蔵出し!文書館 第33回

蔵出し!文書館
収蔵する貴重な学内資料から
140年に及ぶ東大の歴史の一部をご紹介
 

第33回 帝大プールと水泳ニッポンの夜明け

 オリンピックが幕を閉じました。暑さも話題となった今大会で、水泳はひとときの涼やかさをもたらしてくれたのではないでしょうか。しかし、水泳プールが普及したのはこの一世紀余のことで、近代オリンピックも当初は海や河川で競技が行われていました。



 画像は、大正から昭和初期にかけて使われていた本学プールです(「法学部卒業記念写真帖 昭和6年3月」F0025/S01/0015)。水着姿の男性4人が、プールの縁に足指をかけて両腕を広げ、今まさに水面に飛び込もうとしています。プールサイドで手を掲げる学生服の男性は、スタートの合図をする審判でしょうか。そして、プールを囲むように階上に設けられた通路には、大勢の観客が集まって選手たちを見つめています。
 このプールは本郷の工学部水力実験室隣にあった実験用タンクを転用したもので、25×8メートルの大きさでした。1925(大正14)年の改修で温水プールとして通年使用が可能となり、その後1936(昭和11)年に第二食堂地下に室内温水プールが新設されるまで、水泳部の練習や競泳・水球・飛び込みの試合会場として使われました。「運動会報」によれば、学生たちは“タンク”や“谷底プール”と呼んでいたようです。
 ここで泳いでいた一人が、一高から帝大在学中に選手として活躍し、のちに日本代表監督を務めた松澤一鶴です。NHK大河ドラマ「いだてん」では、同じく帝大出身の主人公、田畑政治とともに水泳界やオリンピックに尽力した人物として描かれ、水泳連盟結成のシーンではこのプールも登場しました。遠泳や古式泳法の泳ぎ手だった田畑や松澤が西洋の近代泳法を学び、水泳連盟を組織してオリンピックを目指す、そうした水泳ニッポン黎明期を象徴する場所がこのプールだったといえるでしょう。この夏は、日本水泳界の先人たちに想いを馳せながらパラリンピック競泳を観戦してはいかがでしょうか。
 
(特任研究員 逢坂裕紀子)
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