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美術に関わる東大の研究 塚本麿充の東洋美術史 | 広報誌「淡青」38号より

掲載日:2019年4月23日

東洋美術史

芸術家が語りはじめる時
――『林泉高致集』:千年前の画家親子の物語――

言葉と作品の両方が現存する最古の芸術家、と目される中国・北宋時代の宮廷画家がいます。 なぜ彼の言葉と作品は約千年も生き存えたのか。 そこには父に複雑な感情を抱く息子の存在がありました。 入魂の解説は、トーハク時代から優しい語り口で知られる塚本先生です。

塚本麿充/文
Maromitsu Tsukamoto
東洋文化研究所
准教授
写真
郭思
『林泉高致集』
(『王氏書画苑』〔明時代の刊本〕、東洋文化研究所蔵)
毎回とはいきませんが、何百年も前の漢籍の紙の質感や風合いを楽しみながら講読を進めるのは贅沢なひと時です。

今年度のゼミで学生たちと『林泉高致集』という中国の画論を読んでいる。『林泉高致集』は北宋時代の宮廷画家であった 郭煕の言葉を、その子・郭思がまとめたもの。郭煕には「早春図」(1072年、台北・國立故宮博物院)という代表作が残っているため、郭煕こそは言葉と実際の作品が両方残っている、おそらく世界で最も古い芸術家と言えるだろう。『林泉高致集』は私も院生時代から何度も読んできたが、いま改めて精読すると、その内容の面白さにぐいぐい引き込まれてしまう経験をした。

郭煕は老年になってから上京して宮廷画家となったが、『林泉高致集』には郭煕自身が語った芸術の在り方や、具体的な山水画の描き方が細かに記録されている。一方、郭煕の上京によって運命が一変したのはむしろ息子のほうで、都で官僚となり、思いがけない出世を遂げた。そんななか郭思は父の言葉をまとめて出版しようと計画する。まだ“アーティスト”という概念がなかった時代、芸術は画家の個性よりも、パトロンの暮らしを飾ることに重点が置かれていた。しかし『林泉高致集』に描かれる父・郭煕の姿は全く違っている。北宋の官僚として文化人の仲間入りを果たした郭思は、あきらかに父を教養あふれる文化人として記述しているのである。

郭煕は皇帝の命令によって、新築なった宮殿におびただしい数の壁画を描いた。『林泉高致集』には郭煕がその素晴らしい出来によって皇帝から特別の褒美を頂戴したこと、そして、壁画を制作する前には静かに沈黙したまま数日を過ごし、精神を整えてから一気呵成に描きあげたことなどが記されている。実際の郭煕は来る日も来る日も仕事に追われ、自分を見つめる暇などなかったかもしれない。しかし郭思は父の作品には精神が込められており、ただの職人ではなく芸術家、高級な文化人の“作品”であることを、何度も何度も記述している。郭思には自分の父親を誇りに思うとともに、一介の職人の出身であったことに深いコンプレックスをもっていたのかもしれない。だからこそ郭思は父・郭煕を、官界で出世を遂げた自分にふさわしい理想の文化人として、多分に装飾を交えながら描き出したのだ。

写真
郭煕
「早春図」
(北宋、熙寧7年〔1072〕、台北・國立故宮博物院)
北宋の画家は「色」を捨て 「墨」だけで画を描き始めます。この絵はそんな東洋水墨画の頂点であり、原点。本物は台北で三年に一回しか見られませんが、東洋文化研究所は原寸大複製を所蔵しており閲覧も可能です。
 

それまで中国の画家たちは職人であり、絵の描き方もおそらく口頭で伝えられ、言葉を書き残すことはなかったが、郭煕はこの息子を持つことによって、偶然にその言葉を残すことができた。今回『林泉高致集』のテキストを読んでみてよくわかったのは、偉大な芸術家であった父の事績とともに、その言葉を書き留めようとした息子から父親への、複雑な愛情であったのである。

『林泉高致集』には郭煕自身が語った言葉と、郭思が書き加えた言葉が混在しており、ゼミで漢文を精読していると、だんだんその違いに気が付いていくのも面白かった。最後におそらくこれこそ郭煕の本音だろうな、という言葉をあげておこう。「父・郭煕は言った。唐時代の詩人・杜甫は山水画の名手・王宰の山水画を見て「五日で一つの山を、十日で一つの水を描いた」とうたったが、まことにその通りである! と」。急いではダメ、じっくり時間をかけないといい仕事なんか出てこないよ、という父親の愚痴は、膨大な宮廷壁画に忙殺されていた郭煕の偽らざる本音だったのだろう。そんな1000年前の親子の複雑な愛情や発せられた言葉は、その作品とともに、現代を生きる我々にも深い共感をよぶのである。


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