本書『よくわかる言語学』は言語学関係の諸分野(言語学、日本語学、英語学、日本語教育など)を専攻する大学生、あるいは言語学に関心を持つ他分野の研究者や一般読者に、言語学・言語研究のおもしろさと言葉の不思議さを伝えることを目指している言語学の入門書です。
執筆を担当したのは、編者である窪薗晴夫先生をはじめ、執筆順に、高見健一、渋谷勝己、杉岡洋子、上山あゆみ、定延利之、松井智子、青木博史、広瀬友紀、小泉政利、秋田喜美、松岡和美の各先生に私、長屋尚典を加えた計13名の専門家です。カバーしている分野は、音声学・音韻論にはじまって、形態論、統語論、語用論、歴史言語学、社会言語学、心理言語学、実験言語学、言語類型論という諸分野だけでなく、機能文法や生成文法、認知言語学などの言語理論、オノマトペ、手話言語などの近年重要になっているテーマも含まれています。
言語学の入門書という位置づけですが、巷にたくさんある言語学の入門書とは少し違って、それぞれの分野でおもしろいところをまとめているという点が特徴的です。各執筆者が、自分がおもしろいと思っていることを、そのおもしろさが読者に通じるようにわかりやすく書くという方針のもと、各分野で重要なトピックについて、疑問に答える形で見開き2ページで解説しています。言語学の入門書というよりも言語学のおもしろいトピックの入門書というべきかもしれません。大学などで言語学概論などの講義を受けると、言語学の各分野の知識をまんべんなく勉強することはできても、各分野の専門家が重要だと考えているトピックが具体的にどういうものなのかについては必ずしも触れられません。そこに本書は答えます。
この本の中で私は言語類型論と呼ばれる分野を担当しました。言語類型論は、世界の諸言語を比較し、その共通点と相違点を調べ、人間言語に共通の性質である言語普遍性を明らかにする学問分野です。本書では、言語類型論の基礎となる言語類型が、語族 (共通の祖先に遡ることのできる言語群) や文字の系列などとどのように違うのかという点を確認した上で、世界の言語の特徴についての一般化である言語普遍性を解説しました。その上で、言語類型論において最も古典的かつ重要なテーマである語順類型論、アラインメントの類型論について考え、さらに、近年、言語と認知、文化との関係をめぐって注目を集めている意味類型論についても紹介しました。世界には、日本語を話す我々にとっては自然な「右」や「左」といった概念を表現する語を持たない言語があることに触れました。
最後に、この本のおすすめの使い方を紹介したいと思います。本書は言語学の入門書ではあるものの、必ずしも各分野で必要な知識を網羅的に解説したものではありません。そういう目的のためには言語学概論などの基本科目を大学等で受講するのがよいでしょう。本書が入門書としての真価を発揮するのはむしろそのあとです。入門講義を受けたり入門書を読んだりしても、それが実際どのように日常の言葉に関する疑問や研究テーマと結びついているのかは、ほとんどの場合、明らかではありません。そんなときに本書を読んで、言語学の基礎的知識とおもしろさの間のギャップを具体的で身近な研究トピックの解説を通じて埋めていってください。特に、言語学で卒業論文を書こうとする学部生が論文のテーマ探しに使用したり、修士課程や博士課程の学生が新しいテーマで研究を始める際のヒント探しに使用したりするのがお勧めです。東京大学文学部言語学研究室における私の授業でも実際そのように本書を学生たちに勧めています。みなさんも本書を通じて言語学のおもしろさを体験してみてください。
(紹介文執筆者: 人文社会系研究科・文学部 准教授 長屋 尚典 / 2021)
本の目次
序 言語学とは何か
1 言語研究の諸分野
2 音声と形態
3 文法と意味
4 言語研究の多様なアプローチ
5 言語研究の新しい視点
第I部 音声と形態
1 音声・音韻
1 母音と子音
2 母音の有標性
3 音声素性と母音融合
4 子音の発音
5 子音の有標性
6 音素と異音
7 連濁とライマンの法則
8 連濁と形態音素交替
9 モーラの役割
10 音節構造(日本語)
11 音節構造(英語)
12 語の韻律構造
13 アクセントの類型
14 アクセントの規則
15 音韻構造と統語・意味構造
16 リズム
2 形態論・語形成
1 複雑語のまとまり
2 複雑語の構造
3 語形成の生産性と心内辞書
4 規則活用と不規則活用
5 新しい動詞の作られ方
6 複合名詞の意味
7 動詞由来複合語
8 派生名詞の多義
9 語のまとまりを超える語形成
第II部 文法と意味
3 機能文法
1 語彙的使役と迂言的使役
2 「~ている」構文
3 「~てある」構文
4 「ろくな…ない」構文
5 「VかけのN」構文
6 日英語の談話省略と情報の新旧
7 英語の命令文
8 相互動詞と受身文
9 anyの使い方
10 構成素否定と文否定
4 生成文法
1 統語論とは何か
2 文の構造
3 文の構造と「移動」
4 移動の制約
5 繰り上げ構文
6 繰り上げ構文とコントロール構文
5 認知言語学・日本語文法
1 全称量化と存在量化
2 世界のデフォルト状態
3 事物のカテゴリ化
4 文法化
5 デキゴト表現
6 きもちの文法
7 体験と知識
8 並列標識の偏った現れ
6 語用論
1 ことばの意味と話し手の意味
2 コミュニケーションのスタート地点
3 文脈によることばの意味調整
4 ことばのウラを読む
5 発話解釈は選択的投資
6 発話解釈の鍵は関連性
7 世間話の意味
8 心の理論と語用論
9 語用障害
第III部 言語研究の多様なアプローチ
7 歴史言語学
1 動詞の活用
2 動詞の複合
3 主格助詞「が」
4 使役文
5 丁寧語
8 方言・社会言語学
1 地域方言
2 社会方言
3 言語接触
4 スタイル
5 インターアクション
9 心理言語学
1 音素の特定・モーラの切り出し
2 多義性とガーデンパス
3 文法の個別性と文処理装置の普遍性
4 文処理で使われる情報いろいろ
5 音のきまりの獲得
6 語の獲得
7 文法の獲得
8 第二言語の獲得
10 実験言語学
1 実験言語学とは何か
2 痕跡位置におけるプライミング効果
3 文脈と語順
4 役割語の脳内処理
5 ブロッキング
第IV部 言語研究の新しい視点
11 言語類型論
1 語族・類型・文字
2 言語普遍性
3 語順類型論
4 アラインメント
5 意味類型論
12 オノマトペ
1 世界のオノマトペの分布
2 音象徴
3 形態の類像性
4 オノマトペと「と」の分布
5 言語のオノマトペ起源説
13 手話言語
1 手話単語の音韻パラメータ
2 NM(非手指)表現
3 手話のモダリティ表現
4 手話のバリエーション
5 手話の発達・習得
さくいん