東京大学教員の著作を著者自らが語る広場

薄いレモン色の表紙の真ん中に生徒のイラスト

書籍名

翻訳教育

著者名

野崎 歓

判型など

224ページ、四六変形

言語

日本語

発行年月日

2014年1月30日

ISBN コード

978-4-309-02251-2

出版社

河出書房新社

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翻訳教育

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著者には『赤ちゃん教育』という一冊がある (青土社 2005年。のち講談社文庫 2008年)。これは中年に到って初めて赤ん坊とつきあうこととなった仏文学者の周章狼狽を、過去のさまざまな作家・詩人たちの赤ん坊との関係と対比させつつあぶり出したエッセイで、著者にとっては愛着のある一冊なのだった。本書はその延長線上で、仏文学翻訳者の懊悩と苦悶に満ちた日常を、東西の文学・芸術作品にあれこれと言及しつつ描き出したものである。要するにユーモラスな読み物として楽しんでいただければこれに優る喜びはないという気持ちで書かれた本である。ただし著者には文学研究者としての意地もあるので、ところどころに卓見をちりばめた内容にしたいとひそかな気負いもあったが、結果としてはやはり気軽なエッセイの域を出ていないかもしれない。森鷗外、グスタフ・マーラー、ゲーテ、堀口大學、山田𣝣、ボリス・ヴィアン、ミシェル・ウエルベック、ジャン=フィリップ・トゥーサン、ジェラール・ド・ネルヴァルといったところが本書の "スペシャル・ゲスト" たちである。そうした固有名詞に関心をそそられる向きはぜひ手に取ってみていただければと思う。とりわけ、翻訳という営み (の実態) に興味がおありの方には面白がっていただけるのではないだろうか。
 
以下「まえがき」より。「翻訳者は作者との同一化をめざす。近代日本文学のパイオニアたちによれば、それこそが翻訳者の心得るべき態度なのだった。「行住坐臥、心身を原作者の儘にして」訳す。「是れ実に飜訳における根本的必要条件である」と二葉亭四迷は述べている(「余が翻訳の標準」)。森鷗外は「作者が此場合に此意味の事を日本語で言ふとしたら、どう言ふだらうか」と思ってみて、そのとき心に浮かぶまま訳したと『ファウスト』翻訳について語っている。これもまた「心身を原作者の儘に」した例だろう。そうした真摯な構えは、現代の翻訳家たちにまで脈々と受けつがれている。/ とはいえぼくの場合は、原作者と自分を同一視するという以上に、むしろ翻訳者たちへの憧れや同一化のほうがモチベーションとなり、この道を選ぶことになったような気もするのである。それは翻訳者の存在がちゃんと目に見え、おもてに出ている日本ならではの事態だったかもしれない。世界文学全集のたぐいを読むのに深入りしていったころ、そこに顔写真つきで紹介されている訳者の先生たちにおおいに興味を惹かれた。そのなかには翻訳ばかりでなく、文学や映画について評論を書いたり、詩や小説を発表したりしている人が多く含まれていた。文学、芸術との多面的なつきあい方が何ともうらやましく思えた。そして翻訳とはそうしたいろいろな方向に開かれた仕事であるに違いないと考えたのだった。/ そんなふうに信じ、訳し続けて何十年もたってしまった。その結果、すべては翻訳の延長線上にあると実感している。」
 

(紹介文執筆者: 人文社会系研究科・文学部 教授 野崎 歓 / 2016)

本の目次

まえがき
1 翻訳の大いなる連鎖
2 翻訳者の情熱と受苦
3 ロマン派の旗のもとに
4 再現芸術としての翻訳
5 偉大な読者たち - マーラーと鷗外
6 永遠に女性的なるもの?
7 翻訳教育
8 合言葉は「かのように」
9 トランスレイターズ・ハイ
10 翻訳の味わい
あとがき

関連情報

覚え書:
今週の本棚: 湯川 豊・評『翻訳教育』= 野崎 歓・著 『毎日新聞』 2014年04月13日 (日) 付
http://d.hatena.ne.jp/ujikenorio/20140414/p3

UTOKYO VOICES 001 (2018年01月09日掲載)
人生の軸となる古典文学の復興を目指す | 大学院人文社会系研究科・文学部 教授 野崎 歓
http://www.u-tokyo.ac.jp/ja/news/topics/topics_z0508_00077.html

 

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