グローバル化時代の重要テーマとして、宗教はその一角を占めている。ところで、宗教は研究対象として厄介である。キリスト教的な「宗教」概念が、西洋近代が主導する「世俗」の時代に世界へと伝播されたが、現代の研究はそのことに反省を加える位置に立つ。もはや何が宗教で、何が宗教でないのかは自明ではない。また、宗教研究は神学以来の分厚い蓄積に加えて、社会学、人類学、哲学、歴史学、政治学、精神分析など多様なアプローチがある。その多様性には目がくらむほどだ。
本書の原書は、フランスを中心に世界の一線で活躍する約200名の研究者を集め、約360の項目を設け、総合的な人文社会科学の手法で「宗教事象」を批判的に構築しながら論じている。すべてを訳すことはさまざまな点で現実的ではなかったので、編訳者が訳すべき項目を選定した。重視したのは、現代世界の宗教事象を理解するうえで重要と思われる項目、フランス語で書かれていることによって内容の特徴がよく出ていると評価できる項目である。
グローバル化時代には、日本語を母語とする研究者も、英語による研究成果の積極的な発信を奨励される。もちろん英語に堪能になれればいいのだが、なかなか母語話者のようにはいかない。独自の見方をするには、対象構築のための複眼を作る戦略が有効だ。もうひとつの普遍語であるフランス語は英語とは異なる世界像を持っており、日本の研究にとっても裨益するところが多い。
日本の宗教学は、英米系の批判理論は敏感に取り入れてきたが、フランス系の研究動向の咀嚼消化はあまり進んでいない。他方、日本のフランス研究は現代思想の層が比較的厚く、また歴史学の蓄積も大きく、特に近年は宗教的なものへの関心の高まりも見られるが、宗教学的研究とのネットワークは必ずしも構築されてこなかった。この事典を読むという探索を通じて、それぞれの研究者がこれまで培ってきたアプローチの特徴を再把握するとともに、グローバル化する研究の世界で通用するような新しい複合的なアプローチを開発することができたら、それは本書の最高の用い方ということになるだろう。
本書は分厚いが、調べる事典というよりは、項目ごとに読む事典という性格が強い。各項目の執筆者の多くは、事項を研究対象として自明視しつつ徹底的に調べてまとめているというわけではない。むしろ、対象をどのように意識的に構築するかという問いを抱えながら、ひとまず語ってみるという調子で書いている。その対象の画定の現場に立ち会うようにして読み、どのような角度から論じているのかを精査するならば、自分だったらどのように書くかというヒントも大いに得ることができるだろう。
(紹介文執筆者: 総合文化研究科・教養学部 准教授 伊達 聖伸 / 2020)
本の目次
凡例
まえがき
アンテグリスム [保守十全主義]
イスラーム主義
イデオロギー
インカルチュレーション [文化内開花、文化内受肉]
オリエンタリズム
回心・改宗
記憶と伝達
共同体主義
儀礼 (儀式、儀式性)
供犠、犠牲
国際調査
国家
死
ジェンダー
自然宗教
資本主義
市民宗教
宗教 (歴史文献学的アプローチ)
宗教学
宗教教育機関
宗教史
宗教事象
宗教社会学
宗教性
宗教的近代
宗教的マイノリティ
宗教哲学
宗教の人類学
宗教の民族化・人種化
植民地化
神秘主義
神話
精神分析
性、セクシュアリティ
聖戦
聖像 / イコン
聖 / 俗
聖地
生命倫理
世界化 / グローバル化 / トランスナショナル化
セクト
世俗化
世俗宗教
戦争
葬式 (の実践)
多元主義
多神教と一神教
魂 / 身体
ディアスポラ
哲学と神学
伝統、伝統主義、新・伝統主義
内在 / 超越
ナショナリズム
非キリスト教化
ファンダメンタリズム
フェティシズム
不可知論と無神論
不寛容/寛容
フランスの調査
文化 (としての宗教)
文化触変
法と宗教 (間規範性)
民族的・宗教的憎悪
ライシテ / ライシテ化=脱宗教化
倫理 / エートス
礼拝の場
若者の宗教的な社会化
人名索引
事項索引