平成21年度入学式(学部)祝辞

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式辞・告辞集  平成21年度入学式(学部)祝辞

平成21年度入学式(学部)祝辞

平成21年(2009年)4月13日
南 部 陽一郎
2008年 ノーベル物理学賞受賞
1942年 東京帝国大学理学部物理学科卒業
1958年 シカゴ大学教授
現在 シカゴ大学エンリコ・フェルミ研究所名誉教授

 私は72年前に駒場に入学した古い人です。日本を離れてからも57年になります。私の時代と現在とではあまりに事情が変わっており、皆さんは比較にならないほど幸福な環境に恵まれています。しかし新入生やその父兄の皆さんに私の経験と信念をご紹介するのも無意義ではないと思います。
 私は東京で生まれましたが、育ったのは父の故郷であった福井市です。父は仏壇屋の長男として家業を継ぐべきはずだったのですが文学を志し、東京に出てきました。しかし関東大震災にあってやむなく故郷に戻り、高校の先生として一生を終えました。小説を書くのが念願であった父はよく私にこう言いました。お前はまず人間として立派な人格者にならなければいけない。偏屈な専門家になってはいけないと。

 私の時代には駒場キャンパスは一高と呼ばれ、東大とは独立の3年制度のカレッジでした。1学年に文科と理科とをあわせて300人、全寮制度をとって学生の自治をモットーとし、キャンパスには一般人は父兄でも誰でも、一年に一回の記念祭の日以外は入れてもらえませんでした。

 私が一高で過ごした3年間は私の生涯でもっとも楽しかった時代だと今でも思っています。私が一高生活で経験した貴重なものは何かというと、まず共同生活です。軍国主義時代の田舎で育った私には大都会の生活はすべて珍しいことばかりでした。友人に誘われて初めて喫茶店というものに入ったとき、女の子がコーヒーの飲み方を教えてくれたのが忘れられません。
 われわれは一部屋に8人ほど、始めは文科も理科も一緒に入れられ、夜は寝台をならべて一晩中語りあかす。勉強よりもまず自分とは何か、という問題を解決するのが先決でした。
 読書のほうでは、倉田百三の「出家とその弟子」、漱石の小説、ドイツ哲学などがその頃の流行で、私はWindelbandの哲学入門を岩波文庫で真っ先に読みました。 学科のほうでも、先生たちの講義よりも、友人たちから学んだことのほうが貴重だったと思います。すでに物理学をよく知っている友人が数人いて、私は彼らが問題を出し合って議論しているのをそばで聞いていて、物理の考え方をだんだん会得しました。

 ことわっておきますが、その頃大学に進めるような人はいわゆるエリート族でした。エリートという言葉は今は禁物かもしれません。
 しかし東大に入るあなた方は誇りをもっていいはずです。ただ昔は今と比べて学ぶべきインフォーメイションの量は非常に少なかった。卒業すればまず職は保障されているから、心の余裕があったのは事実です。私はひと月さぼってTolstoyの「戦争と平和」を読んだ覚えがあります。大学をいったん卒業してから、もう一度一高に入りなおして寮生活を楽しむ者もいました。 アメリカのカレッジも、いわゆるliberal education、すなわち社会に出てからでは暇がなくて学べないようなことを一般教養として身に付けるのが主な目的であるべきは現在にも当てはまるでしょう。

 私がいままで感じてきたことですが、学校の成績と社会に出てからの成功度とは別物であると思います。勿論学業の成績は就職のために重要であり、知識の習得は自分のためであることは明らかです。しかし社会人として成功するためには成績では測れない個人的要素が大きな役割を果たしています。また、社会的成功のいかんにかかわらず、私の父が言ったように人間として立派な人、他人に尊敬され愛される人であることは、本人の価値を高めるものであると信じます。もう一つ言いたいのは人間の個性について。今日の日本の繁栄は教育のレベルが一様に高く、粒がそろっていることによることが大きい。しかし人はボルトやナットのような規格品であってはつまらない。自分は何か他人と違ったところをもっていることを自負し、お互いにそれを評価せねばなりません。これは専門の分野に入ったあとでも当てはまることだと思います。

 私の時代に欠けていたものは勿論たくさんあります。有名な寮歌「ああ玉杯」の中にあるように
「治安の夢にふけりたる栄華の巷低く見て」
 一般社会とも隔絶し、むしろそれを誇りとしていました。これは絶対に良いことではない。社会的意識をもつことが大切なことはお分かりだと思います。
 それでは皆さん、ようこそ!

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