蔵出し!文書館 第47回

蔵出し!文書館
収蔵する貴重な学内資料から
140年に及ぶ東大の歴史の一部をご紹介

第47回 隕石ノ冩眞

 今回の蔵出し資料は、「明治四十二年七月二十四日岐阜縣武儀山縣二郡ニ落下セシ隕石ノ冩眞 其一」と書かれた隕石の写真です。

 

 今から114年前の1909(明治42)年7月24日午前5時44分頃、岐阜県美濃市を中心とする広い地域に隕石が降り注ぎました。この隕石は 後に美濃隕石と呼ばれ、これまでに29個確認されています。当時の新聞によると、隕石が落下した地域では火山が破裂したような爆音が響き、また揺れが長く続いたため地震かと屋外に飛び出した人々によって、たらい程の大きさの怪光が尾を引き飛んでいくところが目撃されました。20km離れた大垣でも、大砲や雷が鳴ったような音を聞いていた人物がいました。大垣出身で、農科大学地質学・土壌学講座(現在の土壌圏科学研究室)助教授脇水鉄五郎(1867-1942)です。たまたま現場近くに居た脇水は、翌日の新聞で音の正体が隕石によるものだったと分かると、その日のうちに現場へ行き数個の隕石を採取しました。
 改めて蔵出し資料を見てみましょう。隕石名が明記され、下にはスケールが貼ってある台紙付写真は、大判のアルバム(F0227/SF01/0001)に挟みこまれています。アルバムには写真の隕石(6個、8カット)を含め計23個の美濃隕石と、隕石名が記されていない 4カット(1個の隕石を4方向から撮ったものか)、そして調査風景(ただし、いつの調査か不明)の写真が収められています。2年後に脇水が著した『美濃隕石:附・日本隕石略説』には、日本でそれまでに確認されていた隕石24個に対し、それを一挙に上回る25個を確認した美濃隕石降下について、「日本隕石史に取りては未曾有の大事件たりしなり」と記しています。
 100年以上前の隕石の写真。未曾有の大事件にたまたま遭遇した研究者の 「ワクワク」が伝わってきませんか。

(主事員:村上こずえ)

 
参考:『東京日日新聞』(明治42年7月27日)、『読売新聞』(明治42年12月16日)

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