株式会社ポイント 代表取締役会長兼社長 福田 三千男 様

第10回ゲスト

POINT_fukudasama



株式会社ポイント 代表取締役会長兼社長

福田 三千男 様

日時: 2013年2月21日(木) 19:00~21:00
場所: 伊藤国際学術研究センター3階 特別会議室 (本郷キャンパス)
http://www.u-tokyo.ac.jp/ext01/iirc/access.html
ゲストスピーチテーマ: 「顧客より顧客たれ ポイントのブランド戦略」

紹介

1946年茨城県生まれ。1969年同志社大学商学部卒後、衣料メーカーを経て、71年に家業の福田屋洋服店入社。93年に社長就任し、同時に社名をポイントに変更。2000年に店頭登録、2004年に東証1部上場。

「ローリーズファーム」「グローバルワーク」など15のカジュアルウエアブランドを日本・香港・台湾・中国・シンガポールに展開。

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【関係リンク】
http://www.point.co.jp

報告

<株式会社ポイント>
当社の総売上は1150億円(2012年2月期)で、メンズ18%、レディス65%、その他17%。全店舗数は889で、内海外が80(2013年1月末)。ダウンタウン駅ビルが50%、郊外モールが45%、WEB店舗は5%。小売業界全体では92位ですがカジュアル衣料ではUNIQLOに続き2位。全部で15ブランドを展開しており、うちローリーズファームが20%を占めています。

┃ニッチ市場の発見、参入

ポイントの発展の歴史は、常に環境変化に対応してプラットフォームを変化させてきたことにあります。
1953年から72年の創業期は水戸で紳士服を行っていましたが、当時、紳士服小売業界には青山やアオキといったディスカウントスタイルの郊外型紳士服チェーンが主流となりつつあり、当社が参入するには経営資源が過少で、負けることが明らかでした。そこで水戸での空白マーケットであったメンズカジュアルに乗り換え、大成功しました。
支店政策のために、当時先進的であった在庫管理などのための情報システムを導入し、また物流センターを設けました。83年までは順調でしたが、営業・仕入れ業務の主体は店舗であり、資金繰りに苦しみました。その転機となったのは、アメリカの小売業視察でした。そこでスペシャリティストアとチェーンオペレーションに可能性を見出し、2回目の乗り換えを実施しました。
LEVIS,EDWINなどジーンズを中心に販売し、店舗と本部を分け、店数を増やすことで成功しました。しかし80年代後半には同様のビジネスモデルの競合が台頭し、競争が激化します。そこで、次の乗り換えのヒントを再度アメリカに求めました。3回目の乗り換えです。
日本では、価格帯が百貨店と量販店の間で、ファッション性を重視したセグメントがニッチであることを発見します。またビジネスモデルはGAPの採用するSPA(商品の企画、生産から販売までの機能を垂直統合したビジネスモデル)を検討しましたが、逆にコストのかかる企画と生産を商社やメーカーに委託する形にしました。バブルがはじけ、原価構造が見直され、卸業者がどんどん減ってきました。50年代に提唱された、流通革命の始まりです。90年代半ば、当社はこのようなビジネスモデルで利益率を極めて高くできました。
しかしこのビジネスモデルも他社に真似されることとなり、市場の同質化に繋がります。当社は現在、4回目の乗り換えに着手しています。

┃私たちのブランド作り

2000年の店頭公開当時売上100億円から、約10年で1000億円まで成長させた裏には戦略がありました。やはりGAPをよく研究したのですが、ファッションカジュアルというそのニッチマーケットを追求したのです。アメリカのファッションカジュアルブランドには、商品、接客、広告、店舗ディスプレイなど一目で認識できるコンセプトが背景にあります。そこで当社は「等身大」をコンセプトとするブランド作りを始めました。当時最も参考にしたのは片平秀貴教授の<パワーブランドの本質>という本です。ブランドというとエルメスやベンツなどの高級品もありますが、ネスレやナイキなど、高価ではないものもあります。ブランドとは顧客からの「安心感」がベースにあるのです。片平教授によると、ブランドの本質は、①顧客の脳細胞に深く刻まれる ②企業のものではなく顧客のものである ③組織の存在理由そのものである④境界線をもつ ⑤安全、安心、信頼、価値、公平の組み合わせである。その教えに従い、15のターゲットの異なるブランドを運営しています。年代、立地などそれぞれの領域に合わせたブランドを展開しながら、リスク分散もはかっています。
私の考えは「一人十色」です。そば屋でも数百円から数千円までいろいろありますが、その日によって違った価格帯のそばを食べたくなるのと同じです。マルチブランドであれば、いろいろな提案によって生活の質を向上させることができます。

┃顧客より顧客になる

ブランド構築の重要ポイントは、マーケティングというより顧客との価値の共感であり、事業目的に社会性をマッチングさせることだと考えます。
ローリーズファームは、92年に誕生したときはレディース専門のジーンズカジュアルショップでした。ローリーズファームのオリジナルジーンズを作りよく売れましたが、モノ作りは外部に任せており、他社にも同じような商品が並ぶようになりました。そこで、単にモノだけでは売れない、ストアブランドが重要だということに気づいたのです。ローリーズファームを何とかストアブランドにしようと決心しました。明確なターゲットを定め、店舗を全ての起点に今着たいものを手ごろな価格で提案し、権限移譲を進め、様々なトライアンドエラーを重ねました。振り返ると、福岡店が全ての始まりだったと思います。福岡は、全国で最も「普通」が受け入れられる市場であり、そこで「社員が着たいもの」を徹底的に追求しました。そこで生まれたパンツは大ヒットし、15万本以上を売り上げました。人気は九州の次に広島へ、さらに全国へと広がりました。顧客の求める商品を提案し、「安心して着られる」ということが支持に繋がったのだと思います。元々ローリーズファームの価格は高くないのですが、正月のセールでは、この価格帯の店では初めて、行列ができました。高校生、大学生、OL、主婦、幅広い層のお客様が並んでいました。これがファンなのだと知りました。

┃ファッションの役割と志

衣類だけでなく、食品であろうと家電であろうと、あらゆるものにファッション性がないと売れない時代となってきました。モノの経済から感性の経済に移行しています。これは豊かさと多様性のあらわれだと考えます。一人十色と考えれば、必ず新しいマーケットが見つかります。そのマーケットを模索し、日本発信でグローバルに成功することは十分可能です。
私の成功要因は大欲ある志にあります。かつて小売業の地位は社会的に低く、採用した学生の親からは「大卒なのに洋服屋には入社させられない」と言われ、また当社の社員は「洋服屋の店員とは結婚させられない」とも言われてきました。この地位を私が上げなければと、いつも考えていました。また、多くの経営者が「このくらいでいい」と成長を止め、衰退した姿をたくさん見てきました。できそうもないことを考えないとダメです。今後の日本を背負って立つ皆さんには、大欲ある志を持ち、ファッションを切り口にした新たなマーケットを切り拓いて世界に発信し、ぜひ日本を元気にしていってもらいたいと思います。

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