蔵出し!文書館 第7回

蔵出し!文書館
収蔵する貴重な学内資料から
140年に及ぶ東大の歴史の一部をご紹介
 
 

第7回 夏目先生の教歴をたしかめませう

  夏目漱石が『吾輩は猫である』を執筆したのは1905年から1906年にかけてのこと。東京帝国大学で英文学の教鞭をとりながら、『ホトトギス』に連載したことはよく知られています。けれども、漱石が本当に東京帝国大学で教えていたかどうか、どのようにして確かめられるのでしょうか?単純な事実確認ではありますが、どの資料を見たらいいのでしょう。
 東京大学文書館は、大学一覧とよばれる種類の文献を所蔵しています。これは、東京大学全体についての公式の情報をまとめた刊行物です。大学のスタッフ、科目、授業や試験の規程、附属の博物館や演習林などの概要、学年歴や学位についての規則、さらには学生や卒業生の名前まで書かれています。
 それでは、漱石が『吾輩は猫である』を執筆した時期の『東京帝國大學一覧』(従明治三十八年至明治三十九年)を開いてみましょう。第12章「文科大學」に、英吉利文學の講師として、東京出身の平民「夏目金之助」の名前が見えます[p. 128]。もう少しページをめくると、漱石宅で木曜会をはじめた鈴木三重吉、そして同じころに出入りをしていた小宮豊隆や森田草平米松も、学生としてしっかり名前が掲載されています[「學生生徒姓名」, pp. 68-69。]どうやら漱石と門下生には「経歴詐称」はなかったようですね。
 『一覧』は、東京大学が帝国大学と呼ばれるようになる前から、『東京開成学校一覧』や『東京大学法理文三学部一覧』などとして刊行されています。『一覧』が出されなかった年には、少し内容がつづめられた『要覧』が作られています。また、英語版も “calendar” というタイトルをつけて出されていました。これらは、東京大学に関する歴史的な公式情報を知りたいときには、まず参照できる便利な資料です。

(文書館特任助教・宮本隆史 )
今回の蔵出し資料
『東京帝國大學一覧』


漱石が教鞭をとった時期の『東京帝國大學一覧』。


英吉利文學の講師として夏目金之助の名前が見える。

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