感染症から水生動物を守る「マリンバイオセキュリティ」の現在/唐川奈々絵 安全なエビやカキを口にするために……

すべての生命の故郷にかかわる研究・教育活動集
あらゆる生命の故郷であり、地球の生物の生存を支えている海に関する科学を世界で進めるための「国連海洋科学の10年」。2021年はこの大きなキャンペーンがスタートした年です。そして東大は今年、海とともに歩んできた科学者を新総長に迎えました。工学、物理学、生物学、農学、法学、経済学……。様々な分野の事例が映し出す東大の海研究と海洋教育の活動について紹介します。
魚病学 |
感染症から水生動物を守る「マリンバイオセキュリティ」の現在
![]() 農学生命科学研究科特任助教 KARAKAWA Nanae |
2003年のコイヘルペスウイルス病、昨年のバナメイエビの急性肝膵臓壊死症など、水生動物の感染症は野生でも養殖でも大きな被害をもたらします。行政の現場で水産防疫の強化に携わってきた唐川先生が、日本の水産物の安全を守る取り組みの概略を紹介します。

私は、農林水産省において、水生動物の疾病や養殖業に関わる部署に勤務していましたが、2020年4月からは2年間の予定で東京大学の海洋学際教育プログラムにおいて、マリンバイオセキュリティの活動や教育に携わっています。
マリンバイオセキュリティとは、水生動物の感染症について、国内未侵入のものは海外から入れないようにすること、また、国内に侵入してしまった場合やすでに国内の一部の水域に限定して存在する場合には感染地域が拡大しないようにすることです。
世界の漁業・養殖業生産量は増加し続け、水産物の貿易も世界で拡大しています。しかし、水生動物の感染症は世界中で発生しており、新たな感染症の出現も続いています。産業が大きくなり貿易量も増えることで、感染症を引き起こす病原体が世界に広がり、深刻な被害をもたらすリスクは益々大きくなっています。
病名 | 侵入年 | 主な宿主 |
---|---|---|
伝染性造血器壊死症 | 1970年 | サケ科魚類 |
赤点病 | 1971年 | ウナギ類 |
細菌性冷水病(ギンザケ) | 1980年代中頃 | ギンザケ |
マダイイリドウイルス病 | 1990年 | マダイ、ブリ、カンパチ |
ホワイトスポット病 | 1993年 | クルマエビ |
エラムシ症 (Neoheterobothrium hirame感染症) | 1993年 | ヒラメ |
アコヤガイ赤変病 | 1994年 | アコヤガイ |
コイヘルペスウイルス病 | 2003年 | コイ |
Edwardsiella ictaluri感染症 | 2007年 | アユ |
マボヤの被囊軟化症 | 2007年 | マボヤ |
急性肝膵臓壊死症 | 2020年 | シロアシエビ(バナメイエビ) |
今まで、日本にも20種類以上の病原体が海外から侵入し、養殖および天然の水生動物に大きな被害をもたらしてきました。その中で一番大きく報道されたのはコイヘルペスウイルス病かと思います。この疾病はどのように侵入したのかは不明ですが、日本では2003年に初めて発生し、あっという間に日本全国に広がり野生や養殖を問わずコイの大量死を引き起こしました。最近でも昨年度、エビの重要な疾病である急性肝膵臓壊死症がタイから日本に侵入しました。
日本では、水生動物に大きな被害をもたらす可能性の高い感染症の海外からの侵入を防ぐ輸入防疫、ならびに国内でのまん延を防ぐ国内防疫が法令で定められています。しかし、海外からの感染症の侵入や国内での感染症による被害は続いており、これらに対応するためには、水生動物の感染症をとりまく状況全体を俯瞰し、どのような問題点があるのかを考え、解決策を講じる必要があります。そこで現在、マリンバイオセキュリティの活動として、養殖企業、都道府県、製薬メーカー、研究機関などの関係者が集まり「魚病問題を考える会」を開催し、問題点の抽出を行っています。
この会の中で挙げられた問題点をいくつか紹介します。まず、防疫に必要な海外での感染症発生情報の収集や国内での感染症の発生情報の報告・共有が、養殖業者、都道府県、国のいずれのレベルでも不十分であることが指摘されました。検査・診断については、疾病発生時に主に検査・診断業務を行う都道府県の担当者が数年ごとに異動するため、疾病の専門家が育成できず、十分な検査・診断体制が確保されづらいことが挙げられました。また、ワクチンや治療薬の開発について、産官学の連携不足が挙げられました。
水生動物の疾病は、養殖用の水生動物の移動だけでなく、観賞魚の投棄や釣り餌によっても広がる可能性があり、また疾病の影響は水産業のみならず生態系にもおよびます。今後は、問題解決に向け、水産業の関係者だけでなくより広い範囲の利害関係者での議論を進めていけたらと思います。

養殖場に病原体が侵入すると、周りに生息している天然個体にも感染が広がる可能性が高い

本病は感染力が強く、死亡率が非常に高い