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口語自由詩の地平を拓いた詩人萩原朔太郎の猫は...... | 広報誌「淡青」37号より

掲載日:2018年10月30日

口語自由詩の地平を拓いた詩人

萩原朔太郎の猫は......

近代詩に新地平を拓いた詩人の作品には、数々のいきものが登場します。 中でも鮮烈なのは、猫。一般的な擬音などでは表現し切れない唯一無二の猫世界に、日本近代詩の研究者が誘います。墓場、湿地、異界、街路、夜空……。猫たちはどこにいるのでしょう。

猫と日本文学

エリス俊子/文
Ellis Toshiko
総合文化研究科
教授

どこにいるのでしょう。1917年刊行の第一詩集『月に吠える』で犬の遠吠えを響かせていた萩原朔太郎(1886-1942)は、1923年刊行の第二詩集を『青猫』と名付けます。そして次のようにうたいます。

ああこのおほきな都会の夜にねむれるものは
ただ一匹の青い猫のかげだ
かなしい人類の歴史を語る猫のかげだ
われの求めてやまざる幸福の青い影だ。
(「青猫」部分)

朔太郎いわく、「青猫」とは、英語のblueの「希望なき」「憂鬱なる」「疲労せる」の意味を含み、「物憂げなる猫」のことだと、そして詩集の題名の『青猫』は、「都会の空に映る電線の青白いスパークを、大きな青猫のイメーヂに見てゐる」のだということですが、都会の夜空には、一体どんな青白いスパークが煌めいていたのでしょう。

『青猫』とその直後の時代、朔太郎の詩にはいくつもの猫が登場します。いずれも、この世ならぬ姿をした猫たちばかりです。緑色の笛の音にのって蜃気楼のようにやってくる幻像は「首のない猫のやう」で「墓場の草影にふらふら」しています(「緑色の笛」)。春の夜に黒髪を床に広げて麝香の匂いを放つ女の屍体は「ひとつのさびしい青猫」となり(「石竹と青猫」)、「蛙どものむらがってゐる/さびしい沼沢地方」では「浦」と呼ばれる心霊の女が「猫の子のやうにふるゑて」います(「沼沢地方」)。そして、しっとりと水気にふくらんだ墓場の景色のなかで「瓦斯体の衣裳」を引きずってさまよう女との逢瀬は、「泥猫の死骸を埋めておやりよ」の一行で終わります (「猫の死骸」)。

『定本青猫』(版畫荘刊/1936年初版)の函には萩原朔太郎自身のイラストレーションが使われていました。
画像協力/前橋文学館
http://www.maebashibungakukan.jp/

猫はどこまでも艶かしく、せつなく、蠱惑的で、墓場の夢の女となって私を誘い、私は、このように形をもたない猫を求めて、薄暗がりの異界の空間を彷徨するのです。「浦」という女の名前はエドガー・アラン・ポーの詩にあるUlalumeという死んだ恋人を想起させ、一方で、この漢字が表す陸地が湾曲してできた入江のイメージは子宮への夢想を導いて、胎内回帰願望にもつながります。朔太郎の猫の背後には、ポーのほかにも、毛並みに「エレキ」をはらんで金粉の神秘の瞳をもつボードレールの猫たちや、鋭い爪を匿して女と重なり戯れるヴェルレーヌの猫など、世紀末以降の数々の猫たちが影絵のように飛び交っています。そんな中で朔太郎は、大正から昭和期の日本語の詩に、得も言われぬ魔力をもつ猫たちを登場させました。

『青猫』に先立つ『月に吠える』には、次の一篇があります。

『 おわあ、こんばんは』
『 おわあ、こんばんは』
『 おぎやあ、おぎやあ、おぎやあ』
『 おわああ、ここの家の主人は病気です』
(「猫」部分)

と叫んでいるのは「まつくろけ」の二匹の猫です。そして、さらに『青猫』刊行より十年余り、1937年には「散文詩風な小説」として「猫町」を発表します。

瞬間。万象が急に静止し、底の知れない沈黙が横たはつた。何事かわからなかつた。だが次の瞬間には、何人にも想像されない、世にも奇怪な、恐ろしい異変事が現象した。見れば町の街路に充満して、猫の大集団がうようよと歩いて居るのだ。猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫。どこを見ても猫ばかりだ。そして家々の窓口からは、髭の生えた猫の顔が、額縁の中の絵のやうにして、大きく浮き出して現れて居た。
(「猫町」部分)

この猫たちが何者か、興味のある人は、「猫町」を読んでみてください。

あるいは、そっと夜空を眺めてみてください。都会の夜をそっくりと腕に抱く、青白いスパークにかたどられた大きな猫の影が感じられるかもしれません。

My Cat
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たくましい「ミーヤ」。ある日、家を出て根津の子になりました。

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