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ロシア・ウクライナ戦争とナショナリズム

掲載日:2023年1月31日

ロシアのプーチン政権をロシア・ウクライナ戦争へ駆り立てたナショナリズムの思想はどのようなものなのでしょうか。長引くロシア・ウクライナ戦争の思想的背景について、近代ロシア文学・思想を専門とする、総合文化研究科の乗松亨平教授に聞きました。

イリヤ・レーピン〈トルコのスルタンに手紙を書くザポリッジャ・コサック〉(1880-91) ©Ilya Repin

 

プーチン政権の帝国的ナショナリズムとロシア民族主義

―― 今回の戦争をどのようにご覧になっていますか?

従来、プーチン大統領は現実判断に基づいてプラグマティックな行動をとる冷静な政治家であると一般的に評価されていましたが、2014年のウクライナ危機以降、今回の戦争に至るまでを見ると、その評価を変えざるをえません。プーチンのこうした変化の一因として、ロシア・ナショナリズムの思想が注目されています。

プーチンは、9月30日にウクライナ4州の併合を宣言した演説の末尾で、亡命思想家イワン・イリイン(1883―1954)の言葉を引用していました。イリインはロシア革命で西欧に亡命した後も、祖国を捨てなくてはならなかったトラウマを生涯抱えながら、ロシアについての著作を書き残した人です。特に有名な著作『我々の課題』(第二次世界大戦後に発表した時事評論を集めたもの)では、ロシアが周辺諸国によってバラバラに分割されてしまいかねないと警鐘を鳴らしています。ロシアの一体性が奪われることへのこうしたトラウマ的な危機感を、プーチンも共有しているといえるでしょう。しかしそれは、独立国家となったウクライナもロシアの一体性の一部とみなすような、時代錯誤の観念です。

ウクライナの地図
赤色部分:2022年9月30日、プーチン大統領によって併合を宣言されたウクライナ東部
緑色部分:クリミア(2014年に併合宣言)

そもそもロシアの一体性とは何なのでしょうか。ロシアは100以上の民族が暮らす多民族国家であり、脱植民地化していない帝国です。寄せ集めともいえるこの国家を一体のものとして描くため、ロシアのナショナリズム思想は「多様性における一体性」という観念を発展させました。この観念の歴史の延長線上に、今回の戦争を考えることもできると思います。

―― 「多様性における一体性」とは何を意味するのでしょうか?

ロシアのナショナリズム思想は、西欧と比べてロシアに独自性が無いというコンプレックスから形成されました。19世紀初めに近代ナショナリズムが勃興すると、独自性への模索が始まりました。当時、西欧への文化的依存が強かった貴族階級や知識人たちは、ロシアの独自性に対して悲観的でした。例えば1820~30年代の文学者たちは、ロシア語で書かれた文学は全て西欧の模倣でありロシア独自の文学と呼べるようなものではないとしばしば嘆きました。しかし、1840年代になると、独自性が無いこと自体が独自性だという逆説的な言説が出現します。当時を代表する文芸批評家ヴィッサリオン・ベリンスキー(1811―1848)は、「ロシア人はイギリスに行けばイギリス人のようになり、フランスに行けばフランス人のようになる。そのような高い適応能力こそがロシア人の独自性である」と述べます。

重要なのは、ベリンスキーがこの「適応能力」の傍証として、当時ロシア帝国が侵略中だった、コーカサスを舞台にした文学作品を参照することです。その作品には、従軍してコーカサス戦線に行き、そのまま根づいて現地化した、つまりコーカサスに適応したロシア人が出てきます。このように、独自性の欠如というネガティブな特徴が高度な適応能力といったポジティブなものとして捉えなおされるには、西欧へのコンプレックスが植民地に対する優越感で補われる必要があったのです。西欧の模倣は恥ずかしいことだけれども、それによって培われた模倣の能力が、植民地を統合していく上では誇るべきものに変わる。ロシア人は独自性がない空の容器であり、だからこそさまざまな他の民族を包摂していくことができる、という主張がそこから現れます。

一方、スラブ派と呼ばれる人たちは、宗教哲学における一体性のイメージにロシアの独自性を見出しました。思想家のアレクセイ・ホミャコフ(1804―1860)は、教会で祈りを捧げる信者はキリストと一体になり、さらに、全ての教会は一つの身体のように有機的なまとまりを形成すると考えました。そして、西欧のカトリックやプロテスタントと比較して、東方正教会においてのみ、信者一人一人の自由に基づく一体性、つまり「多様性における一体性」が実現されていると主張しました。この一体性のイメージは教会にとどまらず、ロシアの共同体や国家にも当てはめられていきます。

こうして、多様性を包摂する力こそロシアの国民性であり、多様な諸民族を併合すればするほどロシアはロシアらしくなれる、という思想が発展してゆきます。これはまた、多民族帝国としてのロシアと国民国家としてのロシア(ロシア民族の国家としてのロシア)という、二つの国家のありかたの間で、ロシアのナショナリズムが抱えた矛盾を解消する装置としても機能してきました。国民性(民族性)の欠如というコンプレックスを抱えたロシアのナショナリズムは、その欠如を帝国性によって補い、帝国性に基づく国民性の理念を形成したのです。ソ連時代には、共産主義というイデオロギーが多民族国家の一体性を維持する主軸となりましたが、やがてソ連崩壊に至ると、帝国的ナショナリズムがリバイバルし始めます。

Protest by pro-russian people
2014年3月9日ウクライナ東部ドネツィクにおける親ロシア派の抗議運動。3月16日にはクリミアでロシア連邦への併合を問う住民投票が行われ、18日にロシアがクリミア併合を宣言。 ©Andrew Butko (CC-BY-SA)

―― 2014年ウクライナ危機以降、プーチン政権のイデオロギーはどのように変化したのでしょうか?

帝国的ナショナリズムはプーチン政権の基本姿勢ですが、それに対して批判を繰り広げてきたロシア民族主義者との関係変化が、重要であると考えています。ロシア民族主義者たちは、先ほど述べた、多民族帝国としてのロシアと国民国家としてのロシアの矛盾を問題化し、「ロシア民族のためのロシア」を主張しました。旧ソ連の中央アジアやコーカサスからの移民に対する排斥運動などをとおし、ロシア民族主義は反体制勢力として力をもってゆきます。

ところが、2014年のウクライナ危機以降、ロシア民族主義者たちは反体制から転じ、彼らの主張は国内の他民族の排除よりもロシアの国外拡大を支持するものへと変化していったのです。「旧ソ連地域に住む迫害されたロシア民族を救う」というスローガンはロシア民族主義者たちに強く訴えかけ、クリミア併合やドンバスの独立派蜂起を熱狂的に支持するようになりました。そしてウクライナに対する積極的な軍事関与を主張し、今回の戦争でも早く動員をかけるべきだと圧力をかけていました。結果的にプーチン政権は、その支持基盤に取り込んだ民族主義者たちに引きずられているようにも見えます。

 


「ユーラシア主義」と繰り返される西欧コンプレックス

―― プーチン政権下での帝国的ナショナリズムの思想的背景として、「ユーラシア主義」が注目されています。

「ユーラシア主義」は、「西欧とは断絶されたユーラシアという領域に有機的な一体性がある」と主張する1920年代の亡命知識人たちによって打ち立てられました。例えば言語学者ニコライ・トルベツコイ(1890―1938)とロマン・ヤコブソン(1896―1982)は、〈ユーラシア言語連合〉という理念を打ち出し、ユーラシアの諸言語は一つのまとまりを成していると論じました。

19世紀以来主流であった、共通の起源をもった言語が次第に枝分かれする〈語族〉という考え方では、ロシア語とタタール語など別起源の言語に共通性を見出すことは無理筋です。それに対して〈言語連合〉は、起源はバラバラな言語が地理的な隣接関係で交流する中でだんだんと共通性を持つようになる、というものです。この考え方に立てば、一体性がもともと存在しなくても歴史の中でつくられていくという主張が可能になります。これはすぐれて帝国的な一体性の捉え方です。

ソ連時代には「ユーラシア主義」運動は忘れられていましたが、共産主義の求心力が弱まり民族意識が高まる中で再発見され、「新ユーラシア主義」が唱えられるようにもなりました。プーチン政権に直接的影響を与えているかはともかくとして、もともと一体性などない地域がどのように一体性をもちうるのか、という思想的課題は共通しています。

ただし、先ほども述べたように、ウクライナ侵攻への経緯で重要なのは、プーチン政権の帝国的ナショナリズムがロシア民族主義に侵食されたことだと私は考えています。民族主義では、一体性はもともと生まれつき存在するものとされます。ロシアとウクライナの一体性を、歴史の中でつくりだされたものというよりも、もともと存在したものだと考えることで、その一体性の「回復」への希求が強まっていったのです。

―― ロシアのナショナリズムにおいて「自」と「他」の境界線はどこにあるのでしょうか?

拡張していく地域が地続きで、歴史の中で合従連衡を繰り返してきたロシアには、併合した植民地との一体性を「自然」なものとして正当化しやすい環境がありました。西欧との関係では自と他が区別される一方で、地続きの植民地の他者に対しては自と他の境界を曖昧に捉え、自己の中に取り込んでいきました。ウクライナとの関係も、自と他のどちらにも分類されにくい両義性によって特徴づけられています。

例えば、ウクライナを描いたロシア語文学で著名なニコライ・ゴーゴリ(1809―1852)は、ウクライナがポーランドの影響下にあった時代を舞台にした歴史小説『タラス・ブーリバ』で、ザポリッジャ(現在のウクライナ南部)のコサックとポーランドの戦いを描いています。

ニコライ・ゴーゴリとタラス
(画像左)『タラス・ブーリバ』著者のニコライ・ゴーゴリ。 ©Otto Friedrich Theodor von Möller (1812–1874)  
(画像右)コサックの主人公タラス。 ©Mihály Zichy(1827-1906)

この小説は1835年に発表されたあと、42年に改訂されたのですが、改訂時に、コサックを「小ロシア」つまりウクライナの住人からロシアの民族性の象徴へと変更する、さまざまな書きかえが施されました。コサックとは、15世紀頃からさまざまな民族的出自の人々がロシア周縁で武装集団を形成したもので、周辺地域を略奪する一方で、ロシア政府と取り決めを結んで国境警備にあたるようにもなりました。このように、コサックはロシアへの帰属も曖昧な集団だったわけですが、まさにこの際立った曖昧さゆえに、ロシアの「多様性における一体性」の象徴になりえたのです。

―― 西欧との断絶を乗り越えることは出来るのでしょうか?

西欧コンプレックスを克服することはロシアにとって難しい課題です。西欧と比べてロシアには独自性が欠けている、というある種のコンプレックスに起因するトラウマは、歴史の中で繰り返されてきました。西欧近代と資本主義を否定し、新しい普遍性を打ち立てようとした共産主義運動は、当初は西欧対非西欧という分断を乗り越えようとするものでしたが、結果的には、冷戦構造の中で欧米との対立関係に囚われてしまいました。西欧に憧れるか、あるいはそれに反発して民族の伝統や宗教に回帰するか、という19世紀以来の構図が結局はソ連時代のロシアでも繰り返され、やがてソ連崩壊の一因となりました。

今日に至るまで、共産主義という新しい普遍、民族性という特殊性による対抗、どちらも同じように西欧へのコンプレックスに戻ってしまう傾向が見えてきます。とはいえこれはロシアだけの問題ではありません。非欧米地域ではもちろん、欧米においてすら、みずからの生み出した近代的普遍から民族的伝統に回帰しようとする動きが強まっています。ウクライナとロシアで起きている出来事を、私たちは決して他人事とは思わずに考えてゆかねばならないでしょう。
 

*ウクライナの地名はウクライナ語による読み方に基づいて表記しています。

 
乗松先生

乗松亨平
総合文化研究科教授

東京大学大学院人文社会系研究科欧米系文化研究専攻博士課程満期退学。博士(文学)。著書に、『ロシアあるいは対立の亡霊 「第二世界」のポストモダン』(2015年、講談社)、『リアリズムの条件 ロシア近代文学の成立と植民地表象』(2009年、水声社)など。

取材日:2022年10月26日

 
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