令和6年度東京大学大学院入学式 薬学系研究科長式辞

令和6年度東京大学大学院入学式 薬学系研究科長式辞

東京大学大学院に入学、進学された皆さん、本日は誠におめでとうございます。また今日の良き日を迎え、ご家族の皆様、関係者の皆様もさぞお喜びのことと存じます。心よりお祝い申し上げます。私も個人的に、東京大学の理科1類と大学院薬学系研究科の新入生として入学式に参加した者として、それから30数年後にこうやって皆さんの新たな門出に立ち会い、お祝いの言葉を述べることができ、大変うれしく思っております。また皆さんの中には、東京大学を卒業された方も比較的多いかと思いますが、4年前の武道館での学部入学式はコロナのために中止となってしまいました。この意味でも、晴れて武道館での入学式に臨むことができていることを心からお祝い申し上げます。

さて皆さんは、大学院で何を学びたい、達成したいとお考えでしょうか? 何か明確な目標を既に決めていられる方もいらっしゃると思いますが、私は少なくともほぼ何も決めていませんでした。何か面白いサイエンス、特に私の場合は生物有機化学が専門の研究室であったので、化学と生物学に跨がる面白い研究ができればなあと漠然と考えていた位で、そのためにまず修士課程で、研究が面白くなればその後の博士課程で色々と経験してみるか、程度のモチベーションでした。振り返ってみると、実際にその大学院時代に色々な経験ができ、今こうして皆さんにお話をすることになる人生の選択をすることになったわけですが、得られた経験のほとんどは自分で綿密に計画したわけではなく、偶発的に見つけられたことや先生や先輩方から教えていただいたことがほとんどでした。特に私の指導教官であった先生が、大学院の卒業式でおっしゃられていた言葉は非常にインパクトが強く、今でも鮮明に覚えていますので、皆さんにもご紹介したいと思います。それは、サイエンスをするときには単に正直であるだけはダメで、時には虚勢を張って、大風呂敷を広げて話をしなさい、というものでした。その言葉を聞いたときには、サイエンスで虚勢を張ると言うことは許されないのではと一瞬思いましたが、その言葉の後に先生は「大きな風呂敷を広げたのであれば、速やかに帳尻を合わせる努力をしなさい」とおっしゃいました。先生が言いたかったことは、「夢を語るときには現実的にできる事だけを正直に語るのではなく、多少の誇張は気にせずに大きく語りなさい。でも語ったからには、その誇張が嘘でなくなるように、最大限の努力をして帳尻を合わせ、あわよくばより大きな夢の実現に繋げなさい」という事でした。この教えは30年経った今でも、私の研究を常に支える言葉になっています。

次にそうやって行ってきた私の研究について少し紹介いたします。皆さんから見て、今ここにガウンを着てしゃべっている人がいるとわかるのは、私が着ているガウンに色素が入っていて、その色が見えているからです。しかし物質はここにあるだけではなく、皆さんと私の間にも物質は沢山あります。窒素や酸素といった物質です。ただそれらの分子は色がないので、見ることができません。なので、もし皆さんの熱気がすごくて、ここの酸素濃度が低くなっても、単に見ているだけでは我々はそれに気付くことができません。もし酸素濃度を知りたければ、一部の空気をサンプリングして、測定装置にかけて定量することは可能です。それでもこういったサンプリング測定では、空間的に全体的に見て、どの辺りの酸素濃度が低くなっているかとか、時間経過と共にどのように濃度が変化しているかを知ることは非常に難しいです。もし酸素分子が元々赤色の分子であれば、あれ、ここの空間はだいぶ視界の赤色が薄くなったから酸素が少なくなっているな、などと気付くことができますが、残念ながら酸素分子は無色透明で見えません。

実は同じ事が細胞を構成している物質でも言えます。DNA、RNAなどの核酸、様々な機能を持つタンパク質、脂質など、重要な生体分子はほぼ全て無色透明なので、普通に顕微鏡を見ていても、その分子が今細胞のどこに、どれだけあるかを知ることは不可能です。もちろんサンプリング解析は可能ですが、生物が「生きている」という高次の機能を発揮するためには、ある瞬間に空間上のどの位置にどのような分子が存在するかだけではなく、その分子が時間的にどう変化するかも非常に重要な因子となることが指摘されています。実際に、時間という次元を持って観察することで初めて分かる生物学的事象は多く、さらに我々人間も生物ですから、我々の健康、疾患状態の理解、またその先にある治療薬の開発に、時間軸の概念は必須です。ですので、細胞の中で観察したい分子が無色透明であることは、生物・医学研究、さらには治療薬開発までの大きなハードルとなります。

ここで、もし自分が観察したい分子に選択的に色を付けることができれば、それが今どこにいて、どう変化していくのか、時間軸を持って追うことができるようになります。私は、このような観察対象物質に色、正確には蛍光色を選択的に付ける機能をもつ、化学ベースのイメージングプローブの開発を行ってきました。最近では結構色々な物質や現象を可視化できるようになってきていて、例えば、元々は色が付いていないために観察出来ない患者さん体内のがん部位が、今どの程度の大きさで存在して、その大きさが1ヶ月前と比べてどう変化していて、また今後の薬の投与で1ヶ月後にどのように変化するかといった、時間軸を持った観察が可能となる技術もできてきています。さらにこの技術の一部については、東大病院との協同による、実際の患者さんへと適用する臨床試験も始まっています。このような大学発の最新技術を実装して、社会がその恩恵を享受できるようにして、「公共を担う」大学としての責務を果たして大学の価値を高めること、これも現在の東京大学の大きなミッションの一つです。

話が少し大きくなってしまいましたが、最後に皆さんが大学院生活を送る上で、是非お願いしたいことをお伝えします。様々な細胞から成っていて、意志を持って行動する機能を持っている我々の人生も、もちろん時間軸の概念は非常に重要です。それは、先ほど紹介した私の一生を決めた一因となった言葉や、様々なサイエンスを教えていただいた私の指導教官から受けたご恩は非常に大きく、是非そのご恩返しをしたいのですが、同じ大きさのものをその先生に直接返すことは、時間的に難しいです。これは私に限ったことではなく、皆さんが今日この入学式に参加出来ているのは、間違いなくご家族や関係者の皆様のおかげでもありますが、その受けたご恩をそのままご両親などに返すことはできません。このように、受けてきたご恩をその方々に直接返すことができないのであれば、我々がなすべきことは、そのご恩を次の世代に与え伝える事だと思います。糸を紡ぐ、つまり一つ一つは短くても、それを紡いで1本の長い糸にするように、時を紡いで、過去から現在、現在から未来へと多くの世代に跨がってご恩をいただき、それを若い世代に受け渡して、よりよい未来に繋げること、この重要性を最後に皆さんに訴えて私のお祝いの言葉を終えたいと思います。皆さんはまだご恩をいただくフェーズです。是非大学院生活で、臆することなく貪欲に、先生、先輩、同僚から色々なことを教えてもらってください。学んだことを自分なりに紡いで、将来の若手世代、子供世代に、与えてもらったご恩を繋いでいってください。そして30年後に、皆さんの中から入学式で祝辞をする立場になる人が出てくることを楽しみに、私の挨拶を締めくくりたいと思います。

令和6年4月12日
薬学系研究科長
浦野 泰照

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