あらゆる学問は、「真実」を少しでも精確に把握しようとする営みの積み重ねである。社会学であれば、「社会」の諸相がその対象となる。そう述べたとたんに、続けて次の2つの問いが浮かび上がるだろう。どうやって?そして何のために?
1つ目の問い、「どうやって?」とは、科学としての方法についての問いである。社会学が「社会」の諸相をめぐる「真実」をできるだけ精確に捉えようとする際には、様々なデータとその分析が必要となる。様々なデータとは、「社会」を特定の角度から数字や言葉や図像を用いて切り取ったものであり、分析とは、それらを特定のやり方で組み合わせて意味を読み取ろうとする作業のことである。これらを使って、まだ明らかになっていないこと、まだ人々に知られていない「真実」にたどりつこうとする努力が、社会学をするということである。
重要なのは、そのような社会学そのものが、「社会」の中に埋め込まれているということだ。なぜその角度から「社会」を切り取ろうとするのか、なぜその際に特定の数字や言葉や図像を使い、それらを特定の形でつなぎ合わせて分析を加えようとするのか。そのように社会学がその都度選択する視線や道具は、「社会」にべったりとからめとられている。そうして得られた「真実」とは、むしろ「社会」が社会学者に憑依して語らせた何ものかであるにすぎない。そのことへの自覚を抜きにしては、社会学は成立しない。
では社会学は、「何のために」そのような「社会」の独白に自らを捧げ続けるのか?これが2つ目の問いである。それは、新しい「社会」の像をつくりあげて、前に進むためであると、ここではあえて答えておきたい。すでにある「社会」にべったりとからめとられながらも、その「社会」をデータと分析を通じて新しく語り直すこと、それによって、「社会」を成立させている意味の渦の中に別の波紋を投下すること。社会学はそれを目指す学問であると筆者は考えている。
社会学を使って日本の現在を8つの切り口から把握することを試みた本書においても、「出口を探したい」という衝動は、各章の中に濃厚に読み取れるだろう。本書は、社会学の初学者である若者を主な読者として想定し、若者にとって身近なイシューを各章に配置している。日本社会やその中で生きる若者たちの現状の閉塞性は、同じく若い社会学者を中心とする本書の執筆者たちをも、当然ながらべったりとからめとっている。自分たちや同世代にからみついてくる「真実」をできるだけ精確に語り、語るという行為自体を通じて「真実」から抜け出そうとする企図が、本書において実践されているのである。
その企図がどれほど成功しているかについては、読者の厳しい目に委ねたい。ただ、できれば、読者もともに新しい社会を描く営みに加わってほしい、そういう思いを込めて本書を編んだ。
(紹介文執筆者: 教育学研究科・教育学部 教授 本田 由紀 / 2018)
本の目次
1章 言説 ― 現代社会を映し出す鏡
2章 能力 ― 不完全な学歴社会に見る個人と社会
3章 仕事 ― 組織と個人の関係から考える
4章 友だち ―「友だち地獄」が生まれたわけ
5章 家族 ― なぜ少子高齢社会が問題となるのか
6章 居場所 ― 個人と空間の現代的関係
7章 排除 ― 犯罪からの社会復帰をめぐって
8章 分断 ― 社会はどこに向かうのか