本書は、『現代インド』(全6巻) の第1巻である。本シリーズは、人間文化研究機構地域研究推進事業「現代インド地域研究」が2009~14年度の6年間にわたる研究活動の集大成であり、新たな現代インド理解を学会と社会に提起することを目的としている。
そのメッセージの核心は、現代インドの活況の基盤を、社会の開放性と多様性にみることにある。本書は、生態的・文化的な多様性に基づきつつ、さまざまな社会集団が共生し交流する、インドの「多様性維持型の発展径路」の論理と歴史を明らかにし、それがいかに現在の多元参加的な政治経済社会を支えているかを分析するものである。
本書を含む『現代インド』のシリーズを編むにあたっては、西洋中心主義だけでなく日本・東アジア中心主義をも乗り越え、真に多元主義的でありながら同時に普遍主義的な視角を有するような、新たな歴史観・世界観を練り上げたいという大きな目標があった。世界には多元的な諸地域があり、そこにはそれぞれ固有の歴史的な発展径路があるからだ。本シリーズで果たそうとしたことは、現代インドの固有のダイナミズムに潜む普遍的な意義を明らかにし、その限界も含めて吟味した上で、人類共通の知的資源として提供することである。そのために私たちは、現代インドの経済成長およびデモクラシーの深化を支えるメカニズムと、それにともなう全体的な構造変動のありかたを明らかにすることを試みた。
現代インドにおいては、多様な社会集団が政治経済的そして社会文化的な行為主体性を有するに至っており、従来の生活世界を超えて、村落・都市・海外をまたぐ大きな範囲で移動し、公共圏で声を挙げるようになっている。そこに現れているのは、多様性を保ちながら新たにつながりあい、摩擦を起こしながらも活発に動いている、多元的で重層的な大きなうねりである。格差や差別の問題が解消したわけではない。だが、だからこそ今、執拗な不平等の克服のために多様な民衆が公共圏に参加し自らの声を発しようとしており、それが社会変化を促す大きな活力となっている。
国民社会の均質性が近代化への鍵とされたこれまでの理解を超えて、インドは多様性を核とした独自の発展径路とデモクラシーのかたちをつくろうとしている。現代インドは多様性を維持したまま、格差と差別を克服して、より平等な社会を実現できるのか。この問いは、グローバル化によって多様な地域や人びとが密接につながりつつある世界全体にとっても重要な意味をもつだろう。多様性と平等性の両立に向けた希望と困難はいかなるものか。
本シリーズは、こうした問題意識に立ちつつ、変貌する現代インドを学際的・長期的な視野から検証し、現代インドの現実を総合的に把握すると同時に、将来的展望を提示することを目指した。現代インドの分析を通じて、世界の未来にとって意味のある新たな問いと視角を提示できていれば幸いである。
(紹介文執筆者: 総合文化研究科・教養学部 教授 田辺 明生 / 2016)
本の目次
第I編 生存基盤確保の歴史
第1章 環境の多様性と文化の多様性 佐藤孝宏・杉原 薫
第2章 人口と長期的発展径路 - 生態環境と「開墾・定住」過程 脇村孝平
第3章 近現代インドのエネルギー - 市場の形成と利用の地域性 神田さやこ
第4章 生存とジェンダー -「家族」をめぐる言説と実践から 粟屋利江
[補論1] ユーレィジアン問題 水谷 智
第II編 開放体系としてのインド世界
第5章 支配と共存の論理 - 近世インドにおける国家と社会 太田信宏
第6章 環インド洋世界とインド人商人・起業家のネットワーク - 植民地期における複合性・多様性 大石高志
第7章 植民地期における国内市場の形成 杉原 薫
第8章 差別解消のヴィジョンと方法-ガーンディーとアンベードカル 長崎暢子
[補論2] 英領インドの企業 野村親義
第III編 グローバル・インドの潜在力
第9章 多様性社会と宗教的共存の文化的基盤 - ベンガルの聖者廟におけるヒンドゥー教とイスラーム 外川昌彦
第10章 独立後インドの経済発展径路 - 多様性と階層性のガバナンス 藤田幸一
第11章 民主政治と社会運動 - 制度と運動のダイナミズム 中溝和弥・石坂晋哉
第12章 グローバル・インドのゆくえ - 多中心的なネットワークの展開 田辺明生
[補論3] 工場の中の神霊 石井美保
[補論4] 連邦制 藤倉達郎
関連情報
http://www.indas.asafas.kyoto-u.ac.jp/static_indas/index.html
南アジア地域研究
http://www.indas.asafas.kyoto-u.ac.jp/
東京大学出版会 現代インド (全6巻)
https://www.utp.or.jp/series/india.html
書評:
『大阪市立大学経済学会 経済學雑誌』 第117巻第2号 (2016年9月)
『南アジア研究』第28号 (予定)