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UTokyo映画祭2022 [オープニング対談]中田秀夫監督×竹峰義和教授

掲載日:2022年3月29日

UTokyo映画祭2022
カンヌやベルリンでやっているものとは違う、大学ならではの映画祭です。用意したのは、映画監督と研究者の対談、映画研究者4人による研究紹介、映画人として活躍する卒業生紹介、研究者12人が薦める映画作品集……。映画と大学の掛け算の成果をご覧ください。3、2、1、アクション!
[対談]卒業生監督×映画研究者

Jホラーの巨匠と「進振り」の素敵な関係とは?

「Jホラー」の第一人者として知られる中田秀夫監督は東大の卒業生。当初は理系だったのに文転して映画の道に進んだのには、駒場で出会ったある先生の存在がありました。その先生が立ち上げた研究室で映像文化を研究する竹峰義和先生との対談で、大学時代に得た刺激、代表作につながった経験、海外に出る意味、最新作の見どころまでを語っていただきました。東大の進学選択制度がなければ「貞子」は生まれなかったかも!?

二人の背景にあるのは中田監督の最新作品『嘘喰い』のイメージ画像です(協力:ワーナー・ブラザース)。

東京の豊かな映画環境に憧れて岡山から東大を受験

  • 竹峰 中田監督は1980年に理科一類に入学されていますが、高校まではどのような少年でしたか。
  • 中田 岡山の田舎で洋画好きの友達とよく映画館に行っていましたね。ブルース・リーに影響を受けて隣町の空手道場に通ったりもして。高校では、当初は京大志望だったんです。でも映画雑誌で名画座の情報を読んで東京で観られる映画の豊かさを知り、行くなら東京だなと思ったんです。
  • 竹峰 東大に進むきっかけは東京の映画環境だったんですね。入学後、蓮實重彥先生の映画論の授業を受講されたとか。
  • 中田 シラバスで映画の授業を見つけて、クラスの映画好き3人で旧2号館に行って入ゼミ試験を受けました。和洋様々な映画に関する固有名詞20題が示され、知っていることを書けというもの。私は2問しか書けませんでした。半分は答えられないと授業に付いてこれないと言われたし、蓮實先生のディレッタント的な話に反感も持ち、途中退席しました。
  • 竹峰 ほかに授業で印象に残っていることはありますか。
  • 中田 後にノーベル賞候補になる奴とかフィールズ賞候補になる奴とか、同じクラスにすごい人が多くて、すぐに自分との差がわかりました。当時の先生でいま頭に浮かんだのは、物理の米谷民明先生、線形代数の藤原正彦先生です。ドイツ語の信貴辰喜先生は、厳しかったけど、駒場祭でトレーナーを作ってプレゼントしたらすごく喜んでくれて。怖いけど笑顔が優しかったのを覚えています。ドイツ語も英語も好きで、語学は成績もよかったですね。

同人誌活動の仲間と競って名画座に通い300本を鑑賞

「理系の学問に挫折して駒場のアジア学科へ進み映画の道を志しました」中田秀夫監督画像
中田秀夫
映画監督
NAKATA Hideo
東京大学教養学部を卒業後、にっかつ撮影所に入社。助監督時代を経て1992年に『本当にあった怖い話』で監督デビュー。監督作品に『女優霊』『リング』『ガラスの脳』『ラストシーン』『ハリウッド監督学入門』『終わった人』『スマホを落としただけなのに』など。
  • 竹峰 サークル活動は何かやっていましたか。
  • 中田 理一は男ばかりでいかんと思い、女子がいそうなバドミントンのサークルに入りましたが、ハードな競技とわかってひと月でやめ、国際交流会というところに入って留学生に数学を教えたりしました。ワンゲル部にも3ヶ月いたし、蓮實ゼミから派生した『映画日和』という同人誌の活動もやりました。翻訳家の越前敏弥さん、哲学者の鈴木泉さん、映画監督の中西健二さんらが主なメンバーでした。蓮實ゼミで会い、京橋のフィルムセンター(現・国立映画アーカイブ)でも会い、文芸坐でも会うという感じで仲良くなって。先輩たちが同人誌を出していたのに刺激されて始めました。
  • 竹峰 理一から文転して教養学部アジア学科に進んだんですね。
  • 中田 当初は物理学科に行きたかったんですが、赤点スレスレで。いったん応用物理学科に決めたんですが、いろいろあって数学と物理が嫌になり、理系に挫折を感じて文転と留年を決めたんです。授業は週2日程度だったので、1日1本ペースで映画を観るようになりました。『映画日和』仲間の中西君は年間700本を誇っていましたが、私は300本ほど。名画座に通って蓮實先生が話していた古い作品を観まくりました。一方で、本多勝一さんに影響を受けてジャーナリスティックな興味を持ち、旧日本軍が中国や東南アジアで何をしたのかにも関心を持ちました。それでアジア学科に決めたんです。
  • 竹峰 その後に蓮實ゼミに再入門したわけですね。先生の言葉で覚えているものはありますか。
  • 中田 物語を追うのではなくて何が映っているかをよく見ろ、ということと、不在を在として表すのが表現の根本だ、ということです。映画には本来奥行きがないが、ジョン・フォード監督は遠景にある小屋のドアが開いて向こうまで見渡せる様子を映すことで奥行きを感じさせている、そういう工夫を丁寧に見るんだ、と。
  • 竹峰 卒論はフィリピン映画がテーマだったそうですね。
  • 中田 はい。まずマニラに渡ってフィリピンの名監督たちの映画を20本ほど観ました。土着の文化とスペイン文化とアメリカ文化がまじったユニークな映画文化が50年代に花開いていました。その辺りの話で7割、残りはフィリピン映画の現況という構成で書きました。
  • 竹峰 すごい行動力ですね。卒論のために海外調査に行く学生は少ないのでは?
  • 中田 単に現地に行かないと書けなかったんです。フィリピンは留年時にバックパッカーとして訪れました。ベニグノ暗殺1周年の大きなデモがあった頃で、いまから変わろうという息吹を感じました。ルソンやサマールで戦争のことを話してくれた古老たちが概して日本に好意的だったという経験も影響しているかもしれません。
  • 竹峰 学生時代に観て特に印象的だった作品は何ですか。
  • 中田 卒業の年に観たマックス・オフュルス監督の『忘れじの面影』です。GWに観て、完璧な映画だ、覚えたいと思い、上映期間10日のうち7日も観に行きました。いけないことですがテレコで録音もした。この映画を観て、初めてスクリーンの反対側に行きたいという欲求が芽生えたんです。フィルムセンターのジョン・フォード特集を観に行ったら淀川長治さんがいて、若者がフォードのサイレントを観に来るなんて熱心ですね、と語りかけてくれたのもうれしかったです。
  • 竹峰 その後はにっかつ撮影所に入所されています。黄金期の撮影所の空気を知る最後の世代、でしょうか。
  • 中田 最後の世代の話を聞いた世代、ですね。『ビー・バップ・ハイスクール』で那須博之監督に付いたのを発端に、小沼勝、澤井信一郎、神代辰巳、降旗康男、工藤栄一といった監督たちの作品に助監督として付いて学びました。現場では、東大出はダメだなどと言われてむっとしたこともありますよ。同じ東大出身だったせいか、降旗康男監督はかわいがってくれました。私が青森でロケすると聞いて『網走番外地』で使った牛革の上下の下着をくださって。室内ではヒートテックよりよほど暑いんですが、降旗監督がくれたからと思って脱がずにぼーっとしながら撮っていました。

在学中にバイトした撮影所で感じた女優の念がヒントに

「『貞子』はある種の殺人カメラとして捉えられるのでは?」竹峰義和教授写真
竹峰義和
総合文化研究科教授
TAKEMINE Yoshikazu
専門はドイツ思想史・映像文化論。ヴァイマル時代のドイツ映画や映画亡命のテーマにも取り組む。著書に『〈救済〉のメーディウム』(東京大学出版会)、『アドルノ、複製技術へのまなざし』(青弓社)、共著に『映画論の冒険者たち』(東京大学出版会)など。
  • 竹峰 1992年には文部省芸術家在外研修員として渡英していますね。
  • 中田 助監督生活も6年目で、すでにロマンポルノは終わり、先輩方はテレビの仕事をやるようになっていました。自分は映画をやりたかったのにこのままでいいのかと考え始めた頃に留学の制度を知り、海外で頭を冷やして考えたいという思いから受けたんです。面接には映画評論家の品田雄吉さんがいて、外国で今の自分を冷静に見つめ直すために行きたいと正直に言ったらOKが出ました。せっかくだから現地で何かやったらと言われ、ジョセフ・ロージー監督のドキュメンタリーに着手したんですが、仕上げるのにかなり時間とお金がかかり、いったん帰国し、資金を捻出しようと必死に企画を考えました。その一つがやっと通り、またイギリスに戻って仕上げることができました。
  • 竹峰 その企画がJホラーの出発点と言われる『女優霊』ですね。
  • 中田 このとき映画のフィルムが最後どうなるか調べたら、火葬と同じで炉に投げ込むだけ。無名のまま映画界から去った女優とか、監督になれずじまいの人など、フィルムが焼かれると彼らの怨念が集積するかも、と思いました。あと、大学5年時に京都の大映でバイトで働いた際、撮影ステージに入って見上げたら、無数の映画人の吐息が聞こえた気がしました。皆が撮影のためにステージに集まり、終わった後に何かが残っているという感じが好きでした。深夜に忘れ物を取りにステージに入るとまだ照明の熱気が残っていて、昼間に監督に叱られた女優の念が残っている気がしたり。こうした経験が『女優霊』につながりました。
  • 竹峰 3年前、「貞子はなぜ怖いのか」という題の公開講義を行いました。通常、観客は一方的に画面を見ますが、『リング』では貞子から観客が見られ、客体となります。貞子は非人間的なまなざしを持っていて、写真やVHSやテレビなどのテクノロジーメディアが決定的な役割を果たしている。貞子は念写で映像をつくり最後はテレビから飛び出し、シャッターを切るように一瞬だけ目を見せると被写体が反転して固定される。貞子はある種の殺人カメラとして捉えられる、という話をしました。そんな解釈はいかがでしょうか。
  • 中田 おもしろいですね。貞子から見られる感覚を意識したわけではないですが、いかにして客を驚かせるかはずっと考えていました。『リング』ができる前に批評家たちに台本を渡して取材を受けたんですが、貞子がテレビから這い出す部分には「?」という反応でした。笑う人もいましたね。でも、近づくとは予想できても、這い出るとはまず予想しない。テレビを通して見ているものだと思いきや実際に向かってくる。これこそがポイントだと思い、効果音の方と喧嘩しながら入れたシーンでした。
  • 竹峰 2005年に『ザ・リング2』でハリウッドデビューされ、その後もイギリスで『チャットルーム』を監督。そうした経験を作品にも活かしています。日本と海外の違いは感じましたか。
  • 中田 あるカメラマンは「ハリウッドには映画文化はないが映画産業がある」と言いました。他国の場合は「映画産業はないが映画文化はある」。日本はぎりぎり両方あるかなと思います。たとえば、向こうでは試写を繰り返して反応を5段階評価で数値化します。大衆の評価を取り入れて作品を仕上げる。自動車などの工業製品と同じ感覚です。自分はそれが割と性に合っていると思いました。
  • 竹峰 さて、新作の『嘘喰い』は人気漫画が原作でギャンブルがテーマですね。
  • 中田 相手に嘘を見抜かれて負けたら死ぬという極端な世界です。ユニークな歴史観を軸に、闇の世界のトップを取ることが人生の目標という、ある意味ピュアな主人公を描いています。横浜流星くんのファンや原作ファンにどう楽しんでもらえるか考えながら撮りました。エンタメなので肩肘張らずに観てほしいですね。
  • 竹峰 最後に、後輩たちへメッセージをいただけますか。
  • 中田 海外に出て知見を広めておくと後に役立つことが多々あります。私は学生の頃から語学が好きでしたが、初めて英語で仕事したのはハリウッドでした。通訳をつけるかと聞かれましたが、いや、僕の英語についてきてくれと返しました。語学は海外に出るベースになります。しっかり身につけて海外に雄飛してほしいですね。

(2021年11月29日、駒場18号館ホールにて)

『嘘喰い』
相手の嘘を見破れなけば即死という究極の騙し合いデスゲームを描く。原作は週刊ヤングジャンプで連載された迫稔雄の漫画作品。ババ抜き、ルーレット、脱出ゲーム、ポーカー……。どんなイカサマも見破る天才ギャンブラーの主人公を横浜流星が演じる。https://wwws.warnerbros.co.jp/usogui-movie/

撮影/貝塚純一

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