ジュリスト増刊 ケース・スタディ 生命倫理と法 [第2版]
本書は、生命倫理と法の関わりを、医師と法律家など多職種の専門家が仮設例について議論することにより明らかにしようとした試みである。そもそもは2002年から5年間文科省の支援を受け新たな学術創成プロジェクト「生命工学・生命倫理と法政策」に発する。そこでは、法学部教員が中心になって医学部その他の専門家と一緒に、生命倫理や生命工学における新たな課題を探求する企てが行われた。その中で、医師と法律家が対話する機会を作ることにして、10数題の課題について連続ディスカッションの場が設けられ、それをジュリスト誌上に連載する企画を立てた。
毎回、法律家や医師その他の専門家が集い、ある仮設例をめぐって議論する。たとえば、CASE 1は、遺伝病と診断された患者がその事実を家族等に知らせないでくれと求めた場合、医師はどうすべきかが問題とされる。この時、どのような要素を考慮しいかなる考え方を適用して医師が目前の難題に立ち向かうべきかにつき、参加者からさまざまな観点が提示される。その際に、法的な観点、法的な思考の意義と限界が問い直される。そもそもこのような問題に対する法的なアプローチとはどのようなものか、それは医療専門家その他の非法律家の思考とどのように異なり、交わり、あるいは補完し合うのか。
より具体的にいえば、CASE 1の示すものは、法の定める医師の守秘義務は非法律家が想像し期待するのに反して、その内容が明確でも何でもないこと、そもそもこのような事例で刑法に定める守秘義務を持ち出すこと自体の意義が疑われることである。法ではなく医療倫理・生命倫理が担うべき役割が明らかになる。では、法は、このような課題で負うべき役割がまったくないのかが次の課題となる。目次に示すように、生命倫理の課題は多岐にわたる。多種の専門家が一堂に会して具体的な問題について議論を積み重ねることの重要性と面白さを明らかにしたところが、本書の最大の意義だと自負している。このような試みは、少なくとも法学者が介在するものは、これまできわめて少なく本書の試みはユニークだったが、今後は「当たり前のこと」になることが期待される。
本書は、2004年に開始された法科大学院で実際の教材として利用された。可能なら、授業自体も医学部生と法科大学院生とで一緒に議論する形のものを行いたかったが、それは実現できなかった。しかし、新設の法科大学院には医師や薬剤師や看護師などの経験を有する人も集い、毎年の授業で大きな役割を果たしてくれた。
本書は2004年に初版が刊行され7年で完売したために、2012年に第2版が出され、その際に、発展めざましい脳神経科学やES細胞研究と法の関わりなど新たな問題が付け加えられた。
(紹介文執筆者: 法学政治学研究科・法学部 教授 樋口 範雄 / 2016)
本の目次
CASE 1 遺伝病の告知
辻 省次、武藤香織、樋口範雄
CASE 2 医療事故情報の警察への報告
加藤紘之、児玉安司、佐伯仁志
CASE 3 終末期医療のあり方 - 延命治療に関する判断枠組み
大内尉義、岩田 太、佐伯仁志
CASE 4 医業独占 - 救急救命士と医療行為
島崎修次、山口芳裕、柳沢厚生、樋口範雄
CASE 5 生殖補助医療の規制問題
吉村泰典、米村滋人、渕 史彦
CASE 6 患者の権利・胎児へのリスク
木戸浩一郎、土屋(岸本)裕子、旗手俊彦
CASE 7 知的障害者の不妊手術
門脇 孝、玉井真理子、岩田 太
CASE 8 看護師の良心と弁護士の役割
佐藤紀子、蒲生 忍、両角吉晃
CASE 9 人体試料・遺体・検体の取扱い
森 茂郎、武市尚子、児玉安司
CASE 10 臨床研究・臨床試験のあり方
荒川義弘、佐藤恵子、早川真一郎
CASE 11 臓器移植と脳死をめぐる問題
菅原寧彦、東方敬信、安部圭介
CASE 12 血液製剤と限られた資源の配分問題
幸道秀樹、米村滋人、畑中綾子
CASE 13 脳神経科学と法
神作憲司、磯部太一、レベッカ・ドレッサー
CASE 14 再生医療と法
谷 伸悦、厚労省臨床指針、レベッカ・ドレッサー
CASE 15 自己決定権
マーシャ・ギャリソン
生命倫理と法 - ケース・スタディから見えてくるもの
樋口範雄