本書は、1980年に角川小辞典の1冊として刊行された原著に校訂と解説を加え、角川ソフィア文庫から復刊したものです。校訂には、本学大学院総合文化研究科教授の田口一郎先生とともにあたりました。田口先生も私も学生時代に原著のお世話になった世代で、再版もされずに古書店で高値がついているのをつねづね残念に思っていましたから、依頼があった時は一も二もなくお引き受けしました。
漢文の参考書は数多くありますが、これほどの文例を集めたものはなかなかありません。語法の説明も、清朝や江戸の学者の解釈を参照しつつ、合理的でわかりやすく、高校で履修したレベルの漢文の読解力をさらに一歩先に進めるためには必携と言える語法書です。もちろん40年前の本ですから校訂は必要でしたが、できるかぎり原著の意をそこなわないよう努めました。漫然と読み流さず、文例をしっかり活用すれば、訓点 (送り仮名と返り点) も句読点もない白文を読みこなす専門的な読解力を身につけることもできるでしょう。
受験参考書などでは、漢文は重要句形といくつかの文脈のパターンを覚えるだけで点数がとれる効率的な科目であるとしばしばうたわれます。訓点がついている漢文であれば、あるいは試験時間内で読めるように整えられた漢文であれば、そうかもしれません。でも漢文を読むおもしろさは、その先にあります。効率のよい読み方とは、誰かがその文を読んだ痕跡としての送り仮名や返り点をそのままたどるに過ぎません。むしろ、送り仮名を外し、返り点を外し、最後は句読点も外して文例をていねいに読む。そうしているうちに、格助詞も動詞の活用もない漢文という書記言語がどのようにして論理を組み立て事象を叙述しているかが見えてきます。
また、現在では漢籍の文字データや画像が大量に公開されていますから、それぞれの文例がどのような文脈におかれているのか、これまでどのように訓読され解釈されてきたのかを知るのも、原著発行時とは比較にならないほど容易になっています。文例の追加も同様です。私が原著で学んだころは、文例を白文でノートに書き写すくらいが関の山でしたが、いまはそれ以上の活用法がいろいろあります。試してみてください。
かつて漢文は思考と叙述の基盤でした。現在の私たちのことばは、いくら漢語を使っても、その基盤は漢文から離れています。文語体で読み書きすることもありません。敢えて言えば、いまの社会は流暢に英語を話す能力に価値を置いているようです。しかしだからこそ、私たちは漢文に沈潜する自由を得たとも言えます。長い歴史と多くのヴァリアントをもつ漢文の世界にどのような価値を見出すかは、それぞれに委ねられています。本書はそのよきガイドになることでしょう。
(紹介文執筆者: 人文社会系研究科・文学部 教授 齋藤 希史 / 2024)
本の目次
第1節 主語-述語/第2節 述語-賓語など/第3節 述語-補語/第4節 有り 無し 多し 少なし/第5節 副詞的修飾語/第6節 副詞の一 皆・尽・悉・独/第7節 副詞の二 自/第8節 副詞の三 相/第9節 副詞の四 初・新、初・始/第10節 副詞の五 又・亦・復・猶・尚・且/第11節 否定 不・非/第12節 介詞/第13節 介詞の賓語の省略/第14節 謂について/第15節 謂之・之謂/第16節 倒装法/第17節 大主語・提示語・副詞的修飾語/第18節 助動詞的な語
II 者と所
第19節 者と所についての概説/第20節 者について/第21節 所について/第22節 副詞と「所」との位置/第23節 唯…所…/第24節 誓盟の辞の所不…者、有如…/第25節 所以・所与・所為など/第26節 所の用法の異例/第27節 所字が省略されている場合/第28節 所辞余説
III 特殊な形式
第29節 仮定/第30節 被動/第31節 比較/第32節 使役の形式/第33節 否定の形式/第34節 部分否定と全面否定/第35節 疑問・反語・詠嘆/第36節 況・矧(いはんや)
IV 語音・語義
第37節 双声・畳韻/第38節 文字の繁省/第39節 仮借/第40節 対異散同/第41節 複語/第42節 複義偏用・互文・省文
解説 齋藤希史
索引
関連情報
リエゾントークIV:本とつきあう──『漢文の語法』復刊をめぐって (東京大学ヒューマニティーズセンター 2023年4月28日)
https://hmc.u-tokyo.ac.jp/ja/liaison-talk/2023/book-reprint/