平成29年度東京大学大学院入学式 祝辞

式辞・告辞集 平成29年度東京大学大学院入学式 祝辞

 

このたび、東京大学大学院に入学・進学された皆様、心からお祝いを申し上げます。

 

今回、栄えある入学式にお招きを頂き、皆様にメッセージを伝える機会を頂戴いたしましたことを、大変光栄に思います。ここにおられる皆様のお一人お一人が、ご自分の専門分野で何をされたいかという、夢と覚悟を既にお持ちだと思います。私から皆様にお伝えしたいことは、一つです。「Embrace the World」、すなわち世界を、皆様のその腕で抱擁してほしい、世界を抱きしめる覚悟で、学びを進めて頂きたい、ということです。

私は、皆様が、ご自分の研究活動で世界の未来を変える覚悟で進んでいただけたらと思います。今この世界は、多くの困難に晒されています。世界で勃発し解決のみえない安全保障の問題、難民問題。世界中で見られる所得格差の拡大は、我々が慣れ親しんだ経済モデルがある時期から説明力を失いつつあることを顕わにし、多くの国で思いがけないポピュリズムの台頭と政治の混乱を招いています。そして地球規模の環境問題です。世界経済フォーラム――ダボス会議ともいいます――では、毎年、ビジネス・リーダーを対象に地球規模リスクのサーベイを行っていますが、今年サーベイが始まって以来初めて、環境リスク、例えば気候変動、異常気象、自然災害、水の問題などが、他の経済・政治リスクを圧倒しました。技術革新の分野では、第四次産業革命とも言われる波が進行中ですが、その潜在力をフルに活かせる土壌を世界が擁しているかどうかが、課題になっています。私が大学生の頃、明日は今日よりよい、世界は進歩している、と思っておりましたが、現在我々を取り巻いている状況は、そうした楽観を許しません。むしろこの世界は、途轍もなく難しい方向に、急速に流れていると思います。だからこそ、この東京大学で学ばれる皆様には、自分が世界の未来を、良い方向に変えるのだ、自分たちにはそれができるのだ、という気概で、学びを進めて頂きたいと思うのです。そういう願いを込めて、「Embrace the World」と申し上げました。 少し具体的な例を、私自身の経験も踏まえて、お話ししたいと思います。私は1981年に東京大学の経済学部を卒業して、当時の大蔵省(現在の財務省)に入った後、財務省と、IMF・世界銀行などの国際機関を、行ったり来たりして過ごしました。その間2006年には、東京大学の新領域創成科学研究科から博士号を頂きました。そして2012年に、現在務めておりますGEF(地球環境ファシリティ)という国際機関のヘッドのポジションに応募し、国際選挙を経て、GEFをリードすることになりました。

このことを皆様にお話しするのには多少のためらいがありますが、思い切ってお話しすると、私自身には、環境のバック・グラウンドはございません。それが、この機関(GEF )の仕事をするようになって初めて、地球環境の置かれた厳しい状況を知ることとなり、驚愕いたしました。

つい最近まで、人類は、「Holocene」(完新世)と呼ばれる地質時代にいると思われていました。この時代は、氷河期が終わり、気候が安定して、農業が出来るようになった時代です。そしてこの時代――11700年ほど続いたわけですが――は、我々が知るところ唯一の、人類の繁栄を可能にした時代でもあります。しかし最近多くの科学者が、我々はHoloceneを脱して、新たな世紀に入っていると考えています。彼らはこの時代を「Anthropocene」(人類の時代)と呼びます。人類の歴史上初めて、地球と人間の関係が変わった時代という意味です。それまで人類は、Holoceneという、類まれな安定的な地球環境のもと、順調な発展を遂げました。特に化石燃料をエネルギーとして使うことを学んでからは、その発展には飛躍的なものがありました。しかし1950年以降の爆発的な経済成長が、環境のコストを伴うことが顕かになってきました。環境のコスト、具体的には、温暖化、生物多様性の喪失、土壌の喪失、海洋汚染などです。急速な経済成長が、それまでの順調な発展を支えていた地球環境制度の機能を損ない始めたのです。つい最近まで、地球制度は、極めて強靭でした。人類が経済発展によってその機能を痛めつけても、驚くべき強靭さで、その衝撃を吸収してくれました。ところがここ20年ほど、その強靭性が限界に近づき、バックファイヤーし始めたと恐れられています。

こうした現状を前に、2009年、Rockstromをはじめとする数人の科学者が集まって、地球制度の限界値――どの程度の環境悪化であれば、地球は人類の経済発展を支え続けられるか――を計測してみようと試みました。その結果は、気候制度、生物多様性、土壌喪失、化学物資循環の分野では、我々は既に安全圏とされる「Planetary Boundaries」を超えて、危険水域に入っているというものでした。この危険水域では、これまで地球が供与してくれていた強靭な環境は保証されず、突然の環境変化も排除されません。Holoceneの時代は、「Small World on a Big Planet」でしたが、今や我々は、「Big World on a Small Planet」に住んでいるわけです。科学からのメッセージは明白です。人間の経済活動と地球制度との関係を理解し、その関係を変えていかない限り、我々の繁栄は保証されないというものです。 世界のリーダーたちも黙ってみていたわけではありません。2015年には二つの重要な世界的な合意がありました。一つは9月のSDG(持続可能な開発目標)であり、もう一つは12月のパリにおける気候変動合意です。この二つの合意には興味深い共通点があります。先進国・途上国の別なく、全ての国がサイン・アップしたこと、そして政治リーダーだけでなく、幅広い市民層、アカデミア、そしてビジネスのサポートがあったことです。さらには、両合意とも、地球環境の安定なしには、人類の持続的な繁栄はないという認識を包含しています。 そして世界の志ある人たちの間で今、地球と人類の関係をどう見直せばいいのか、どのような経済・社会制度の転換が必要なのか、そのための世界的な動きをどう作っていけばいいのか、の議論が繰り広げられています。

しかし問題の根本的な解決は容易ではありません。第一に、科学のメッセージが広く科学者でない人々に共有されることのいかに難しいことでしょう。さきほど私には環境のバック・グラウンドがないと申し上げましたが、実際私がこの問題を知るようになったのは、GEFのヘッドになってからであり、事実の深刻さに衝撃を受けました。しかしそれ以上に震撼させられたのは、私が長く在籍していた職場では、私も含めてこうした問題に関心がなかったことです。これだけ情報のあふれる社会の中で、我々はいまだに、「環境派」いわゆる「グリーン」な人々と、そうした問題に関心のない人々とに分かれている。そうして重要な政策や事業決定を行っているのは、主として「グリーンでない」人々です。これは非難ではありません。私自身が長いことそうしたグループに所属していましたので、彼らに関心を持ってもらうことの難しさを実感しております。

そして第二に、地球環境問題は、いわゆる「Tragedy of Commons」――公共財の悲劇――の最たるものだということです。「Tragedy of Commons」とは、共有の牧草地に村人が羊を入れるとき、一人ひとりは一匹でも多く入れたいというのが合理的な行動ですが、皆がそう動いた結果、羊が過剰になり、牧草地が枯れて、皆が損をするという例です。地球環境も同じで、皆が自分の利益最大化のために地球環境をむさぼった結果、――それは現在の経済システムの下では当然のことなのですが――、地球環境というまさに「Global Commons」の機能を損ない、人類全体が持続的な発展の基礎を失うという悲劇に晒されています。 Tragedy of Global Commonsの解決策を見出すことは、容易ではありません。現在の危機、すなわち我々の現在の経済発展と、それを支えてきた地球制度との衝突を回避するには、経済制度の根本的な見直しが必要です。例えば農業です。農業は、森林の農地への転換を通じて、既に大きな環境破壊の要因となっていますが、これからさらに増える人口を、環境を悪化させずに食べさせていくためには、農業の在り方の抜本的な変更が必要です。エネルギー制度はいまだ温暖化ガスの最たる供給源ですが、再生可能エネルギーへの転換をスピード・アップさせる必要があります。また都市化が急速に進む中で、都市の果たす役割もおおいに変わってきております。そして勿論、現在のリニア―な経済モデルをいかに循環的なものに変えていくかという大きな課題があります。政策、ビジネス、市民が一緒になって動いていかないと、経済制度そのものの根本的な変更はできません。個人個人は、現行の経済制度のもとで合理的な判断をしているわけですから、制度変更には、関連するアクターを、一度に動かしていく必要があります。「Tragedy of Global Commons」の克服の難しさは、政治のリーダー、政策執行者、ビジネス、市民の「共同体」をいかに作っていけるかという問題に帰着します。

一例を挙げましょう。パームオイルの生産は、インドネシアの熱帯雨林の伐採の最大要因になっています。伐採を食い止めるため、大手の生産者、小規模農業者、トレーダー、金融、市民団体、そして消費者グループが一体になって、乱伐採、乱生産を止めるための共同体を作ろうとしています。要になるのは、土地の使用権を決める政府です。志のある企業グループと乱伐採を止めようという地方政府の間で、こうした「共同体」ができつつあり、国際的な支援もこうした考えを支援する方向に向かっています。同じような「共同体」が、意思のある市長さんの集まりや、再生可能エネルギー100%転換を目指す企業グループなど、各所に見られるようになってきました。

私の現在の仕事は、地球環境と人類の持続的繁栄の両立を図ることであり、そのための経済制度の抜本的な転換を進めることであり、今申し上げたような「共同体」の試みを支援していくことです。その土壌作りのため、最近では、「Global Commons」についてのキャンペーンを開始しています。そして志をともにする政治リーダー、政策者、企業人、アカデミアがこうした活動の推進力になっています。

私自身、この仕事に携わるようになって、懸念していることがあります。地球環境制度と両立する経済制度をどう構築していくか、といった議論は、政府、国連関係の会議、ビジネス中心の会議、アカデミアを交えた会議など、あちらこちらで行われるようになっています。しかし、そうした政策議論の場、特にルール作りに関係するような重要な場面で、日本人の活躍が極めて限られているように見えることです。これには幾つか理由があると思いますが、その一つは、日本社会の成り立ち、企業や官庁の組織が縦割りになっていて、横の連携を必要とする問題に機動的に対応することが難しいということかと思います。特に「Global Commons」の問題は、科学と政策とビジネスを、同じテントの下にもってきて一緒に解決策を構成していく必要があります。アカデミアの分野においても、日本の学術は分野融合的な領域において遅れをとっていると言われております。地球制度そのものが、幾つもの学術分野の融合するところですし、経済制度との整合については、自然科学と人文科学の融合が必要となります。こうした分野融合的な領域における活躍は、我々の経済発展を「Planetary Boundaries」の枠内に収めるためのシステム変更を模索するときにも、SDGを追及するときにも、必要不可欠です。

冒頭、皆様には「Embrace the World」を志して頂きたいと申し上げました。今後とも人類が、「Big World on a Small Planet」であることを認識して持続的に繁栄するために、そしてそれを目指した世界のルール作りに日本が貢献するために、皆様には世界を視野に入れた活動を進めて頂きたいと思います。世界で何が起こっているのかを、常に考えて頂き、さらにご自分の研究が、世界の未来をどのように変えられるのかを、常に求めて頂きたいと思います。そしてご自分が、いずれその場に立たれたときに、思う存分影響力を発揮できる力を付けていって頂きたいと思います。

 

本日はおめでとうございます。

 

平成29年(2017年)4月12日
地球環境ファシリティ議長兼CEO  石井菜穂子

カテゴリナビ
アクセス・キャンパスマップ
閉じる
柏キャンパス
閉じる
本郷キャンパス
閉じる
駒場キャンパス
閉じる