モリやハヤシ、森と聞いて、みなさんは何を思い浮かべるでしょうか。おそらく、心地よいもの、癒されるもの、人間に様々な恵みをもたらしてくれるもの、保護すべきもの、といった「いいイメージ」がほとんどでしょう。その証拠に、テレビコマーシャルには頻繁に森が登場し、盛んに植林、植樹を「環境にいいこと」とアピールしています。その一方で、森の木を切ることは、いけないことだと思われているようです。
森は心地よいものだと思っている人は多いと思います。多くの人が、癒しを求めて森に入ります。森は、掃除が行き届いていて、木漏れ日が差し込む、明るい、快適な場所だと思っている人が多いようです。団塊ジュニア世代より上の世代の方にとっては、幼いころ遊んだ近所の雑木林が、そういう明るい森だったので、原風景として記憶に残っており、なつかしさを感じられることもあるかもしれません。
しかし今、日本の森は、人間が意識的に手を入れて維持している森は例外として、まったく違った場所に変わりつつあります。森は人間の背丈よりも高いやぶに覆われていて、なかなか中に入ることができず、無理して入ろうとすると、とげのある植物に服をひっかかれます。森の中に入ると、そのようなやぶは姿を消しますが、木の枝や葉が太陽の光を遮っていてうす暗く、ハチ、ヤマビル、ダニなどが容赦なく襲ってきます。多くの人にとって、このような森は心地よい場所ではない。むしろ、不快な場所なのです。
なぜ、このような誤解が生じているのか。それは、森を、人間中心主義でみるか、自然中心主義で見るかの違いです。自然は、決して人間にとって都合よくできているわけではありません。自然には自然の法則があり、法則にのっとって変化していきます。これが自然の「作用」です。これは有用物、これは無用物、これは益虫、これは害虫と分類するのは、自然に「機能」を求める人間の勝手な都合です。
では、なぜ、私たちは、自然がまるで人間にとって都合がよいものであるかのように認識してしまうのでしょうか。それはおそらく、人間の長い歴史の中で、自然を、人間にとって都合がよい形に作り変えてきたからではないかと思います。私たちは、人間に飼いならされた自然に慣れていて、まるで自然が人間に恵みだけをもたらしてくれるものだと誤解してしまったのではないでしょうか。
それともうひとつ、大きな要因があります。高度経済成長期に自然を開発し、破壊した反動から、1980年代には自然保護運動が盛んになります。自然保護を訴える人たちは、自然とは人間に恵みをもたらしてくれるものだとアピールすることで共感を得ようとしました。本来、自然とは、このような単純なものであるはずがないのですが、その主張がシンプルで分かりやすかったため、人々の心に浸透したのではないかと思われます。
これまで、私たちは、「作用」と「機能」という言葉を特に区別せずに使ってきたと思います。自然科学の研究者の中には、自分たちが研究しているものが、実は「作用」であるにもかかわらず、「機能」を研究していると勘違いし、論文や本を書き、講演をされている人が少なからずいらっしゃるようです。
「作用」と「機能」の違いは、人間の都合という観点が入っているかどうか、という点にあります。例えば、薬には病気を治す「作用」がありますが、その一方で「副作用」もあります。副作用とは人間にとって都合が悪い薬の働きのことをいいます。作用とは、自然の創造物ないし人工物が、人間の都合に関係なく「反応する」ことを意味しているのです。それに対して機能とは、自然の創造物ないし人工物が、人間にとって都合がよく働くことをいいます。人間にとって都合がいい作用が「機能」なのです。「反機能」「副機能」といった言葉はありません。
私たちはこれまで、森の機能という言葉を使い続けてきました。森林・林業基本法にも森林の多面的機能と書いてあります。しかし、このような言葉の使い方は、森が人間にとって都合のいい作用しか持っていないという誤解を招く一因になったのではないでしょうか。
実際には森にはさまざまな作用があり、その中には人間にとって都合がいい作用もあるでしょうが、同じくらい、人間にとって都合が悪い作用もあると考えるのが、自然科学者の取るべき立場です。森には、人間に不快な思いをさせる植物や動物も少なからず住んでいます。とげのある植物や、皮膚がかぶれる植物、毒針で刺す動物、血を吸う動物などもいるのです。そういう動植物がいない森というのは、むしろ、不自然な森であり、人間が人間の都合で除去した可能性があります。また森の作用の一つに、人間にとって都合がよい木材を生産する機能がありますが、森の中に生えているたくさんの種類の木の中には、人間にとって都合がよい木材を生産できる種類と、そうでない種類があります。また、人間にとって都合がよい木を食べてしまう虫、腐らせ、枯らしてしまう虫や病気も発生します。このように考えると、スギやヒノキを植林して作った人工林は、木材生産という人間の都合のために、都合の悪い木を排除し、人間にとって都合のよい木だけにしてしまった、極めて不自然な状態ということになります。
作用とは人間に関係なく、おのずからそこにあるもの、機能とは人間の都合、欲望の表現です。このことは本書の最初から最後まで一貫して述べていきたいと思います。
本書では、これまでの森の専門家が、作用がすべて機能であるかのような議論、森は人間にとって良いこと(便益)だけをもたらす存在であるかのような議論に終始していたことへの反省を踏まえ、人間にとって不都合な自然の一部としての森の作用まで含めて議論していきたいと思います。
(紹介文執筆者: 農学生命科学研究科・農学部 教授 蔵治 光一郎 / 2019)
本の目次
第2章 森と水の科学
第3章 森と洪水、水害
第4章 森と渇水、水不足
第5章 森の環境サービス
第6章 森と木材生産業
第7章 森とエネルギー
第8章 森の管理
おわりに これからの森と人間の関係
参考文献
あとがき
関連情報
森の恵みは幻想か-科学者が考える森と人の関係 (バイオマス図書館 2012年7月30日)
http://www.kuramae-bioenergy.jp/k_column/?p=225