危機対応学は、社会に発生する様々な危機について、そのメカニズムと対応策を社会科学の観点から考察する新たな学問である。それは2016年度から開始された、東京大学社会科学研究所を挙げての研究プロジェクトである。
そのうち本書は、自然災害について、人々がどのような意識を持ち、どのように対応しようとしている (いない) のかを調べた独自のアンケート調査を用いた計量分析によって構成されている。そのアンケートは、研究所と10年以上の交流があり、東日本大震災の津波被害で甚大な被害を経験した、岩手県釜石市の人々からの生の声や意見を参考にして設計されたものである。
序章と終章を含む9章の分析からは、主に2つのことが確認された。その第一は、自然災害の発生後に、すべての人々が一致協力し、難局に対応することの難しさである。大地震などの発災後には、人と人との絆の大切さが強調されたり、被災した皆が団結したことで難局を乗り越えてきたという美談が語られることも多い。だが、すべての被災者が協力し合って危機に対応可能なのは、現実には例外的な状況でしかない。だからこそ、発災前の日常時に、危機後に起こる状況をできるかぎり見通し、特に深刻な状況に陥りやすい人への対応策を具体的に決めておくことの大切さが示唆された。仮設住宅への入居の順番など、一筋縄ではいかない問題であり、だからこそ優先順位と抽選方式の併用など、前もって決めておくことが迅速な対応につながることになる。
第二に確認されたのは、将来危機が現実のものとなったときに備えて、「一体どのような事態が起こり得るのか」といった想定をできるだけ多くの人々が共有しておくことの重要性である。なかでも、子どものいる世帯において自然災害への準備が乏しい場合が多くなっており、災害時には子どもが危険に晒される可能性が大きいという想定を多くの関係者で想定を共有することが求められる。
また危機を克服する手段としては、「自助・共助・公助」のいずれかによる対応が一般に求められる。だが、災害時には、3つの「助」をすべて兼ね備えた人々と、いずれも有しない人々への深刻な分断構造が生じることも予め想定されなければならない。このような想定を共有しない社会では、共助も公助も利用せず、自助努力もしない人々は、困難も本人の自己責任として、捨て置かれるおそれが生まれることになる。
さらに本書では危機への対応として、事前の計画性を重視した「エンジニアリング」による対応に加え、状況に応じた即応的対応である「ブリコラージュ」の両方が求められることも指摘する。ただ危機対応には、未解明な点も多い。本書は「危機対応学として今、社会科学に求められているのは、今後も危機に直面し続けるだろう人間と社会のあり方についての、あくなき探求の姿勢なのである。」という言葉で結ばれる。
(紹介文執筆者: 社会科学研究所 教授 玄田 有史 / 2019)
本の目次
1 危機対応学とは
2 本書の特徴
3 釜石の経験を踏まえた調査
第I部 個人・家族の備えと意識
第一章 自信がない・準備もない──その背景にあるもの [玄田有史]
1 心配なのは地震
2 自信と準備の状況
3 自信と準備を決めるもの
4 経験と予測の影響
5 性格・志向とブリコラージュ
6 即応の背景とダイバーシティ
7 誰もが危機に即応できる多様性社会を
第二章 「危機意識」の背景と影響──保険加入とリスク評価 [藤原 翔]
1 地震に対する危機意識
2 誰が地震に対する危機意識を抱いているのか
3 備えとしての地震保険
4 誰が地震保険に加入しているのか──生命保険加入との比較から
5 宝くじ購入は何を意味しているのか
6 おわりに──人間行動の理解に向けて
第三章 危機に対し家族は──家族役割とジェンダー [苫米地なつ帆]
1 個人と家族の関係
2 家族・家族役割の視点
3 災害への事前対策として、誰が、どのような準備をしているのか?
4 家族の協同とジェンダー
5 一人で暮らす人々や子どもたちのために必要なこと
第II部 危機をめぐる社会構造
第四章 防災対策が「わからない」──認知度から知る社会構造 [飯田 高]
1 はじめに──公助と共助
2 防災対策の認知度
3 「わからない」と普段の行動との関係
4 統合的な分析と考察
5 おわりに──防災の世代間格差?
第五章 居住と愛着──「暮らし続けたい」を決めるもの [鈴木恭子]
1 「人」と「場所」をめぐる関係性
2 日本人と居住継続
3 どのような人が「暮らし続けたい」と感じているか
4 自然災害のリスクや経験はどう経験するか
5 どうすれば地域への愛着が高まるのか
6 しなやかな愛着の形を求めて
第六章 孤立と信頼──平時と災害時の関連性 [石田賢示]
1 災害時の信頼に関する論点
2 サポート・ネットワークと孤立
3 平時に何を信頼するのか?
4 災害時に何を信頼するのか?
5 ふだんのサポート・ネットワーク状況による災害時の信頼の社会的構成
第七章 限られた物資をどう配るか?──危機時の配分という課題 [有田 伸]
1「限られた物資の配分」という危機対応
2 どのように決めるべきか?
3 誰を優先すべきか?
4 危機時の配分という課題にどう取り組むか?
終章 本書が示唆するもの [玄田有史・有田 伸]
「将来に向けた防災意識・行動・価値観調査」調査票
あとがき
索引
関連情報
NEW!「危機対応学トークイベント (危機対応研究センター事業)」 (岩手県釜石市 2020年8月8日)
http://iwate-fukkou.net/topics/detail.php?id=3550
著者インタビュー:
[研究者インタビュー:玄田有史先生]「僕らができることって言うのは、今、起こっていることを将来にバトンパスする、そのために何を残せるかを考えてこういう本を作ったりしているんです」 (editage insights 2015年3月27日)
https://www.editage.jp/insights/special-interview-with-prof-yuji-genda-the-professor-of-the-university-of-tokyo
書籍紹介:
危機対応学 ―明日の災害に備えるために― 東大社研/玄田有史/有田 伸 (編) (危機対応学ホームページ)
https://web.iss.u-tokyo.ac.jp/crisis/pub/books/post-1.html
けいそうビブリオフィル あとがきたちよみ (勁草書房編集部ホームページ 2018年10月5日)
https://keisobiblio.com/2018/10/05/atogakitachiyomi_kikitaiougaku/
鈴木恭子「書籍が刊行されました」 (仕事と働き方の研究プロジェクトホームページ 2018年10月1日)
https://works-and-styles.net/2018/10/01/188/