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建物の空中写真

書籍名

Routledge Research in Architecture Open Architecture for the People Housing Development in Post-War Japan

著者名

MATSUMURA Shuichi

判型など

182ページ

言語

英語

発行年月日

2021年3月31日

ISBN コード

9780815361565

出版社

Routledge

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学内図書館貸出状況(OPAC)

Open Architecture for the People

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時代の状況に応じて、徐々に人々の主体性の発揮される場面が増え、多種類になってきたのが、居住環境形成分野での「民主化」である。そして、その意味でこの分野の「民主化」には、時代に応じた段階がある。それを本書では「世代」と呼ぶことにする。近代以降の居住環境形成分野での「民主化」には、大きく分けて3つの世代がある。
 
第1世代の民主化
第1章では、第1世代の民主化を扱う。この世代は建築にとっての近代と言い換えても良い。産業革命がもたらした工業生産力の飛躍、近代国家と国民という概念の定着。それらがくっきりとした背景を描いていた世代である。
 
この世代の建築は、他分野、特に工業分野の進展に大きな刺激を受けた。人々が、民主主義の担い手に相応しく近代的な生活を送れるような「箱」を遍く届けること、それが当時の、つまり第1世代の民主化の目標とする状態だった。グロピウスやコルビュジェ等の若い世代の建築家、「モダニスト」と総称される彼らもこの世代を象徴する存在だったし、量産に向いた鉄筋コンクリート造、鋼構造、ツーバイフォー構法等を発明した技術者たちも、それを利用して新しい事業形態を生み出した企業家たちも、この世代に明確な形を与える存在だった。
 
第2世代の民主化
第2世代の民主化への世代交代は、それまで1方向に猛進してきた近代がもたらした戦争、環境破壊、人間軽視の効率主義等の深刻なひずみを顧み、その状況から抜け出そうとする脱近代の時代精神の表れだったとも言える。
 
例えば、プロトタイプの提示とその量産という第1世代の民主化を代表する活動形式が飽きられ、批判の対象にもなる中で、輝きを持ち始めていた「ヴァナキュラー」と「システム」という二つの概念。近代が軽視してきた、人々の日々の営みや、地域という空間での生活価値の共有を再評価し、そこに学ぼうとした「ヴァナキュラー」路線と、工業化の成果を利用しながらも、人々がもっと主体的に居住環境形成に関われるように、選択の多様性や参加の可能性を求めた「システム」路線。
 
「建てる自由」を主張した第3世界のハウジングの理論家ジョン・ターナーの構想と、各地でのセルフビルドの実践。建築のプロセスを開かれ共有されたものにする革新的な方法を、「パタン・ランゲージ」として提示したクリストファー・アレグザンダーの新たな職能論、スチュアート・ブランド等の「ホール・アース・カタログ」、ニコラス・ジョン・ハブラーケンのマス・ハウジングに代わる方法論も、第2世代の民主化を代表する活動や言説として取上る。
 
そして、第1世代の真只中にありながら、一気にシステムを飛び越えて、決して闘争的ではないこと、“Unselfconsciousness (自意識を持たないこと)”を標榜しつつ、システム化されない自由という第3世代に繋がる態度の可能性を、自邸において開いて見せたイームズ夫妻。これも第2世代の民主化を代表するものとして位置付けるべき重要な実践であった。

日本の「箱」の産業の到達点
第2世代の民主化の時代、「箱」の産業はその形を整え、体制と闘う感覚や脱近代という意識とは無縁のところで、一筋縄ではいかない市場の現実に対応する中で、結果的に生活者が様々な選択肢を与えられ、自らの居住環境形成により主体的に参加できる状態に到達した。第3章では、そのことを最も端的に示す住宅産業を例に採る。
 
1970年代になると、人々は初期の箱の産業による民主化の状態には飽き足らなくなっていった。例えば、1960年代のプレハブ住宅の多くは、サイズや外観等の種類がごく限定されていたし、マンションや団地の間取りは同じものの繰り返しだった。もっとそれぞれの住み手の要望に合わせて自由にならないのか。それが1970年代の住宅産業の課題になっていった。
 
1980年代以降にそれまでできなかったおおくのことが実現された訳ではないが、プレハブ住宅のサイズ・外形等の自由度は以前とは比べられないほどに増え、1990年代には工場での邸別生産方式の導入が始まり、管理している部品の種類が数百万点を超えたというメーカーも現れるほどになったし、マンションでも一つの住棟に組み込まれる住戸プランの種類は格段に増えていき、2000年代には、住み手による間取りや仕様の変更を受付けるサービスも広く見られるようになった。
 
第3世代の民主化
さて、ここまでは「箱の産業」の時代の民主化である。端的に言えばそれは、生活者の選択の自由を拡大することであった。しかし、それはあくまでも生産者が主導する市場での選択についてである。選択肢がいくら増えたとしても、自分の暮らしを組み立てるのに、ありきたりな市場で選択した物やそのセットだけに頼ることで足りるのだろうか。
 
確かに、生き方や暮らし方がかなりの程度ステレオタイプ化していた高度経済成長期であれば、それでも足りたかもしれない。しかし、家族の形態、就労の形態、ライフワークバランス等が多様化し、全く経験のない人口減少局面と長寿社会を迎え、人それぞれに生き方や暮らし方を探し求める現代にあっては、それでは明らかに足りない。従来市場に流通していなかったような空き家や空きビルを見出し、個別性の高いリノベーションを行って、そこに生き方や暮らし方、働き方の新しい形を埋め込み始めた「場の産業」の先駆者たち、その主役である生活者の創造性は、居住環境をめぐる民主化が次の段階に移行しつつあることを表している。そこでの主題はもはや「箱」ではない。主題は、既にあり余る程に存在する「箱」を空間資源として捉え、どのように新しく豊かな暮らしや仕事の場に仕立て上げるかということであり、わかりやすく言えば「箱」というハードウェアの問題ではなく、そこに入れるソフトウェア、コンテンツ、即ち人の生き方の問題なのである。
 
21世紀の日本で動き出した第3世代の民主化は、まだまだ多様な展開を見せている最中である。しかも、その核になる部分には人の生き方がある。だから、それを分類してみたり総括してみたりすることは重要ではない。そこで、第4章は、私の知る事例をルポルタージュ風に紹介する形を基本にした。
 
作法
私が第3世代の民主化と名付けている新たな動きについて強く感じているのは、それが人の生き方の問題であるから、何か共通項を見つけて類型化したり、合目的的な方法にまとめようとすると、途端に第2世代的なものに逆戻りするのではないかという危険である。少なくとも、今の段階ではそうだと思う。
 
5章では、成果のとりまとめ、即ち目的の明確化とそれに対応する方法の提示を行うのが私のような職業の者の常道なのだが、それは避けることにした。そこで用いたのが、明確な目的を前提としない「作法」という言葉である。第5章では、「圧倒的な空位間資源を可視化する」、「利用の構想力を引き出し組織化する」、「場の設えを情報共有する」、「行動する仲間をつくる」、「まち空間の持続的経営を考える」、「アレとコレ、コレとソレを結ぶ」、「庭師を目指す」、「建築を卒業する」、「まちに暮らしと仕事の未来を埋め込む」、「仕組みに抗い豊かな生を取り戻す」という10個の作法を用意した。
 

(紹介文執筆者: 工学系研究科 特任教授 松村 秀一 / 2022)

本の目次

Preface: Why I chose to discuss open architecture
Acknowledgements
Introduction: Three phases of open architecture – phases of “way to be opened”
 
Chapter 1:
The initiatives of the government and the industry – 1950-1973
Chapter 2:
An initiative to pay attention to people – 1973-1986
Chapter 3:
The inclusion of customers organized by the industry -1986-2000
Chapter 4:
Connecting with ways of life can give the initiative to the people in the 21st century
Chapter 5:
The development of the third phase of open architecture
Chapter 6:
Open architecture ahead – to play with vacant buildings
 

関連情報

書評:
'Too little attention has been paid in English language publications to contemporary developments in Japanese architecture and built environment, aside from the "starchitects" or the embattled vernacular traditions. Yet inside Japan, a lively discourse is ongoing into much deeper transformations of Japanese architecture. At a time of depopulation and resource limits, coupled with a deep cultural reverence for traditional social structures, Japanese architectural production is subtly but inexorably changing. This book makes a significant contribution to understanding these transformations.' - Stephen Kendall, PhD (MIT’90 – Design Theory and Methods), Emeritus Professor of Architecture, Ball State University, Co-Director, Council on Open Building
 
"In conclusion, the book provides informative reading, especially for people unfamiliar with architectural trends in Japan today." - Yura Kim, Chubu University, Japan (excerpt from Traditional Dwellings and Settlements Review)

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