蔵出し!文書館 第39回

蔵出し!文書館
収蔵する貴重な学内資料から
140年に及ぶ東大の歴史の一部をご紹介
 
 

第39回 小泉八雲のすがた

 夏になるとテレビ番組で怪談話などが放送されるのを目にします。私も決まって夏になると愛読書である『耳なし芳一のはなし』という本を手に取ってしまいます。「耳なし芳一」や「雪おんな」などの怪談話が集められた本ですが、これらの作者であるラフカディオ・ハーンLafcadio Hern(1850~1904)こと小泉八雲がかつて東大で教師をしていたことはご存じですか?
 熊本第五高等中学校、神戸クロニクル社の勤務の後、当時の文科大学長外山正一に招聘され、1896(明治29)年~1903(明治36)年まで文科大学講師として英語と英文学を担当しました。八雲は着任前に日本に帰化していましたが、『文部省往復 明治二十九年』(S0001/Mo110)に綴じてある職員調(明治29年9月末現在、文部大臣報告)によると、年俸4,800円で外国人教師と同じ待遇だったことがわかります。ちなみに総長は3,500円、文科大学学長は1,600円、文科大学にいた外国人4名の教師は1週間の講義時間もほぼ同じでエミール・エックが1,500円、カール・フローレンツが3,600円、ルートヴィヒ・リースとラファエル・フォン・ケーベルは4,440円、前任のアメリカ人教師オーガスタス・ウッドは4,200円であり、八雲が高く評価されていたことが見て取れます。
 さて、今回の蔵出し資料は八雲の姿が写る、1897(明治30)年文科大学卒業記念写真です(F0025/S05/0235)。


図書館にて卒業証書授与式、三四郎池の端では集合写真が撮影されました。八雲がどこに写っているか分かりますか?写真中央には当時の総長である濱尾新、その左隣には八雲を呼び寄せた外山正一、ケーベル、フローレンツが並んでいます。八雲はというと、前列右から5番目、リースとエックの間にフロックコートの正装した姿で写っています。

  中央が八雲

 子どもの頃から愛読書の扉絵で見続けた横顔の写真。その八雲が確かに東大にいたのだと感じられた、当館で唯一の小泉八雲が確認できる写真をご紹介しました。

(主事員 村上こずえ)
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