蔵出し!文書館 第32回

蔵出し!文書館
収蔵する貴重な学内資料から
140年に及ぶ東大の歴史の一部をご紹介
 
 

第32回 記念日は3月1日だった?

 東京大学は、明治10(1877)年4月12日、東京開成学校と東京医学校を合併して創設され、この日を東京大学記念日としていますが、3月1日としていた時期があったことはご存じでしょうか。
 明治18(1885)年、大学記念日設定に関する原案が出され、その年の12月に現在と同じ4月12日に決定されました。しかし、年が明けた明治19年3月1日「帝国大学令」が制定(3月2日公布)、東京大学は帝国大学に改組されたことにより、同年4月5日「自今本学記念日ヲ三月一日トス 但旧東京大学記念日ハ消滅シタル儀ト心得ヘシ」(『各分科大学往復 明治十九年分』S0005/16)として改められました。再び現在の日付に戻されるのは昭和11年2月を待つこととなります。
 第1回の記念日祝賀式は、明治20(1887)年3月1日「帝国大学令公布紀念日」(大正8年の帝国大学令改正により、大正9年より「東京帝国大学記念日」と改称)として実施されました。祝賀式は時代によって多少内容が異なりますが、式典の後には教職員や学生等の出席者に茶菓が振る舞われました。『帝国大学令公布記念日関係 自明治二十年至明治四十五年』(S0010/0007)の中に明治45(1912)年に行われた際の茶菓等の配置図があります。当時の職員の遊び心でしょうか。机の形に切り取られた図には赤飯やお茶菓子などが1卓100人分、全部で10卓1,000人分の茶菓が用意されました。
さて、机に並べられている「空也餅(空や餅)」。夏目漱石の小説『吾輩は猫である』に出てくるあのお菓子でしょうか?お店の公式ウェブサイトによると「夏目漱石が好んだ「空也餅」はあんこ玉をもち米でくるんだお菓子」とありました。この「空也餅」、配置図と一緒に綴じられていた資料によると4,000個、一人当たり4個の計算で準備されたようです。残念ながら夏目漱石が学生や講師だった頃の資料には何が供されていたかについて確認できませんでしたが、もし夏目漱石がこの祝宴に参加していたら、「空也餅」を頬張りながら会話に興じていたのかもしれません。

参考:ぎんざ空也 空いろ 公式ウェブサイト:http://sorairo-kuya.jp、『東京大学百年史』通史1,2

(主事員 村上こずえ)


今回の蔵出し資料
『帝国大学令公布記念日関係 自明治二十年至明治四十五年』(S0010/0007)

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