蔵出し!文書館 第64回

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収蔵する貴重な学内資料から
140年を超える東大の歴史の一部をご紹介

第64回 「曖昧」なのは誰か――お雇い教師リットルの紛失届

「シリンドル真鍮臺銀鍍金時計 一。但シ、黒紐付」。真鍮に銀めっきを施し、黒い紐を付けたシリンダー式懐中時計でしょうか。1874(明治7)年12月、この時計が、東京大学の前身の一つである東京開成学校の教授館から姿を消しました。持ち主は、ドイツ人教師のヘルマン・リットル(Hermann Ritter)です。
 リットルの身の回りの世話をしていた「ボウイ 江島冨太郎」は、18日の夜、時計がないことに気づきました。いろいろ探しても見つからず、22日付で学校に紛失届を出しています。この届は『文部省往復 明治七年 乙』(S0001/Mo010)に残っています。学校は早速、文部省と警察にも届け出ます。
 5日後の27日、警察から学校に依頼状が届きました。依頼状とその写しは『諸向往復』(S0004/05、S0004/06)に収められています。それによると、疑いをかけられたのはリットルの元小使、新吉でした。新吉の供述が「曖昧」だったため、警察は「ポーイ富太郎」を出頭させるよう学校に求めたのです。
 ところが、依頼状の別紙では、同じ人物が「ボーイ冨次郎」となっています。外来語の表記も漢字の字体も定まっていなかった明治初期には、こうした揺れは珍しくなかったようです。それでも気になるのは学校側の写しです。書記は本文の「富」を本人の自署と同じ「冨」に改めながら、「ポーイ」も「ボーイ」も、別紙の「冨次郎」も、そのまま写しています。供述の曖昧さを問われたのは新吉でしたが、記録を作った側もまた曖昧だったかもしれません。

  時計をめぐる記録は、この27日の文書を最後に途切れます。取り調べの結果も、時計の行方もわかりません。ただ、一つだけはっきりしていることがあります。リットルは12月13日に天然痘を発症し、依頼状が届く2日前の25日に亡くなっていました。たとえ時計が見つかったとしても、受け取る持ち主はもういなかったのです。

(助教:元ナミ)

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