蔵出し!文書館 第23回

蔵出し!文書館
収蔵する貴重な学内資料から
140年に及ぶ東大の歴史の一部をご紹介
 
 

第23回 弁慶、忠次、お俊も関所で止められる

  当館では、明治30年代からの大学の記念アルバムや卒業アルバムを所蔵しています。将来的には画像検索ができるよう、キャプションの情報入力をおこなっていますが、最近入力したアルバムで、こんな写真を見つけました。
 この写真が載っているのは昭和2(1927)年3月発行の『十二年会記念写真帖』(F0025/S01/0029)で、大正12(1923)年に医学部に入学した学生の卒業アルバムです。キャプションは「判官を圍んで 辨慶 忠次 お俊……等、等、々」とあり、続く別の写真のキャプションには「新入生歡迎宴遊會」とあります。
 めずらしい被写体のこの1枚。その拵えから、左端の男女は、商家の若主人と遊女の心中を劇化した「近頃河原の達引」の伝兵衛とお俊。後列左から富樫左衛門と武蔵坊弁慶、前列右2人目から3人は金剛杖(山伏など修験者が持つ白木の杖)を持っているので義経の家来と思われ、これは有名な「勧進帳」。前列右端で提灯を持っているのは「仮名手本忠臣蔵」五段目の与市兵衛。弁慶の隣は、国定忠次と悪党の山形屋藤造でしょうか。右端には黒子がいます。そうなるとひとつ問題が。キャプションに「判官を圍んで」とありますが、判官義経は何処に……?謎は残りますがご愛嬌といたしましょう。
 この日のことは大正13年5月23日付の『帝国大学新聞』の記事にあり、5月16日におこなわれた鉄門倶楽部の新入生歓迎会における、2年生の出し物「安宅の新関」と判明しました。どうやら「勧進帳」に当て込んだパロディで、「一藝の心得なき者は此の關通るべからず」と、弁慶、義経家来のみならず、「勧進帳」に全く関係のないお俊や伝兵衛、国定忠次までもが、一挙に安宅の関の関守富樫に通行を止められる、という展開が待っていたようです。記事によれば、「当日の餘興の白眉」で、「富樫と云ひ辨慶と云ひ、舞臺で見得を切るあたり、本職そつちのけ」の出来栄えだった由。中でも富樫役の姿の良さは、当時一世を風靡した十五代目市村羽左衛門さながらと言えましょう。

(学術支援職員 星野厚子)

今回の蔵出し資料
『十二年会記念写真帖』(F0025/S01/0029)

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