蔵出し!文書館 第18回

蔵出し!文書館
収蔵する貴重な学内資料から
140年に及ぶ東大の歴史の一部をご紹介
 

第18回 「東京帝国大学運動会設立認可願」

 「東京大学運動会」と聞くと、学校行事の「運動会」を想像する人が多いのではないでしょうか?東大では組織の名称として「運動会」が使われています。
 運動会の設立は今から133年前に遡ります。帝国大学令によって、校名が「帝国大学」となったのは明治19年3月。その4ヶ月後の7月に、任意団体「帝国大学運動会」が設立します。明治31年には文部大臣の認可を受け社団法人化、大正9年には、文芸、音楽などを加えて組織を拡張した「社団法人東京帝国大学学友会」となります。しかし、昭和3年2月、それまでの学友会の対立が元で運動部は学友会から脱退します。この時新しい「運動会」設立のために奔走したのが、後に東京都知事としてオリンピック(昭和39年開催)招致に関わった東龍太郎(「いだてん」では松重豊さんが演じています)。当時医学部助教授だった東と医学部教授長與又郎の連名で、昭和3年11月12日「東京帝国大学運動会設立認可願」(S0007/23検印録 下巻 昭和三年)を総長代理であった小野塚喜平次宛に提出します。この願は同月29日に評議会で可決されます。『運動会報』創刊号(昭和9年発行)では、「運動会の設立当時を語る」と題した座談会で、東を含めた関係者らが当時の苦労などを語っています。「運動会」はその後、昭和9年には財団法人化、平成25年には一般財団法人へ移行し今日に至っています。
 その他に「運動会」に関する資料として、当館所藏内田祥三関係資料の中にもみることができます(F0004/A/11/8~11)。ア式蹴球部(サッカー部)部長をしていた内田は、運動会資料(昭和7~13年)をオリジナルファイルに綴じて保管していました。当時の運動会のパンフレットや収支簿、第二食堂のプールに関する資料なども綴られています。

 

(事務員・村上こずえ)

今回の蔵出し資料

検印録 下巻 昭和三年(S0007/23)

Gedenk Album Tokio Med. Fakultät 1914-1918〔医学部卒業記念写真帖〕大正7年11月(F0025/S01/0005)
学生時代漕艇部だった東の姿が祝勝会の写真(右上)で確認できます(前列左から2番 目 )

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