[New Enlarged Version] The Decorum of Conviviality: Justice as Conversation 増補新装版 共生の作法 会話としての正義
本書は、1986年刊行の私の最初の単著『共生の作法――会話としての正義』の増補新装版である。旧版の版元、創文社が廃業したため、勁草書房より増補新装版として改めて世に送ることになった。本書は私の正義論の原点をなす作品である。利害と価値観において、先鋭に対立する人々が相互に尊重しあい、共に生きることはいかにして可能か。かかる共生 (conviviality) を可能にするために人々が対立を超えて守るべき作法 (decorum) となる原理は何か。これが本書の根本問題である。本書はこの根源的な問いに以下のように答えている。
第一に、いかなる価値判断もその判断主体にとってしか妥当しないとする価値相対主義 (value-relativism) は、解答になり得ない。価値相対主義は、共生の作法をなす原理の間主観的妥当性 (intersubjective validity) をも否定してしまうからだけではなく、その哲学的論拠が「自己論駁的 (self-refuting)」である――その論拠の主張をその論拠自体に適用するとその論拠が偽、あるいは真たり得ないことが論理的に帰結する――からである。
第二に、宗教や人生観などの「善き生の諸構想 (conceptions of the good life)」だけでなく、功利主義、リバタリアニズム、平等基底的正義論 (egalitarian theories of justice) など、正義の具体的判定基準 (specific criteria of justice) に関わる「正義の諸構想 (conceptions of justice)」も、十分な解答にならない。「善き生」の指針や、正義の具体的判定基準をめぐって先鋭な対立が事実として執拗に存在するだけでなく、活発な論争が続くのは健全なことだからである。
第三に、対立する正義の諸構想を共通に制約する原理となる「正義概念 (the concept of justice)」が存在する。本書ではこれを「形式的正義理念 (the formal idea of justice)」と呼んだが、「形式的」が「無内容性」と誤解されたため、その後は「正義概念」という語を用いている。その規範的実質は、自己と他者との普遍化不可能な差別 (non-universalizable discrimination) の禁止である。普遍化不可能な差別とは、自己と他者との個体的同一性における差異に究極的に訴えずには正当化できない差別のことである。この差別を是認するのが哲学的意味におけるエゴイズムである。共生の作法の原理的指針を私は正義概念に求めるが、この立場を擁護するには、「なぜエゴイストであってはいけないのか」という問いに答えなければならない。本書では、プラトン以来の対話篇の伝統に従い、エゴとディケー (正義の女神) の対話 (「ディケーの弁明」) の形でこの問題を考察している。
以上の原理的考察を踏まえて、社会契約説の意義と限界の再考、保守主義者とみなされてきたマイケル・オークショット (Michael Oakeshott) の「社交体 (societas)」理論のリベラルな再解釈も試みている。副題「会話としての正義」にある「会話 (conversation)」という言葉は、「ディケーの弁明」に具現させた対話的精神 (the dialectic spirit) に加えて、再解釈された「社交体」の理念をも意味している。増補では、トランプ現象のような民主主義の自壊の危機に対して本書の正義論がもつ意義を考察している。
(紹介文執筆者: 法学政治学研究科・法学部 名誉教授 井上 達夫 / 2022)
本の目次
第一章 正義論は可能か
一 「セーギの味方」
二 「正義よりも平和を」
三 階級利害還元論
四 相対主義
五 「それで?」
第二章 エゴイズム──倫理における個と普遍
一 正義と不正
二 形式的正義の「内容」
三 正義とエゴイズム
四 ディケーの弁明
第三章 現代正義論展望
一 問題状況
二 正義の概念
三 正義理論の諸類型
四 論争への招待
付説一 内在的制約説について
付説二 規範経済学の新展開──塩野谷祐一氏の近著に寄せて
第四章 リベラリズムと国家──社会契約説の可能性と限界
一 国家論と正義論の接点
二 自然状態モデルの構造
三 自然状態モデルと契約モデルとの関係
四 契約モデルは無用か
五 合意モデルの再構成──ロールズとノーズィックの場合
六 自律と他律
第五章 会話としての正義──リベラリズム再考
一 「正義嫌い」と「リベラル好き」
二 リベラリズムにおける正義の基底性
三 社交体と会話──リベラリズムの社会像
[増補] 三五年後の「共生の作法」──私の法哲学的原点へ
一 反時代的精神の挑戦
二 価値相対主義の倒錯を正す
三 正義概念の批判的再編──自己の恣意と欺瞞を裁く理念としての正義
四 民主国家を破壊する狂気の暴走──いまこそ「共生の作法」としての正義へ
関連情報
けいそうビブリオフィル: [増補] 三五年後の「共生の作法」──私の法哲学的原点へ (勁草書房編集部ウェブサイト 2021年7月16日)
https://keisobiblio.com/2021/07/16/atogakitachiyomi_kyoseinosaho/
受賞 (旧版):
第8回 (1986年) サントリー学芸賞・思想・歴史部門受賞 (『共生の作法 - 会話としての正義』創文社刊、1986年) (サントリー文化財団 1986年)
https://www.suntory.co.jp/sfnd/prize_ssah/detail/1986sr1.html
書評:
江藤祥平 (一橋大学准教授) 評「35年前からの挑戦状――正義に賭け続けたある法哲学者の生き様」 (『法学セミナー』2021年12月号No.803、120-121頁 2021年11月)
https://www.nippyo.co.jp/shop/magazine/8664.html
イベント:
シノドス・トークラウンジ: 歴史を刻んだ名著にしてデビュー作35年後の増補版、井上達夫『共生の作法』を読む! (SYNODOS 2021年8月28日)
https://synodos.jp/talklounge/26880/
『増補新装版 共生の作法』&『増補新装版 他者への自由』刊行記念 (下北沢 本屋B&B 2021年6月16日)
https://www.keisoshobo.co.jp/news/n40848.html