古代オリンピックの知られざるリアル|橋場 弦|オリパラと東大。
~スポーツの祭典にまつわる研究・教育とレガシー
半世紀超の時を経て再び東京で行われるオリンピック・パラリンピックには、ホームを同じくする東京大学も少なからず関わっています。世界のスポーツ祭典における東京大学の貢献を知れば、オリパラのロゴの青はしだいに淡青色に見えてくる!?
西洋史学 |
古代オリンピックの知られざるリアル
オリンピックといえば普通は近代オリンピックのことですが、昔はそうではありませんでした。目的、実施競技、開催国、勝者への褒美……と、現代から見ると意外な部分が多い、でも参考にすべき点も多いのが、古代のオリンピアの祭典です。2020大会を迎えるのは、古代ギリシア史の研究者による解説を読んでからにしておきましょう。
教養学部前期課程の講義をもとにした『学問としてのオリンピック』(橋場弦・村田奈々子編/山川出版社)。橋場先生のほか、ギリシア哲学の納富信留先生やバイオメカニクスの深代千之先生なども執筆
紀元前776年の第1回大会から、紀元後393年の第293回大会まで、1200年近くにわたって、ギリシアのオリンピアの地で行われた祭典が古代オリンピックである。世界的な運動競技祭を4年に一度開催するというアイデアを、もしギリシア人が思いつかなかったら、私たちは今日、オリンピックの楽しみに浸ることもできなかったわけである。
古代オリンピックは、4年ごとの夏至のあと二度目か三度目の満月の前後、今日の8月上旬ごろに開かれた。当初の種目は、1スタディオン(約190メートル)を走る短距離走のみであったが、やがて他の競技が順次付け加わり、紀元前5世紀までに競技種目が完成する。短距離走、中距離走、武装競走など各種トラック競技をはじめ、最も人気があった四頭立て戦車競走、レスリングやボクシングなどの格闘技、またフィールド競技としてはいわゆる古代五種競技(やり投げ、円盤投げ、幅跳び、短距離走、レスリング)があった。
近代オリンピックとの最大のちがいは、古代オリンピックが神々の父であるゼウスに捧げられた、宗教的祭典だったということである。ギリシア人は宗教の本質を、神々と人間との互恵関係として理解していた。神々が繁栄と幸福をもたらしてくれる返礼として、人間は神々にさまざま贈り物をする。オリンピックは、人間がゼウスに奉納する最大級の贈り物なのである。
大会の主催国は、オリンピアからやや北西に位置するエリスという小国が務めた。エリスはアテナイ(アテネ)やスパルタに比べてはるかに弱小で、しかも発展の遅れた国であった。だが逆に、大国の意向に左右されず、政治的に中立を保ったということが、かえってオリンピア祭の威信を高める要因になったのである。
プロ選手の参加を禁止するという発想は、古代のどこにもなかった。英語のアスリートの語源であるギリシア語アトレーテースathlētēsは、本来「賞品athlonをかけて競う者」を意味する。つまりギリシア人の通念に従えば、賞品目当てに争うからこそ競技選手であった。現にアテナイには、オリンピックの優勝者に500ドラクマという巨額の報奨金を与えるという法律があった。
とはいえ、オリンピアで優勝者に与えられる正式の賞品は、神域に生えるオリーブの若枝を編んで作った冠ただひとつであった。金目のものではない、栄誉そのものを与えたからこそ、オリンピアの国際的な威信は保たれた。
大会開催中、参加国はオリンピックの聖なる休戦(エケケイリア)を守り、オリンピアへの往還と神域における武力行使を堅く戒めた。それは、世界平和の実現を目指す理念などではなく、大会の安全な開催を確保するための現実的な取り決めであった。
周知の通り、近代オリンピック120年の歴史には、2度の大戦による大会中止をはじめ、テロによる選手殺害事件(1972年)や、大国によるボイコットの応酬(1980年、1984年)などの出来事があった。他方、その10倍に相当する1200年もの永きにわたり続けられた古代オリンピックにおいて、戦争が原因で大会が中止されたことは、ただの一度もない。神々への敬虔が、それを許さなかったのである。
商業主義とグローバル資本の論理に翻弄される現代のオリンピックは、どこに向かうのか。金銭を超えた聖なる価値を、オリンピックが見失うことのないよう祈りたい。