しい概念が出てきて議論するものではないんですが、子供たちが一つの問題に関して一緒に考えて、とても楽しそうにしているのが印象的でした。やっぱり考えるのは楽しいんだと。
哲学を研究していると、難しいことを頑張って考えて、辛いんだけど楽しい、という喜びは、それなりにあるんです。頭を悩ませてやっと光明が少し見えた瞬間とか。でも、子どもの哲学はそういうのではない。難しいことを考えている意識は彼らの中にはなく、ただ一緒に楽しく考えているだけ。でも考えている内容は急に深くなったりする。それも彼らは多分あまり自覚がなくて、とにかく普通におしゃべりしている。ちょっと違うのは、真剣に話していることですかね。子どもたちがにぎやかに「現実と夢の違いは何か」について真剣に話していて、こんなことも普通に話せるんだと思いました。
2012年11月に日本で初めてワークショップをしました。告知をホームページに載せて、哲学対話を実践している知り合いを登壇者に迎えたら、大した宣伝もしていないのに45人定員の部屋に80人ほどの参加者が来たんです。そのときのテーマは、Philosophy for Everyone (哲学をすべての人に)でした。参加者の多くが、「哲学ってよくわからないんですけど」、「哲学書って読んだことないんだけど」と言っていました。女性が多かったのが印象的で、中高年男性の哲学好きが集まるそれまでのイベントと全く客層が違っていました。哲学が今までにない形でいろんな人が集まる場になり得ると知るきっかけになりました。
今、オンラインで哲学対話をやると、参加者の8割以上は女性です。それもいわゆる専業主婦の人たちが考えてることがすごく面白い。一般のイメージでは、専業主婦は世間知らずのように語られることが多いでしょう。仕事をせず、家庭しか知らない、と。だけど、すごく視野が広いと思います。多分、子ども、ママ友、学校の先生、夫、舅、姑といろんな人と関わっていて、中にはもともと仕事をしていて専門的な能力を持っている人たちもいる。仕事をしていた自分のアイデンティティもあって、葛藤があったりする。葛藤をたくさん抱えた人は、対話型の哲学にすごく向いているんですよね。一般的に、社会の中心にいない人たちの方が話は面白いですね。
―― 面白いとは?
一般的にはこうだ、と言われている価値観とは違うことを考えている。彼らは、普通の公の場では話す機会が多分与えられていないわけですよ。そのような考えがすっと出てくる。
女性の中でも、たとえば外で働いている人は話すことが外で働いている男性に近いのですが、専業主婦で、しかも介護しているなど苦労している人ほど、普通なら聞かないような話をすることが多いんです。進学校ではない学校に行っている子どもや、発達障害を抱えている子どもなども同じ傾向があります。
普段、周辺に追いやられていて、いろいろ耐えている人から、目の覚めるような言葉が出てくると、そういう人たちがいるからこそ対話が豊かになると思うし、彼らは世間知らずだとかものをしらないとか低く見られがちですけど、実際には全然違うと感じます。昨今、インクルージョンや多様性といったことがよく言われながら、どういうことを指しているのかよく分からないことが多いですが、哲学対話は、そうした言葉で表されることがごく普通に実現する場だなと思います。
毎回、テーマごとに何か発見があります。「お金」「母親」「アニメ」など、普段、哲学者が論じないようなテーマを取り上げますが、面白いですよ。ちゃんと哲学的な話になります。
―― 先生が2018年の著書『考えるとはどういうことか』で示された哲学対話の8つのルールは、もともとハワイ大学で使われていたものですか?
哲学対話の8つのルール |
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1.何を言ってもいい。 |
2.人の言うことに対して否定的な態度をとらない。 |
3.発言せず、ただ聞いているだけでもいい。 |
4.お互いに問いかけるようにする。 |
5.知識ではなく、自分の経験にそくして話す。 |
6.話がまとまらなくてもいい。 |
7.意見が変わってもいい。 |
8.分からなくなってもいい。 |
(梶谷真司著『考えるとはどういうことか』2018年9月刊、幻冬舎新書 より) |
いえ、私が作ったものです。普通、ルールは3つぐらいなんです。ただ、上手なファシリテーターの進め方を見ていると、別の配慮もきちんとしている。自由に気楽に発言するのを妨げている要因を考えて、8つに絞りました。中には哲学対話の実践者がこのルールはおかしいんじゃないかと言うものもあります。例えば、「しゃべらなくていい」はおかしいでしょう、しゃべってこその対話でしょう、と。けど、話さないといけないプレッシャーをかけられるとしゃべれない人たちはたくさんいるんです。「まとまらなくていい」も、哲学は論理の積み重ねだからだめだ、と言う人がいるけど、話がまとまらないからしゃべれない人もいっぱいいる。私は、哲学的な深みや緻密さより、できるだけいろんな人が話せる場を作ることが一番大事だと思っています。
―― 新型コロナウイルス感染症の影響で対面イベントが制限されるようになって、どんな影響を受けましたか。
コロナ以降、オンラインで自分がファシリテーターになって哲学カフェを運営する人や哲学対話をする人が爆発的に増えました。そこで私の本のルールが採用されていることが多いと聞くようになりました。
オンラインだと、円を作って座る、できるだけ近くに座るなどのルールが実行できないんですが、円になることのポイントは、お互いが等距離で向き合うことですよね。オンラインは、まさに全員が完全に向き合っているので、むしろ円になるよりいいところがある。あと、オンラインになってよくわかったのですが、対面だと、他人の存在感や、何となく圧迫感を醸し出している人に妨げられてしゃべれないことがあるんです。ところが、オンラインだと気にならないんですね。そういう意味でもオンライン化ではるかにハードルが下がった。夜の10時、11時から始める人もいるし、家にいて部屋着でソファーにふんぞり返っている人もいるし、たまに寝転がっている人がいたり、目の前を猫が横切ったり、そんな状態でやっているので、皆、本当にのびのびと話をします。
―― 哲学対話は、先生にとって研究の一部ですか?
そうですね。体験としての哲学の場をどうやって作るのか、そしてそのとき、何が大事なのかを研究する一環としてやっています。普通、人間は同じものを共有することでコミュニティを作る。働く目的が一緒だから、血縁だから、学力が近いから、など、類似性や同質性がコミュニティを作る原理になっている。けれども、哲学対話は差異があることが一緒にいる根拠になる。生活や行動を共にする共同体のような形ではないけど、哲学対話をやっているその時点では、違うからこそ一緒にいる意味があるというコミュニティがあるんですね。違うから一緒にいるのが面白いじゃない、とさらっと言えるんです。
ダイバーシティやインクルージョンを問題にするとき、哲学に限らず、理論だけで考えていると、平等や対等になろう、差別をなくそう、異質なものを受け入れよう、相互理解や相互承認、寛容さが大事だ、そのため対話が必要だ、など、いろんなことが言われます。けれども、それらは単なるお題目ですが、具体的にどうすればそういうことができるのか分からないままです。それでみんなで努力したり我慢して、結局うまくいかないことが多い。でも哲学対話をしていると、なぜそういうことができないのか、どうすればそれができるのか実感としてよく分かるようになります。それを「共創哲学(inclusive philosophy)」として発展させることが、現在の私の研究テーマになっています。
取材日: 2021年7月30日
取材・文/小竹朝子
撮影/ロワン・メーラー