シャネル株式会社 代表取締役社長 Richard Collasse  リシャール コラス 様

第11回ゲスト

COLASSE Richard



シャネル株式会社 代表取締役社長

Richard Collasse リシャール コラス 様

日時: 2013年5月14日(火) 19:00~21:00
場所: 伊藤国際学術研究センター3階 中教室 (本郷キャンパス)
http://www.u-tokyo.ac.jp/ext01/iirc/access.html
ゲストスピーチテーマ: 「究極のラグジュアリーハウス シャネルのブランド戦略」

紹介

1953年7月8日生まれ フランス、オード地方出身
1975年、パリ大学東洋語学部卒業
大学卒業後、1975年より2年間、在日フランス大使館儀典課に勤務。
日本のオーディオメーカー、AKAIのフランスの代理店勤務を経て、1979年よりジバンシイに入社。
1981年ジバンシイの日本法人会社設立に参加し、4年間代表取締役を勤める。
1985年シャネル株式会社に香水化粧品本部本部長として入社。
1993年より2年間、香港のシャネルリミティッドにおいてマネージングダイレクターを勤めた後、
1995年8月シャネル株式会社代表取締役社長に就任。現在に至る。

2006年5月、レジオン・ドヌール勲章を受章
2006年11月、初めての小説「遙かなる航跡」を出版
2007年9月、フランスで活躍する中国人作家、シャン・サ氏との共著
「午前4時、東京で会いますか?」を出版
2008年11月、日本政府より、旭日重光章受章
2009年5月、「SAYA」フランスにて出版
2010年5月、 「SAYA」フランスにて「みんなのための文化図書館賞」を受賞
2011年9月、「紗綾」(SAYA)日本語版 出版
2011年11月、短編小説「旅人は死なない」出版
2012年12月、「L’OCEAN DANS LA RIZIERE」の日本語版「波」(集英社)出版

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報告

フランス語でのご挨拶いただいた後、流暢な日本語で話し始めたコラス様。ときにユーモアを交えながらシャネルのスピリットをお話いただいた。

┃過去を生かしてより良い未来を作る

「東京大学で東大生のためにレクチャーをしてくれないか」と聞いたとき大変嬉しかった。東京大学に一日だけ入学した気分だ。今日は、「シャネルのブランド戦略」の話を中心としながら皆さんとお話したい。

我々は、「THE ULTIMATE HOUSE OF LUXURY」というビジョンを持っている。「ultimate究極」というものは世の中にはない、神が成せる技だ。しかし、シャネルではいつも究極を目指す。目指して出来るわけではないが、目指 して近づこうとしている。そして、我々は自分達を企業と考えていない。ブランド、会社といったような言い方もしない。「house」と呼び、一つのファミリーとして仕事をしている。

我々のクリエイティブプロセスについては、1983年からシャネルのデザインをしているカール・ラガーフェルドがゲーテの言葉を借りて言っている。「過去を生かしてより良い未来を作るのだ」。一つのモットーであり、根本 的にずっと離れない考え方だ。我々のクリエイションには、ココ シャネルの下で、彼女のスピリットを生かし続ける義務がある。我々がクリエイションする際、彼女が考えたことをイメージすることから始める。彼女は、20世紀の初めに新しい「 スタイル」を確立したのであり、カールも同じく新しい「スタイル」を常に考えている。
ところで、皆さんはファッションとスタイルの違いはご存知だろうか。
ココ シャネルは、「私は、ファッションを作っているのではなくスタイルを考えている」と述べていた。ファッションは、明日古くなる、つまり去っていくものだ。対して、スタイルはどのようなときでも残っていくものだ。
ここで一つ考えてみて欲しい。皆さんの身につけているものの中に、50年後も同じように存在しているものが果たしてどれだけあるだろうか。将来も使える素材、継承された職人の技、この二つがないと作ることはできない。シャネルでは1930年代 のイブニングドレスと全く同じものを50年後に発表した。我々は、100年前から続く職人の技を活かし、新しいものを考えていく。

 

┃シャネルのスタイル

ココ シャネルは常に女性のために新しいスタイルを提案してきた。革新性を持って、時代のトレンドを自ら作り続けるというのがシャネルの考え方である。

‐リトルブラックドレス アクセサリーのパイオニア
装飾が施された裾の長いドレスが当たり前という中で、彼女は「自由に身体を動かしたい」と考え、当時男性の下着のために使われていたジャージを使い、ひざ丈のリトルブラックドレスを作製した。黒のドレスと言えば喪服しかない時代、シンプ ルで快適なこのドレスは、まさに革命的だった。リトルブラックドレスは、コレクションごと新たな考え方、新たな素材、生地によって、発表し続けている。100年近く前に考えたことを、今も我々は考え作っている。また真珠が大好き彼女は、何 連にも真珠を重ねてつけるスタイルを確立した。

‐ハンドバッグ
シャネルのハンドバッグはなぜ良いのか。デザインが良い?違う。彼女がいた時代、女性が持つバッグは、「ハンド」バッグ、手で持つクラッチタイプのものだった。しかし、「これからの女性は益々活発になっていくのだから」と考えた彼女は、 バッグに鎖をつけ両手を使えるようにした。ハンドバッグを手で持つ習慣から離れられない女性のためには、鎖を短くできるよう工夫されている。また、当時のカバンは肩が凝ってしまうほど重かったため、軽くするために薄い皮である子羊の革を 選んでいる。しかし、子羊の革は傷つきやすく伸びやすいため、キルティングを施し強度を高めると共に傷を目立ちづらくした。機能のために作ったものが一つのスタイルになった。彼女の創作物は目的を持っていた。

‐スポーツウェア
皆さんの曾お祖母さんはゴルフをやったことがあるだろうか。現代においても、女性お断りのゴルフ場が世界にはある中、彼女は、1920代に、女性のためのスポーツウェアを発表し、男性と一緒にゴルフを楽しみ、ハンティングにも興じた。
そして、西海岸の家で男性が楽しそうに泳ぐ姿を見た彼女は、「私も泳ぎ、サーフィンをやりたい」と水着を発表した。そして、活動的になっていく女性のために、世界で初めて日焼け止めを考えた。彼女は女性のための快適な機能を常に考えてい た。

‐ファインジュエリー
1932年、世界が一番苦しいとき、彼女は世界を元気にするために、普通の展示とは全く異なるダイヤモンドのコレクションを2年間行った。自分の家で展示を行い、招待者から入場料を20フランいただき、売り上げの10%をチャリティーのために使 った。当時、誰も考えつかないことであり革命的なことだった。
今でも、ジュエリーのアトリエは、当時と変わらずヴァンドーム広場18番地にあり、職人の技を生かし続けている。ウォッチに関しても、同業他社がほとんど外注する中、数少ない自社工場がスイスにある。自分達の名前をつけるものは自分達で作 る。

その他にも、バイカラーシューズ(2色使いの靴)を初めて考えた。足を細く美しく見せるためにベージュを使い、足を小さく見せると同時に、当時の汚れた道でも汚れが目立たないよう、先端を黒くした。
香水や化粧品については、シャネルの無形資産である。ココ シャネルは、外に出かけるようになった女性たちのために初めてリップスッティックを作った。継承とモダニティーを続けている。

 

┃シャネルのポリシー

シャネルのポリシーは、以下3つに集約される。

Consistance  (一貫性)
Continuation (継続性)
Integration  (統合・調和)

‐一貫性、継続性
ジャック・ポルジュはシャネルで45年間香水をつくっており、「シャネルの鼻」と呼ばれている。No.5を調合できる唯一の人物なのだ。現代において、調香師を抱えているメゾンは数少ないが、シャネルでは外部に委託することはない。

1921年にNo.5が出来た当時の香水は、粉っぽく重い花の香りだったが、彼女の作った香水は薬瓶に入った複雑で渋い香りだった。ネーミングは、試作品番号5番だからNo.5。ロマンティックな名前ではなく、白いラベルに「No.5」と刷られたこの 香水は、香りもデザインもすごく革命的だった。今も世代を超えて魅了する香りであり続けている。
瓶のデザインについては、実は、時代とともに変更をしている。1950年代、マリリンモンローが活躍した頃には、瓶は丸くなり、1960年代、イタリアの渋い角度高いものが流行した頃は、瓶が細くなった。時代を読んで時代に合わせながらデザイン を変えている。しかし、一貫して根幹のデザインは変えていない。

No.5には、コートダジュールで育つローズドゥメ(5月のバラ)というバラが豊富に使われている。このバラは手間が非常にかかるため、徐々に、畑がアラブ人やアメリカ人の富豪に売り渡り、別荘地となっていった。シャネルでは代わりのバラを 探し試したが、やはり香りが変わってしまうため、唯一、畑を残していたMr.ミュルに、2つのお願いをすることにした。畑を我々が買い取りたい。そして後任の人材を育成してほしい。彼は今も、80歳現役でバラを育て、後輩を育成している。我々 は、弛まなく継続し、そして常に現代化を図る。伝統と革新、バランスを保っている。

‐統合
シャネルは、垂直統合型のオペレーションである。自分達で考え、消費者に渡す。デパートの化粧品売り場のスタッフも本社勤務のスタッフも全員ファミリーだ。第三者に任せると伝えたいことがぶれてしまう。消費者にはダイレクトに伝えたい。 そのためにPR活動も我々が行う。外部のクリエイターに頼むことは考えられない。広告代理店やCM撮影の監督の後ろにはシャネルのアーティスティックディレクターがおり、ブリーフはシャネルが考えている。品質を保つことでスピリットを保つ。

 

┃自分たちの将来は自分たちで決める

我々は、不思議なことに同業の動きを意識していない。上場しておらず、潤沢なキャッシュフローの元に、経営が独立しているからこそできる。自分で自分の命を握っているのだ。オーナーからは、来年のプロフィットはいく らか等と聞かれたことは一度も無いが、「No.5をサポートするための予算費用が足りない、未来にNo.5を残すための投資をすべきだ」と何度も言われる。売上は目的ではなく結果というだけであり、長期的な戦略に基づいて運営している。 目的は一つだけでありぶれることはない。とてもパワフルな企業だ。

 

┃シャネルのスピリット

最後に、9年前に建てられた銀座のシャネルビルのお話をしたい。建設中、私は、何度も口を挟み現場に足を運んだ。現場の職人からは「社長!」と声をかけられる程親しくなり、一緒にクレーンに乗って深夜の作業を見学したこともあった。鳶 職の仕事を見ていると、彼等は大体20代の若い男性で、バランス感覚が良くないと決してこなすことができない危険な業務を、パッションを込めて行っていた。ある日、朝5時に作業が終了後、「鉄鋼をつけるのは難しかったが、社長のおかげで今 日は良い仕事が出来た」と言われたことがあった。これを聞いて、①彼らこそ、仕事に誇りを持っている。②空高い建物等を見ていると、機械が作っていると思いがちだが、どのようなものも機械を使って人間が作り出しているのだ、と いうことに改めて気づいた。「彼らこそシャネルだ!」と感じた。シャネルのハンドバッグも、何年も勉強してきた職人が、18時間もかかって初めて作り出せる。何かの「モノ」の裏には、必ず職人がいる。
中央通りの正面に設置した大理石の定礎石には、建築家や交通整理の方等このビル建設に携わった2,500名全員の名前を刻んだ。先の20代の鳶職の彼は、10年後には、家族ができているかもしれない。休日に銀ブラしながら、「俺がこの建物をつく ったのだ」と彼の子供に言ったときに彼の名前が刻まれたプレートがあったら…。どれだけ子供は誇らしく、喜ぶだろう。

これが我々シャネルのスピリットだ。

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