平成29年度東京大学大学院入学式 医学系研究科長式辞

式辞・告辞集 平成29年度東京大学大学院入学式 医学系研究科長式辞

 

東京大学大学院に入学および進学された皆さん、本日はおめでとうございます。また、入学生、進学生のご家族や関係者の皆様も本日の入学式をお喜びのことと思います。皆さんの新たな門出にあたり、心よりお祝いを申し上げます。

 

私の専門分野は医学・生命科学で、がん研究に長年携わって来ましたので、今日はがん研究の話から始めさせていただきます。がんの臨床は現在、革命的な変化の時期を迎えています。肺がんを例にあげると、ほんの十数年前までは、がんが進行し、手術で取りきれなかった場合、放射線や抗がん剤による治療では十分な効果は期待できませんでした。肺がんは長い間、最も治りにくいがんの一つとされてきたわけです。しかし、ある種の肺がんの中に、がんの進行に中心的な役割を果たす遺伝子の異常(これをドライバー遺伝子変異と呼びますが)、このドライバー遺伝子変異が肺がんで次々と見つかり、これらの異常な遺伝子の働きを抑える薬、例えばイレッサのような新しい薬が続々と開発されて来ました。その結果、かつては余命数ヶ月と診断されたような肺がんの患者さんがこれらの薬によって劇的に改善するケースが見られるようになって来ました。もちろん完全に治癒することはまだ難しいですが、医学・生命科学の進歩により進行肺がんという難病を人類は徐々に克服しつつあると実感しています。

こうした革命的進歩の原点となる研究は、実は50年以上も前にさかのぼります。私たちの体の中には細胞の増殖を促進する働きを持つgrowth factorというタンパク質が何種類も存在すること、これらのタンパク質は細胞表面のreceptorに結合して細胞の中に信号を伝えて細胞を増殖させることが明らかになりました。そして近年になってある種の肺がんではこれらのreceptorや細胞の中で信号を伝えるタンパク質の異常によって細胞の増殖が異常に強く起こることでがんが進行することが明らかにされたわけです。50年以上にわたる研究の成果により、肺がんの本態ともいうべき姿が次第に明らかとなって来たと言えます。こうした研究に東京大学をはじめ数多くの日本の研究者が携わり、ブレークスルーともいうべき成果をあげて来たことはよく知られています。

これらの研究に携わった研究者の多くは自らの研究成果が将来人類の役に立つことを望んでいたことは間違いありません。しかし、多くの研究者にとって日々の研究を行う原動力となったのは、実は生命の神秘に興味を持ち、それを解き明かそうという強い好奇心であったと私は思います。

 

素晴らしい研究者と出会うことは、私たち研究者にとって大きな喜びです。東京大学を卒業し、その後京都大学医学部教授として活躍され、残念ながら2005年に52歳で亡くなられた月田承一郎博士は私が尊敬し、憧れる研究者の一人でした。月田博士は細胞と細胞の接着、すなわち「細胞接着」に関する研究を行い、タイトジャンクションという構造の中に存在するオクルディンというタンパク質を1993年に発見しました。この発見のインパクトは大きく、オクルディンの重要性は世界で広く認められました。ところが数年経って、月田博士のグループで当時の最先端の手法でオクルディンを作らない細胞を作成したところ、当初の予想は完全に裏切られ、これらの細胞は正常の細胞と同じように細胞同士がしっかりと接着することがわかったのです。月田博士の自伝には、このとき彼らがいかに驚き、落胆したかが書いてあります。研究者としてはまさに悪夢のような出来事でした。しかしその後、月田博士たちは、オクルディンの他に細胞接着にもっと重要なタンパク質があるはずだと考え、あらためてこの幻のタンパク質を探し始めました。そして1998年になってタイトジャンクションに存在するもう一つのタンパク質クローディンの発見に成功したわけです。月田博士のこれらの発見は現在も世界中で高く評価され、多くの教科書に記載されています。

ここで改めて気づくことは科学の奥の深さです。大きな謎を解明したと思ったら、その先にもっと大きな謎が現れてくることは稀ではありません。研究を通して得られた結果が期待に反することはしばしばあることです。そうした時に実験で得られた事実に対し、正直で謙虚であることが新たな道を拓くことになります。私自身、予想と異なる実験結果が出て、途方にくれた経験が何度かあります。期待に反する結果を前に、正直で謙虚であることは実は容易なことではありません。しかし、既存の考えに捉われず、素直に結果を解釈することが、実は正しい結論にたどり着く近道であることは、多くの研究者が経験してきたことだろうと思います。

 

ここで少し私自身の若い頃の話をさせていただきます。私は36年前に医学部を卒業した後、内科医として勤務しましたが、しばらくして研究に真剣に取り組んでみたいと思いはじめました。私はこのころ、スウェーデンのグループが発表した「growth factorとがん」の関係を明らかにした論文を読み、衝撃にも近い感銘を受け、押しかけるような形でその研究室に留学しました。この時の研究生活は今から振り返ると夢のように楽しい毎日で、その経験が私の現在までの研究に対する思いに繋がっていると思っています。

このころヨーロッパ、とくに北欧の文化に触れたことも私にとっては貴重な経験でした。1980年代半ばにスウェーデンではすでに消費税は25%でした。来るべき高齢化社会を見据えた高度の福祉、すみずみまで組織だった医療制度、夫婦で育児休暇を取得するなど徹底した男女共同参画に驚いたことを覚えています。異なる文化に触れて私の考え方も大きく変わりました。皆さんには大学院に在学中に海外の研究者と積極的に交流し、また是非とも海外に行き、異なる文化に触れる機会を数多く持ってほしいと思います。また、今日、この入学式には海外からの留学生の方も多くおられますが、留学生の皆さんには日本の文化に存分に触れて、将来の糧としていただければと思います。

 

私は実は春の入学式で新入生の皆さんを迎えるのが今年で7回目となります。毎年、この壇上で皆さんの顔を見ながら、この中にもしかすると30年か40年後にノーベル賞をとる人がいるかもしれない、あるいは新しい学問分野を開拓するような大発見をする人がいるかもしれないと期待しつつ、皆さんを迎えています。研究に限らず様々な分野で成功を納める人を一人でも多く輩出することができれば、私たち教員にとって大きな喜びです。

今日ここに集まった皆さんの専門分野は様々で、皆さんの興味の対象は大きく異なると思います。しかしおそらく皆さんにとって共通する最も重要なことは、それぞれの分野において真剣に向かい合える研究テーマに出会うことだろうと思います。皆さんが興味を持てるようなテーマに出会い、稔り多い大学院生活を送っていただくことを私は心より期待します。

 

学ぶことは楽しいものです。皆さんが元気に活躍されることを祈って、私の式辞とさせていただきます。
 

平成29年(2017年)4月12日
医学系研究科長  宮園 浩平

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