およそ3千年前になると、朝鮮半島から水田稲作をはじめとした穀物栽培を受け入れて弥生時代が始まります。土地や水をめぐってムラや地域の統率者の義務と権利が大きくなり、それに応じて身分の格差が生まれました。そして戦争を一つの手段とした地域の統合を経て迎えたのが、大王をいただく古墳時代であり、弥生時代はその前史として位置付けることができるでしょう。
このように書くと、歴史的な発展という意味では、縄文時代と弥生時代の差が際立っています。弥生時代は国際化、都市化、戦争、格差の拡大といった、現代がかかえるいろいろな矛盾が萌出した時代として、縄文時代とは比べものにならないくらい日本歴史に重要な意義をもった時代とみなされがちではないでしょうか。
たしかにそれらは大きな変革でした。しかし、縄文文化のなかにも様々な変革が生じていることも見逃すことはできません。
近年の考古学の発展と分析の多角化によって、色々なことが分かってきました。たとえば、土器をつくるときに混ざった植物の種の圧痕をシリコンで型取りして顕微鏡観察し、植物学者と提携して植物の種類を同定する分析を行った結果、縄文時代にはダイズがかなり栽培されていたことが確認されました。その一方、縄文時代の古い時期からイネが栽培されていたのではないかという、教科書にものっていることについてはそのような事実は今のところ認められません。つまり、縄文時代は穀物栽培のような手間暇をくう生業は敬遠していたのです。採集狩猟を生活のメインに据えた縄文時代は、1万年以上も続きます。そのサステナビリティーの根源は、自然との共生にあったといえるでしょう。
そのような自然採集物獲得経済を基本としているうちは、平等な社会が展開されていると考えられてきました。しかし、縄文時代の墓の副葬品や装身具を見ると、明らかに人々の間に格差が生じていることに気づきます。その背景を解き明かすのが、興味あふれる課題になっています。
弥生文化に対して、現代に通じる革新的な内容ばかりを強調するのも問題であることが指摘できます。たとえば、農耕生活にとって重要な什器である弥生土器、あるいは農耕を支えた儀礼に使われた銅鐸、それらに縄文土器の文様が取り入れられていることが、研究の結果分かりました。農耕も稲作一辺倒ではなく、地域によっては縄文社会のシステムを利用しながらアワやキビの雑穀栽培をメインにしています。弥生文化といっても、大陸の文化を唯唯諾諾と受け入れているのではなく、また地域の事情に応じてさまざまな農耕文化を展開していたことが分かるでしょう。
本書は、縄文社会と弥生社会をそれぞれ比較したものですが、これまでのステレオタイプの考え方とは距離をおき、縄文社会においては革新的な変化の背景を、弥生社会においては伝統的な価値観がどのように作用していったのか解き明かそうとしました。
(紹介文執筆者: 人文社会系研究科・文学部 教授 設楽 博己 / 2017)
本の目次
第2章 ムラの姿の変貌
第3章 縄文・弥生時代の男女
第4章 人生の節目
第5章 祖先のまつり
第6章 受け継がれる縄文文化
第7章 生産と流通の変化
第8章 クニへの歩み