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書籍名

ウクライナ戦争と向き合う プーチンという「悪夢」の実相と教訓

著者名

井上 達夫

判型など

280ページ、新書版

言語

日本語

発行年月日

2022年9月29日

ISBN コード

9784797281606

出版社

信山社

出版社URL

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ウクライナ戦争と向き合う

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本書は、2022年2月24日にロシアがウクライナを侵攻してからまだ7ヶ月後、同年9月下旬に刊行された。遅筆の私が、新書版とはいえ、一冊の書物をこれほど短期間のうちに書き上げられたのは、我ながら驚きであった。私を突き動かした動機は二つある。第一に、ロシアのこの侵略戦争は国際社会の法と秩序を根底から破壊する試みであり、旧著『世界正義論』(筑摩書房、2012年) で戦争の正義を論じた者として、座視できなかった。第二に、一層強い動機だが、この公然たるロシアの侵略を断罪するどころか、その責任をロシアよりもむしろ西側諸国やウクライナに転嫁する倒錯した言説が、西側世界の言論界でも流布され、少なからざる影響力を持っていたことに衝撃を受けた。この言説の誤りを正すことが、ロシアの侵略戦争の非を明確にして国際社会の無法化を抑止するために法哲学者としての私に課された急務であると考えた。
 
本書は三章から成り、第一章でウクライナ戦争の性質と原因、第二章で、戦争終結への道筋、第三章で、この戦争が日本に突き付けている課題を考察している。第一章で、「ウクライナ政府=ネオナチ」論や、東部ウクライナのロシア傀儡組織とロシアとの「集団的自衛権行使」論などの虚妄性を明らかにした後、西側とウクライナへの責任転嫁論の最有力形態として、国際政治における自称リアリズム派が唱える「NATO東進帰責論」、すなわち、旧ソ連構成国や東欧旧社会主義圏へのNATOの拡大が、ロシアに軍事的脅威を与えてプーチンを追い詰め、NATO加盟を求めたウクライナへの侵攻を決意させたという見解に詳細な批判的検討を加えている。この見解は「リアリズム」を標榜しているが、(1) 冷戦終焉後のNATOとロシア双方の体制変容と関係緊密化、(2) 2014年クリミア併合を含めロシアによる自己の「勢力圏」への軍事介入に対する米国・NATOの軍事的非介入姿勢、(3) ブッシュ政権下の米国による2003年イラク侵攻以来トランプ政権の米国第一主義に至るまでに深刻化した米国と欧州諸国の対立の深化によるNATOの弱体化など、国際政治の現実とまったく即応しない謬見であることを本書は明らかにしている。

この自称リアリズムに代わって、「ユーラシアニズム」のイデオロギーに駆られた新たなロシア帝国主義へのプーチンの転向にウクライナ侵攻の原因を求める見解が欧米で台頭しているが、本書は、ユーラシアニズムは侵攻合理化のイデオロギーとして利用されているだけにすぎず、ウクライナ侵攻の本質は、「プーチンの自己保身戦争」にあることを示す議論を展開している。すなわち、プーチンは、外敵との軍事衝突により国民のナショナリズム的情念を扇動することで、プーチン体制の盗賊国家化・専制化・経済的失速に対して高まる国内の不満をそらし、反プーチン派を外敵のスパイとして弾圧し、国民の忠誠と結束を高めて自己の権力基盤を維持強化するために、ウクライナ侵攻を利用しているのである。
 
紙幅の制約により第二章以下は詳述できないが、第一章で展開したウクライナ戦争本質論が戦争終結の方途に関してもつ含意が第二章で解明されている。ロシアへの領土割譲による妥協をウクライナに迫る対露宥和主義は、侵略者にご褒美を与えることで、更なる侵略へのインセンティヴを強化するだけであり自壊的である。プーチンの自己保身が戦争の真因である以上、戦争を執拗に続行拡大するとロシア国民の反発・不満が高まり、自己の権力基盤がかえって危うくなるとプーチンに自覚させること、そのために対露制裁とウクライナ支援を国際社会が維持強化すると同時に、ロシア国民をロシア政府のプロパガンダから覚醒させる対抗情報戦略を展開することが、真に国際社会の法秩序を回復し、持続可能な平和につながる道であることを論じている。
 
第三章では、欧米の「対露共同戦線」に参加した日本が安全保障環境をさらに緊迫化させているにも拘らず、その自覚がないことを批判した上で、拙著『立憲主義という企て』(東京大学出版会、2019年) などで私が展開してきた憲法9条論を踏まえて、世界有数の武装組織たる自衛隊を既にもち、さらに肥大化させながら、戦力統制規範を憲法に盛り込む憲法改正を棚上げし続け、戦力を立憲的・法的に統制できない「無法な軍事大国」の状態に無自覚のまま惑溺している日本の危険性・無責任性を暴露し、それを克服する方途を解明している。
 

(紹介文執筆者: 法学政治学研究科・法学部 名誉教授 井上 達夫 / 2024)

本の目次

◆プロローグ―我々は何処へ行くのか

 一 増幅する悪夢的現実
(1) 疫学的危機と政治的危機の拡大再生産
(2) 戦争長期化の懸念と世界の行く末への不安

 二 本書が向き合う問題
(1) ウクライナ戦争の性質と原因
(2) 戦争終結への道筋
(3) ウクライナ戦争が日本に突き付ける課題
・当事者意識の希薄性
・九条問題の正面解決―立憲主義的安全保障体制の確立

◆第一章 いかなる戦争が戦われているのか

 一 「ロシアは侵略していない」という不思議な「論理」
(1) 「ネオナチ的支配からのウクライナ解放」という言説の呪力
(2)  「集団的自衛権行使」論の虚妄性

 二 「NATOの東方拡大がプーチンを追い詰めた」のか?
(1) 国際政治におけるリアリズム派の「NATO東進帰責論」
(2)  NATOの変容―集団的自衛権体制から地域的集団安全保障体制へ
・冷戦期対立構図の崩壊によるNATOの機能転換
・NATO東進帰責論の米国陰謀説的偏見
・NATO・ロシア関係の変遷
(3)  コソボ紛争とNATO・ロシア関係
・NATOのコソボ紛争軍事介入とエリツィンの核恫喝発言
・プーチンの親米的・親NATO的対応
(4)  ロシアの軍事的攻勢とNATOのロシアに対する軍事的非関与主義
・攻めるプーチン、自制するNATO
・民主化の波へのプーチンの軍事的応答
(5)  「リアリスト的プーチン像」の破綻

 三 「西側」の責任はどこにあるのか―責任の問い方に潜む罠
(1) 米国とNATOの真の罪責
・「西側」の欺瞞に対するプーチンの応酬
・バイデン陰謀説の欠陥
・「バイデンのそそのかし」より巨大な米国の罪責
(2) 自己批判の陥穽―「二悪二正論」を越えて
・戦争責任問題における「二悪二正論」の呪縛
・「二悪二正論」の自壊性と執拗性
(3) 「チョムスキーよ、お前もか」
・対露宥和主義へのチョムスキーの傾斜
・ウクライナ知識人たちの公開書簡
・チョムスキーの意図の好意的解釈―ウクライナへの愛?
・「自己批判の陥穽」へのチョムスキーの転落

 四 プーチンがウクライナを侵略した真の狙いは何か
(1) 「ユーラシアニズム」というアイデンティティ政治への転向?
・ロシアにおけるユーラシアニズムの復活とプーチン
・ミンスク合意の虚妄性
・ウクライナ征服のイデオロギー的道具
(2) 「対外硬、内に憂あり」―プーチンの自己保身戦争
・挑発されざる戦争に為政者が走る一般的理由
・民主化の波に対するプーチンの自己保身
・自己保身主因論に対する批判への応答―陰りゆくプーチンの威光
・軍人イヴァショフによるプーチン批判
・アイデンティティ起業家的プーチン像と自己保身主因論の整合性

第二章 戦争はいかにして終わり得るのか

 一 ウクライナ戦争の実相認識と国際社会の対応

 二 第三国の仲介調停による紛争解決の可能性―中国の利害と期待可能な役割
(1) 戦況の膠着と停戦交渉の頓挫―調停役はいないのか
・ロシアとウクライナの亀裂拡大と第三者的調停役の不在
・調停者としての中国の可能性
(2) 中国の政治的・経済的利害状況
・中国経済の沈下要因としてのロシア
・中国の国際政治原則・世界戦略を掘り崩すロシア
・中国の戦略的利害が見えていない習近平

 三 戦争泥沼化の行く末―破滅は止められるか
(1) 戦術核兵器使用から第三次世界大戦へ?
・「戦術核兵器限定使用」の非現実性
・「核のブラフ」への屈従の自壊性
(2) ロシアが勝てない戦争をプーチンが止めない理由
・米国とソ連の失敗から学習できないプーチン
・なぜロシアはウクライナ戦争に勝てないのか
・プーチンの戦況認識が歪められている可能性
・戦況が不利でもプーチンが戦争を止められない理由
(3) 「テレビと冷蔵庫の戦い」―ロシア国民は覚醒できるか
・ロシア国民しかプーチンを止められない
・アレクイシエービッチの「知恵の言葉」―ロシア国民の変容可能性
・「プーチンが排除されても明るい展望は開かれない」のか?
・「冷蔵庫をテレビに勝たせる」ための対露経済制裁の意義と効果
・対露経済制裁強化はロシア国民に対して苛酷か?
・ロシアの民に捧ぐ、ディランとともに―To Russians, with Dylan

第三章 この戦争から日本は何を学ぶべきか

 一 ウクライナ戦争の「当事者意識なき当事者」日本
(1) 「反ロシア共同戦線」への日本の参加
・「火事場」に立ち入った日本
・ミロノフの恫喝の意味
(2) サハリン・プロジェクト撤退問題―危機管理意識なき日本
・問題認識の倒錯―敵に回したロシアに依存し続けたい日本
・エネルギー政策の抜本的転換ができない日本
 
 二 立憲主義的統制に服する自衛戦力の確立
(1) 「危なすぎて使えない軍隊」としての自衛隊
・「仁義なき戦争」が跋扈する国際社会
・日本の安全保障体制の根本的欠陥―憲法九条と自衛隊の矛盾の放置
・自民党「改憲四項目案」の愚
・なぜ自衛隊は「使えない軍隊」なのか
・最低限の憲法九条改正構想
(2) 国際社会は「自らを助くる者のみを助く」
・「戦うウクライナ」が変えた欧米の支援姿勢
・「平和を愛する諸国民の公正と信義」の実相
(3) 「日米安保信仰」を超えて
・護符としての日米安保―「いざとなったら米軍が護ってくれるから大丈夫」
・護符の効験の実相
・自主防衛能力確立と日米安保体制対等化の不可分性

エピローグ―壊れやすきもの、汝の名は世界

関連情報

書評:
西平等 評「〈正義を遅らせるもの〉としての国際法について」 (『法と哲学』第10号293‐311頁 2024年6月30日)
https://www.shinzansha.co.jp/book/b10086192.html
 
磨井慎悟 評「ウクライナ戦争一年の教訓」 (『産経新聞』12版8頁 2023年3月5日)
https://www.sankei.com/article/20230305-2NI2VK3AJBNMNHSHBBGI4KTJMI/

歴史家の書棚 <30> 奈良岡聰智 評 (『Voice』, 240p 2022年12月号)
https://www.php.co.jp/magazine/voice/?unique_issue_id=12540

本書をめぐる対談:
SPECIAL INTERVIEW: 小林よしのり・井上達夫「『プーチンの戦争』がもたらした悪夢と憲法9条の呪縛に苦しむ日本」 (小林よしのり著『ゴーマニズム宣言SPECIAL ウクライナ戦争論2』扶桑社、92-132頁 2023年3月14日)
https://www.fusosha.co.jp/books/detail/9784594094157
 
倉持麟太郎・井上達夫「ウクライナ戦争と『正義』」『このクソ素晴らしき世界』#68 (8bitNews <Jun Hori> | YouTube 2022年10月19日配信)
https://www.youtube.com/watch?v=fi4dDhKYwL0
 
橋本努・井上達夫「ウクライナ戦争の本質とは何か?」 (『シノドス・トークラウンジ』 2023年4月26日配信)
https://synodos.jp/talklounge/28739/
 
本書をフォローアップする著者の論文:
井上達夫「この世界の荒海で――戦争犯罪に狂う報復主義と侵略に加担する宥和主義を超えて」 (『法と哲学』第10号1‐45頁 2024年6月30日)
https://www.shinzansha.co.jp/book/b10086192.html
 
井上達夫「ウクライナ戦争再説――侵略者に褒美を与えても、持続可能な平和は実現しない」 (『法と哲学』第9号1‐36頁 2023年6月30日)
https://www.shinzansha.co.jp/book/b10032750.html
 
関連記事:
特集ワイド: この国はどこへ これだけは言いたい 安全保障、国民が立たなければ 法哲学者・東京大名誉教授 井上達夫さん (『毎日新聞』東京夕刊 2022年4月8日)
https://mainichi.jp/articles/20220408/dde/012/040/008000c
 

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