トルコ・シリア地震後の中東情勢
2023年2月6日に大地震に見舞われたトルコは、5月に大統領選を含む総選挙を控えています。この地震によるトルコ内政への影響や中東諸国をめぐる情勢について、東京大学先端科学技術研究センター教授の池内恵先生に聞きました。
震災とトルコ内政
── 今回の地震は、トルコの内政にどのような影響をもたらしましたか?
2023年は、トルコにとって大統領選挙と議会選挙がともに実施される重要な年です。21年目の長期政権となる与党「公正発展党(AKP)」を率いるエルドアン大統領は、今年の選挙で再選されること、そして議会選でも勝利することを目標としてきました。1923年はトルコ共和国建国から100周年という節目の象徴的な年にあたり、エルドアン政権にとって、さらなる長期政権を確立することは、歴史的に大きな意味を持つと考えられていました。まさにその年に発生した大地震は、エルドアン政権のこれまでの功績を霞ませ、支持基盤を揺るがしました。
土建屋政治と揶揄されることもあるエルドアン政権は、国土改造とインフラ投資によって人々の生活水準の向上を目指してきました。大都市周辺のスラム地区にも近代的なタワーマンションが建設され、大都市の環状道路や都市間の交通システムも発展しました。エルドアン政権はこうした大規模な建設事業を通して、土木や建設に関わる業界を支持基盤としてきたのです。しかし今回の地震で、その負の側面や、癒着や腐敗が露わになりました。1999年に甚大な被害をもたらしたトルコ西北部コジャエリ県イズミット市を震源とするコジャエリ地震の際、当時の政権も耐震基準の不備・不徹底などの政策の責任を問われ、悪性インフレなどと並び、退陣を余儀なくされる原因となりました。その時は旧政権を批判する野党の立場にあったエルドアン大統領が政権を握り、インフレを抑え込み高度経済成長を達成して長期政権となりました。その上で近年は経済停滞や悪性インフレの再来に苦しんでいたところ、最重要の選挙を目前にして今回の大震災に見舞われました。皮肉なことに、20年以上の時を経て、エルドアン政権は土木建設業界との癒着や震災に対する対応を問われる側になったのです。
── 地方と都市で、具体的にどのような問題が起こっていますか?
地方で底堅い支持を集めていたエルドアン政権でしたが、今回の地震で被災した地域の人々のあいだには不信感が生まれています。建設事業において、エルドアン政権とのつながりが疑われる業者の選定が行われていると指摘されてきたなか、震災によって建物の耐震性の問題が明るみに出た結果、被災地や、その惨状を見た各地で、政権への支持にかげりが見られています。汚職に対する批判の声も上がっています。
また、被災地から都市に移動した国内避難民の問題は、イスタンブールやアンカラなど都市の住民にも影響を与えています。トルコはシリアからの難民を多く受け入れてきましたが、今回はシリア内戦時と比べて、短期間で集中的に都市部に向けて人々が移動しています。その結果、コロナ危機以前から続いていた物価上昇に拍車をかけ、通貨リラの暴落と相まって、市民生活への打撃が深刻となっています。余震が続く中、都市部を中心に、地盤が安全とされるイスタンブール等の不動産の価格がさらに著しく高騰しています。エルドアン政権下では、経済成長による生活水準の実質的な底上げが実現され、より先進国型のライフスタイルの実現が実感された、あるいはその期待が高まった時期がありました。しかし最近の世論調査ではエルドアン大統領とAKPへの支持が弱まり、エルドアン大統領の再選が危うくなっています。
── これほどの長期にわたる政権が実現しているなかで、トルコに民主主義はどれほど根付いているのでしょうか?
民主主義によって安定的・持続的に再選されてきたエルドアン政権が、非自由主義的な制度改変や運用を恒常化し、非自由主義的な民主主義となりつつあるというのがトルコの政治体制の特徴と言えるでしょう。競争的な選挙投票の結果として選ばれたという意味においては、政権の正統性の根拠は明確に民主主義にあります。しかし、民主主義によって選択された政党が自由主義的な政策を行うかというと、必ずしもそうではありません。トルコ共和国の100年の歴史のなかでは、民主主義によって成立した政権が非自由主義的な政策を採用しようとしたときに、軍と司法により、クーデターなどの“非民主的“な手段によってそれを阻止する現象が定期的に見られました。軍や司法のエリートが、いわば非民主的な手段を用いて自由主義を国民に強制する、「非民主主義的自由主義」と形容してもいいような矛盾を孕んだ実態がありました。これはイスラーム教の法的・政治的な影響を公的空間から強制的・強権的に排除しようとした政教分離政策にも通じることです。
トルコにおいて、エリートによる自由主義の強制が民主主義によって排除される過程では、トルコのEU加盟問題も影響しています。トルコがEUへの加盟を目指してきたために、外からの圧力、つまりヨーロッパ諸国からの民主化・改革要求に応じざるをえない局面が多くありましたが、それによって、政教分離などの自由主義的な要素を強権的に施行するという実態は徐々に制約され、選挙に勝った民主主義的な正当性のあるエルドアン政権が軍の文民統制も進めていくという、ある面での民主化の徹底がもたらされました。しかしそのことがエリート層の推進してきた自由主義的な制度改革を逆行させる効果も持ってきました。
エルドアン政権下では、軍や司法、もしくはヨーロッパ的な規範を重んじるエリート層による政治への介入を難しくする政策が実行されてきました。これに関連して、メディアや大学における言論の自由にも大きな制限が加えられてきました。近年では、政権の意に沿わない報道機関は抑圧され、大学は監視下に置かれ、学長や学部長などの大学幹部層を政権に近い人物に置き換える介入と管理強化が進んでいます。
中東における外交関係
── 今回の地震が、トルコと周辺諸国の外交政策に及ぼした影響は何ですか?
中東の主要な国々は、この地震を機に様々な外交の課題を乗り越えようとしています。長年トルコと関係が良くなかったアルメニアやギリシャは、人道的支援を理由に関係改善を試みています。また、シリアをめぐる国際関係にも変化が見られます。今回の地震で、シリアの反体制派勢力が掌握した地域も被災しました。湾岸産油国は、アサド政権から支援が望めない地域を含んだ被災地への支援をいわば口実として、アサド政権との関係回復を加速させました。
また、イスラエルを軸とした中東地域秩序の再編過程への波及も注目点です。2010年から2011年にかけて始まった「アラブの春」以後、エルドアン政権は、各国で伸長するムスリム同胞団系のイスラーム主義勢力に支援を行い、アラブ諸国の内政に介入する覇権主義的とも見られかねない動きを見せるようになりました。それに対して、サウジアラビアやアラブ首長国連邦など湾岸の君主制の産油国や、エジプトの軍部、シリアのアサド政権などは危機感をつのらせましたが、その中で湾岸産油国はイスラエルに水面下で接近し関係を強化することで、トルコの動きを抑制しようとしてきました。2020年8月にアラブ首長国連邦とイスラエルの間で締結されたアブラハム和平協定合意は、イランの覇権主義への対抗と同時に、トルコによる介入や支配への対抗も見越したものだったのです。
イスラエルはアラブ諸国との関係を強化して影響力を強めるだけでなく、トルコと関係の悪かったギリシャにも関与し、イスラエル、ギリシャ、キプロスで東地中海ガス田の開発と西欧へのパイプライン(EastMed Pipeline)の共同開発構想で合意するなど、トルコ包囲網を形成しました。その結果、2020年初頭には、トルコは東地中海地域や湾岸地域で外交的に身動きが取れない状態になりました。
大統領選に向けて外交的にも覇権主義的な影響力を示したいエルドアン政権にとって、イスラエルが主導するトルコ包囲網を形成する国々に外交で大幅な譲歩をすることは避けたいところでしたが、今回の地震は、トルコがギリシャそしてイスラエルとの関係改善を進める機会を与えました。昨年末に誕生したイスラエルの第6次ネタニヤフ政権は、占領地政策やエルサレムの聖地をめぐる政策でイスラエル国内の強硬派の主張を取り入れ、パレスチナに対して強気の姿勢を見せています。かつてはネタニヤフ政権の対パレスチナ政策を激越に批判してイスラエルとの関係冷却化を招いたエルドアン大統領ですが、より強硬になった現在のネタニヤフ政権に対して、エルドアン政権からの批判は限定されたものにとどまり、イスラエルとの関係改善を優先しています。
── ロシア・ウクライナ戦争も長引くなかで、エネルギー問題についてはトルコはどういった立場をとっていくことが考えられますか?
大規模な産油・産ガス国ではないトルコは、エネルギーをめぐる外交に主導的には関与していませんが、今後も逼迫する恐れのある世界のエネルギー情勢において、パイプラインでガスの輸送の重要な部分を担うトランジット国として地位を高める可能性はありますし、それを狙っているでしょう。また、現在アメリカに対して自立姿勢を見せているサウジアラビアとの関係も注視する必要があります。サウジアラビアはイランとの関係の回復を目指し、中国の仲介を積極的に受け入れてアメリカ離れを進めています。今後、トルコはサウジアラビアと歩調を合わせ、中国、ロシア中心のユーラシアの枠組みに、より親和性を示していく可能性もあります。多元的な均衡が見られる中東諸国の動向に注目していく必要があります。
トルコなどの中東の地域大国は、必ずしも支配的なトレンドに追随するわけではありません。アラブ諸国のアメリカ離れや対西欧の自立路線が進めば、どこかの時点でトルコはまた西欧に接近し、NATO加盟国としての有用性も十分に示して米国との関係を再強化し、バランスを保つことも考えられます。中東におけるトルコの強い立場は、西欧そして米国との関係の深さと不可欠さによるところが大きいので、それは手放さないでしょう。ロシア・ウクライナ戦争の戦況にもよりますが、ロシアが決定的に不利になれば、トルコは西欧諸国にさらに接近するでしょう。ロシアと欧・米の間で中立姿勢を示しながら双方から利益を得る、という行動様式を可能な限り維持しながら、どちらかにつく時期を見極めているとも言えるのではないでしょうか。
池内恵
先端科学技術研究センター教授
日本貿易振興会アジア経済研究所研究員、国際日本文化研究センター准教授・総合研究大学院大学准教授、アレクサンドリア大学(エジプト)客員教授、東京大学先端科学技術研究センター准教授などを経て2018年より現職。著書に『現代アラブの社会思想――終末論とイスラーム主義』(2002年、講談社)、『イスラーム国の衝撃』(2015年、文藝春秋社)、『増補新版 イスラーム世界の論じ方』(2016年、中央公論新社)、『【中東大混迷を解く】サイクス=ピコ協定 百年の呪縛』(2016年、新潮社)、『【中東大混迷を解く】シーア派とスンニ派』(2018年、新潮社)などがある。
取材日:2023年4月7日
取材:寺田悠紀、ハナ・ダールバーグ=ドッド