平成30年度東京大学大学院入学式 祝辞

式辞・告辞集 平成30年度東京大学大学院入学式 祝辞

 

皆さん、この度は東京大学大学院に入学、進学まことにおめでとうございます。またご家族の皆様にも心よりお祝い申し上げます。私は東京大学の教員として、そして何よりも、これからの皆さんの同僚となる現役の一研究者として、皆さんにお祝いの言葉を述べることができるのをたいへん嬉しく思います。私が大学院に進学したのは、42年も前ですが、その時に感じた喜びと誇り、そして研究生活への胸の高鳴りは、大げさでなく、つい昨日のように感じられます。東京大学大学院は、学術と先端研究の最高峰であり、皆さんの夢や目標の実現をするうえで、最高の環境を提供してくれると確信しています。

 

私は、物性物理学を専門としています。物性物理学とは、物質のなかの電気的、磁気的な性質や機能を追求する研究分野です。エレクトロニクスは、今日の情報・通信社会を支える基盤技術のひとつですが、物質の中の電磁気応答の物理の理解がその発展を支えてきましたし、今後もその重要性は大きくなると思っています。少しだけ、関連する学術の歴史を振り返ってみたいと思います。19世紀の物理学は、「電磁気学」の時代であったと言ってもよいと思います。19世紀前半には、ガウス、エルステッド、アンペール、オームなど、現在、物理法則や単位にその名を残す科学者達によって、次々と新しい法則の発見がなされ、やがて、それらは、「マックスウェルの方程式」として、古典電磁気学が完成します。たとえば、今日の発電機などの基本原理となる効果にファラデーの電磁誘導という現象があります。導線でコイル形状を作り、その中で磁石を出し入れしたりすると、コイルに電圧が発生するというものです。あるいは、逆効果として、コイルに電流を流すと磁場が発生すれば、モーターの基本原理となります。そもそも、電磁気学-electromagnetism-という名前自体が、電気で起こる磁気、という意味であり、このファラデーの法則のように、電気的作用と磁気的作用が不可分であることを明確に指し示したものとなっています。電磁誘導の原理なしには今日の人間社会は成り立たないものです。

 

さて、このすばらしい電磁気学を固体や結晶に当てはめようとすると、どのようなことになるでしょうか。実は話はそれほど簡単ではありません。なぜなら、固体中の電気作用、磁気作用や両者の絡み合いを媒介するのは、固体中の多数の電子であり、電子の動きを正確に理解することが必要となります。たとえば、鉄や銅は同じように電気を良く流しますが、鉄だけが磁石にくっつく、あるいは磁石(強磁性体)になるのは、どうしてでしょうか。物質のなかの電子の動きは「量子力学」という電磁気学より半世紀以上も後に誕生した物理学の取り扱う分野です。しかし、この[量子力学]の基本原理がわかっても、多数の電子の振る舞いを予測するのは至難の業です。しかし、多数の電子がいればこそ、概念的にも新しい現象が起こりうるわけで、これは磁性しかり、超伝導(電気抵抗が消失する現象)しかりです。

これは、何も固体中の電子に限った話ではなく、多数のミクロな要素が絡み合ったときに、個々の要素の現象の足し合わせだけでは、簡単に推測できないような劇的なマクロ現象が、サイエンスの分野ではしばしば起こります。「多は異なり。」 (More is different.)とは、ノーベル物理学受賞者で東京大学名誉博士のP.W.アンダーソン博士が物理科学の魅力を説いた言葉です。現代は「シリコン文明」といってよいほど、単純なバンド理論に基づく物性物理学が成功を収めましたが、しかし、固体の電子による新しい「電磁気学」の可能性は、実はまだ無限にあります。私自身が研究活動のなかで40年も過ごしてきたのに、いまだに日々新しい現象の発見があり、背後の真理の探究に夢中になれる、これは研究者として至福という以外にありません。

 

さて、私がこのように楽しそうに研究の話をしていると、「研究者として一番大事なことは何ですか」と訊かれることがよくあります。大学の教員としては、「勉強することがまず大切です」といつも答えますが、実はもっと大切なことがあると思っています。どの社会、職業にも共通することですが、特化した才能、段取り力、協調性、コミュニケーション能力、人柄、幸運など、どれも研究者としての成功には必要なものです。しかし、どれかが少々欠けたとしても、他に補う十分の長所があればよいことも多くあります。ことほどさように、人の価値、才能は多様です。しかし、仕事を発展させるのには、必要なことを常に学ぶ続けることや真理を探究し続けることが必要ですが、これには才能というよりはサイエンスに対する「情熱」や「動機」が最も重要なのです。

おそらく、後1~2年もすれば、皆さんが情熱をもって研究することについては、ごく狭い領域からもしれませんが、あなたが指導教員を超えて、世界で一番の物識り、深い理解者になっていると思います。そう実感する日がきっとすぐに来ます。それさえできれば、そこを拠点に、自分を発展させていくことができます。自分の長所を生かして、そして、「学び」によって自分の短所を薄めればいいのです。そうすることで「学ぶ」ことが大きな喜びに変わるはずです。

 

私は高校生のころ、伝手をたよって、ある高名な大学教授のもとに行き、「科学者になりたいのですが、どうしたらよいでしょうか。」と、幼い質問をしたことがあります。その先生がおっしゃったのは、「科学者としての才能のジャンプは20台半ばで起こる。ある時、泥をかぶった地蔵からさっと泥が落ちて、突如輝きだす。君もそうなるかも知れません。」素直な私は、この言葉を大学院に入学するまでずっと信じ続けました。私のその後の30年の大学院教員としての実感としても、この法則は大変正しいものと思っています。中国の古典の三国志演義に、呉の国の武将の呂蒙の逸話があります。見違えるように成長した呂蒙が幕僚に発した言葉に、「士別れて三日なれば、即ち刮目して相待つべし。」すなわち、 日々鍛錬する人が居れば、その人は3日も経つと見違える程成長しているものだ、という言葉があります。全くその言葉通りに、私は日々接する大学院生たちが、わずかな期間にありありと一皮むけたように成長していること、あるいは泥が見事に落ちて金ぴかの地蔵が現れていることをしばしば目撃します。

 

さて、これから付け足すのは、皆さんが泥のきれいに落ちた地蔵になってからの話です。小さな分野・専門ではすでにあなたは世界一になっています。その経験をもとに、あなたの夢や人生の目標を再構築してください。その折には、あなた自身が人類社会の一員として、人類の幸福にどういう貢献ができるかも、あなたの新しい夢と目標に取り入れてください。東京大学大学院は、それに至るまでの最高の「学び」の環境を提供してくれるでしょう。

 

皆さんの大学院生活が実り多きものとなり、幸多き人生を歩まれんことを祈念して、お祝いの言葉とさせていただきます。

 

平成30年(2018年)4月12日
東京大学卓越教授/独立行政法人 理化学研究所 創発物性科学研究センター長 十倉 好紀
 

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