本書は、2022年度末をもって早稲田大学を退職した李成市氏の同大学退職記念論文集である。植田喜兵成智、澤本光弘、橋本繁、三ツ井崇の4人の編集委員が主導し、直接・間接的に李成市氏の薫陶を受けた11名および李成市氏を含めた執筆者による12編の論考を集めた。全体の構成は大きく「史学史・史論篇」と「古代史篇」の2編からなり、古代史から現代における歴史認識まで広いテーマにわたる論考を集めた。
三ツ井は本書において、「史学史・史論篇」収録の「読み誤った差別解消の論理―喜田貞吉の「日朝同源論」と朝鮮認識再考」を分担執筆した。本論文は、近代日本の歴史家喜田貞吉 (きた・さだきち / 1871-1939) の「日朝同源論」(以下、同源論) の性格について論じたものである。
同源論は、有史以前における日本と朝鮮半島との民族的 (あるいし人種的、言語的) 一体性を説く近代日本の歴史言説で、喜田もその主唱者の一人として有名である。同源論は、韓国併合 (1910年) とその後の日本による朝鮮植民地支配を正当化する言説として機能したため、戦後 (1945年以後) の史学史のなかでは「植民史学」の典型として批判されてきた。本論文では、同源論のこのような政治的機能についての批判的視角は維持しつつも、これまでの同源論批判、喜田批判が多様な研究テーマに取り組んだ喜田の論理を丁寧に追えていないのではないかという問題意識から、喜田の言説をいま一度整理し、位置づけし直すことを試みた。
まず、喜田の同源論言説を、[1] 韓国併合前後の時期、[2] 三・一運動 (1919年) 後の2つの時期に区分した。具体的には、[1] については資料の提示などを精緻に行うというよりは、レトリックを多用し、「日本民族」の「雑種」性を強調しつつ、韓国併合の正当化することに目的があったこと、[2] については三・一運動で噴出した差別の構造とそれに対する朝鮮人の不満の現状を意識しつつ、同源論の骨格が形成されていったことを明らかにした。
次に、喜田が、とくに三・一運動時及びそれ以後において、朝鮮人に対する差別の存在を認識せざるをえなくなり、同源論がその差別解消の論理となることを頑強に主張していった点に注目して、その背景について考察した。具体的には、喜田が関与した被差別部落問題に対する認識に注目した。喜田は、異人種として差別対象となっていた被差別部落民を歴史的に解釈し、彼らの存在を人種とは無関係であることを明らかにし、同じ「民族」として「帝国」へと統合、包摂することで、差別を打開しようとした。喜田の同源論は、同じ論理をもって朝鮮人を同一「民族」として統合、包摂することが差別解消につながるという信念のもとに展開されたものであった。しかし、これは日本の支配からの独立を願った朝鮮人のナショナリズムとは相容れない論理であった。本論文では、喜田は被差別部落民の差別解消の論理をそのまま朝鮮人に対しても適用してしまい、朝鮮人に対する差別解消の論理を読み誤ったものと結論づけた。
(紹介文執筆者: 総合文化研究科・教養学部 教授 三ツ井 崇 / 2023)
本の目次
研究業績一覧 (同上)
序 (同上)
第一篇 史学史・史論篇
朝鮮古代史研究から東アジア史への展望 (李成市)
旗田巍の中国村落研究とその韓国史叙述への影響 (朴俊炯)
一九三〇年代、金毓黻と竹島卓一の遼[契丹]・高句麗遺跡踏査 (澤本光弘)
読み誤った差別解消の論理――喜田貞吉の「日朝同源論」と朝鮮認識再考 (三ツ井崇)
三国文化日本伝播論の形成と変容 (李炳鎬)
韓国からみた東部ユーラシア論 (鄭東俊)
第二篇 古代史篇
高句麗始祖廟祭祀考――祭祀記事の批判的検討と高句麗王系 (井上直樹)
百済始祖「温祚」伝説の再検討 (韓相賢)
「安羅国際会議」開催と参加国の目的 (朴珉慶)
高句麗に対する隋・唐代の「島夷」比喩について (金辰)
高欽徳墓誌にみえる「渤海」と「建安州都督」の意味 (植田喜兵成智)
永川・菁堤碑貞元銘よりみた統一新羅の王室直轄地支配と力役動員 (橋本繁)
執筆者紹介
関連情報
[李成市教授退官講演]アジア研究所 / 朝鮮⽂化研究所:講演会『古代史、国⺠国家、そして越境する⺠』講 (早稲田大学 2023年2月25日)
https://www.waseda.jp/inst/oris/news/2023/01/26/4704/