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黒い表紙に流線のラインアート

書籍名

文系大学教育は仕事の役に立つのか 職業的レリバンスの検討

判型など

208ページ、A5判

言語

日本語

発行年月日

2018年8月31日

ISBN コード

9784779513107

出版社

ナカニシヤ出版

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文系大学教育は仕事の役に立つのか

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ある国立大学のオープンキャンパスで、人文系学部の学部長が、講堂いっぱいの高校生たちに対して、「この学部に来ても仕事の役に立つようなことは学べません!」と誇らしげに言うのを聞いたことがある。その学部では純粋に学問を追究しているのであって、その方が、「仕事の役に立つ」ような学部よりも高尚である、という含意であった。聞いていた私は、もどかしい思いにかられた。
 
その学部長や私を含む大学教員は、学問を追究することそのものを仕事にしている。だから大学教員にとっては、純粋な学問自体が「仕事の役に立っている」のだ。しかし、大学を卒業して社会に出てゆく若者たちの大半は、アカデミックではない仕事に就いてゆく。その若者たちに対して、学問で生計を立てている大学教員が、「ここで学ぶことは君たちの仕事の役には立たないよ」と言い切ってしまうことは、あまりにも無責任ではないかと感じたのだ。
 
そして大学の外では、「仕事の役に立たない」文系の大学教育など切り捨ててよい、という言われ方も広がっている。より正確に言えば、「教員養成系学部・大学院、人文社会科学系学部、大学院については、(中略) 組織の廃止や社会的要請の高い分野への転換に積極的に取り組むように努めることとする」(2015年6月8日文部科学大臣通知) と、国立大学については宣言されてしまっている。「この学部に来ても仕事の役に立つようなことは学べません!」と高らかに述べることは、そうした外部からの圧力に承認を与え、廃止や縮小を正当化してしまうのではないか。私が感じたもどかしさは、自分の発言が含みもつ意味に対する、その学部長の鈍感さに対するものであった。
 
では、それほど鈍感ではないふるまいをするにはどうすればいいのか。逆向きに、「文系大学教育は仕事の役に立ちます!」とただ叫んでみても、この学部長や文部科学大臣のように「役に立たない」という認識が優勢であるこの社会の現状のもとでは、たいして説得力はないだろう。それならば、本当に役に立っていないのか、どれほど役に立っているのか、どうすれば役に立つのかを、事実として調べ提示する必要があると考えた。その試行的な調査プロジェクトの結果をまとめたものが本書である。
 
ただし、教育が仕事の役に立っているかどうかを調べるのは難しく、また調べる方法も様々にありうる。本書では、複数のデータ (いずれも改善の余地を含んでいるが) を用いて、多様な角度や分析手法を用いて、この主題にアプローチすることを試みている。
 
役に立っているかどうかを把握する仕方には、調査対象に対して直接に「役に立っていますか」とたずねる方法と、調査対象が受けた教育と仕事のパフォーマンスとの関連を分析する方法とがある。前者は主観的認識、後者は客観的関連についての分析である。しかし、主観的認識は、その社会に広がっている通念に影響を受ける。本書の特に5章・6章で取り組んでいる、主観的認識に関する分析結果からは、文系大学教育が「役に立っている」という認識の度合いは総じて高くない。
 
他方で、本書の2章では、大学在学時から卒業後数年までを追跡する調査と、すでに社会人になっている者に対する調査という、2つのデータセットを用いて、対象者が受けた大学教育の特性と、卒業後の仕事におけるスキル発揮との客観的な関連を検討した。そうすると、大学在学時に将来の仕事とのかかわりを感じることができる内容の授業を多く受けていたこと、そして学生と教員との相互作用の密度が高い授業を受けていたことが、大学卒業時点のスキルを経由して、卒業後の様々なスキル (分析では、情報スキル・判断スキル・交渉スキルの3つの変数を用いた) を高める効果を持っていることが確認された。
 
また、本書の7章では、卒業生に対するじっくりとした聞き取り調査の結果を分析した結果、大学での授業の内容やいわゆる「ゼミ」で得た知識と考え方が、仕事に対して相当に「役立っている」と認識されていることが明らかになった。
 
社会通念や、粗雑な調査結果は、このような大学教育の「役立ち方」に気づかないまま、本当は仕事に対しても重要な意味をもっている文系大学教育を、政府や社会がおろそかにしてしまう結果をもたらしかねない。その愚かさに抗う道は、丹念に事実を拾い上げ示していくこと以外に存在しない。
 

(紹介文執筆者: 教育学研究科・教育学部 教授 本田 由紀 / 2019)

本の目次

01 人文社会科学系大学教育は「役に立たない」のか:本書の問題関心・研究動向・調査概要 (本田由紀)
 
02 分野間の教育内容・方法の相違とスキルへの影響 (本田由紀)
 
03 誰が大学での学びを仕事で活用しているのか:大学時代のラーニング・ブリッジング態度に着目して (小山 治)
 
04 誰が資格を取得するのか:大学在学中と卒業後の資格取得の規定要因 (河野志穂)
 
05 大学教育が現職で役立っていると感じるのは誰か:人文社会系の職業的レリバンスに関する潜在クラス分析 (豊永耕平)
 
06 大学教育への否定的評価再考:パーソナルな「無駄」観とソーシャルな「不要」観に注目して (香川めい)
 
07 学生時代の学習経験を顧みる:聞き取り調査の結果から (二宮 祐)
 
08 奨学金利用と学生時代の学び (西舘洋介)
 
09 人文社会系大卒者の空間的ライフコースとその規定要因 (河原秀行)
 
あとがき
 

関連情報

書評:
今こそ読むこの一冊 耳塚寛明 (お茶の水女子大学教授) 評 (『カレッジマネジメント』Vol.214 2019年1-2月)
http://souken.shingakunet.com/college_m/2019_RCM214_02.pdf
 
日比嘉高 (大学教員 - 日本近現代文学・文化研究) 評 「有用な知見と提言 – 先行研究を踏まえながら、社会調査の手続きを経て検証」 (週刊読書人ウェブ 2018年12月7日)
https://dokushojin.com/article.html?i=4673
 
理系にだって負けてはいない (朝日新聞 2018年10月3日)
https://book.asahi.com/article/11852378
 

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