アジア仏教美術論集 東アジアIII 五代・北宋・遼・西夏
700ページ、A5判、上製カバー装
日本語
2021年2月
978-4-8055-1132-9
中央公論美術出版
2017年から刊行が始まったアジア全域にわたる仏教美術シリーズ全12巻の8冊目です。中央アジア、チベット、インド、東南アジア、朝鮮半島のうち中国には五巻があてられ、東アジアIが後漢~南北朝、IIが隋唐、IIIが北宋、IVが南宋、そしてVが元明清巻へと続き、来年度末に完結予定です。
約6年前、監修者である板倉聖哲教授から「今回、北宋と南宋を分けて仏教美術の本を作ってみようと思うんだけど」という構想を聞いた時、「ん?それは無理では?」と驚きました。というのも中国の仏教美術は雲崗や龍門石窟、そして敦煌壁画などが制作された南北朝から隋・唐時代が黄金時代で、山水画や書法など士大夫の芸術がでてきた宋代以降は「すでに強弩の末 (強い弓が衰えること)」(大村西崖、1925) であり、見るべき名品は存在しない、というのがいわば学界の「常識」であったからです。しかし、近年の中国における驚くべき考古学的発掘の成果は、これら従来の士大夫中心の中国美術観を覆しつつあります。北宋皇帝がインドの仏教聖地へ寄進を行っていたことや、士大夫と民衆たちが各地で大規模な仏教活動を行ってきたことが次々と明らかになり、文字史料だけでは知られなかった「モノ」がしめす新たな歴史像が見えてきました。この論文集では遼・西夏・チベットなど周辺地域をふくむ専門家から17篇の論考が集まりました。
書物を編纂するとはそれまで誰もが見たことのなかった世界を「見える化」することでもあります。私自身も (山水画を研究していましたので) 北宋の仏教美術で1冊の本ができるとは当初は信じていませんでしたが、今回まさに中国に伝来してのち、石窟や寺院の仏像・仏画のみならず、建築、工芸、印刷、墓葬、書画に至るまで様々なメディアを通じて人々の生活と社会のなかに仏教が浸透し、唐から宋への大きな社会変革のなかで変化していったこと、つまり「北宋」の「仏教美術史」の存在が、鮮やかに浮かび上がってきたのです。
そこで論じられた問題は、図像や信仰、流通や消費、空間性の問題など様々です。かつて中国大陸の仏教美術を本格的に調査・紹介したのは、東京帝国大学工学部の関野貞と東方文化学院 (一部分が東洋文化研究所へ継承) の常盤大定による大正九年 (1920) より五回におよぶ中国調査でした。その成果は関東大震災 (1923) の苦難を経て、『支那佛教史蹟』(1925~1928年) および『支那文化史蹟』(1939~1941年) として刊行されましたが、それからちょうど百年後、日本の中国研究も世界の学術環境も大きく変化するなかで発刊されたこの本を、関野・常盤両先生はどのように見てくれるでしょうか。「自分たちが調査した時は仏塔の場所を探し当てるのに何日もかかったのに、まさか21世紀にその地下からこんなものが発掘されるとは」「北宋で仏教美術史の本ができるとはね!」と驚いてくれたら、ものすごく嬉しく思います。
(紹介文執筆者: 東洋文化研究所 教授 塚本 麿充 / 2021)
本の目次
I 五代・北宋初期における仏教美術―継承と発展
宋の経絵について 須藤弘敏
北宋の舎利信仰の美術と日本 内藤 栄
『御製秘蔵詮』版画の山水表現とその思想性について 竹浪 遠
清凉寺釈迦如来像の胎内に見る信仰世界 長岡龍作
唐宋代における仏牙舎利の〈発見〉 西谷 功
五代・北宋期における熾盛光道場本尊図像の形成と伝播―温州白象塔星宿神塑造をめぐって― 谷口耕生
II 北宋の士大夫、民衆と仏教美術
仁和寺孔雀明王像とその周辺 増記隆介
図像における重層的寓意―宋金代の墓葬中の孝子故事図について― 鄧菲(田林 啓 訳)
大足石刻の環境と永続する儀礼―石篆山を中心に― フィリップ・ブルーム(高志 緑 訳)
宋代における玄奘の聖化―図像・文物と遺跡― 劉淑芬(森橋なつみ 訳)
流れ圜悟の伝来について 富田 淳
III 遼・西夏・チベットの仏教美術
遼と北宋における舎利塔への蔵経 沈雪曼(瀧 朝子 訳)
契丹北域の塼塔に関する一試論 藤原祟人
遼墓出土の裸形着装木偶をめぐって 根立研介
西夏版仏典の扉絵に関する再評価 黄士珊(趙 玉萍 訳)
安西楡林窟第三窟文殊菩薩像・普賢菩薩像壁画考 西林孝浩
ダタン寺(扎塘寺)主殿造像の配置とその意味―11-13世紀におけるチベット仏教と仏教芸術の構成― 謝継勝(西林孝浩 訳)
あとがき(板倉聖哲)/執筆者一覧