平成29年度東京大学学部入学式 総長式辞

| 式辞・告辞集インデックスへ |
 

式辞・告辞集 平成29年度東京大学学部入学式 総長式辞

 

新入生の皆さん、ご入学おめでとうございます。東京大学の教職員を代表して、心よりお祝いを申し上げます。ご列席のご家族の皆様方にも、心からお慶び申し上げます。本日、入学された皆さんは3,120名です。
 

皆さんが入学された東京大学は、明治10年、1877年に創設されました。その源流は江戸時代にさかのぼります。本日4月12日に140周年を迎えました。第二次世界大戦の終戦をはさんで前後ほぼ70年ですが、皆さんは、東京大学の第三の70年に向け、その栄えある第一期生となったのです。

 

東京大学のはじめの70年は、明治の新たな開国の時代に、国際社会で認められるために近代国家としての形を整え、それを担う人材を育成することが急務でした。そのために西洋の学問を旺盛に取り入れ、その中で東洋と西洋の異なる学問を融合し新たな学問を創り出すという東京大学の伝統が築かれました。しかしその後、日本は敗戦という大きな蹉跌を経験します。

第二の70年は、そこからの復興から始まりました。20世紀後半は科学技術の革新を牽引力とし、工業化が進み、世界経済は飛躍的に拡大しました。その中で日本は高度経済成長を達成し、世界有数の先進国としての地位と平和な社会を獲得しました。ここでも東京大学は、最先端の学術研究を学んだ人材を社会に送り出し、大きな役割を果たしてきました。

 

しかし、この70年がずっと穏やかだったというわけではありません。特に2011年3月の東日本大震災は忘れられません。昨年は、熊本県と大分県でも大きな地震が発生しました。先月11日に岩手県の大槌町で行われた津波被害の慰霊祭に私も出席致しました。現地では復興に向けた懸命な活動が今も続いています。6年を経てもまだ道のりは長く、知恵と忍耐がいっそう必要です。これらの災害で犠牲となった方々に改めて哀悼の意を捧げるとともに、東京大学が続けてきた復興支援の輪に、皆さんにも是非加わってもらいたいと思います。

 

さて皆さんが受験の準備で忙しかった昨年2016年は、世界の大きなうねりを感じる年でもありました。世界的な金融不安に始まり、世界各地での大規模テロ、イギリスの国民投票におけるEU離脱の決定、アメリカの大統領選挙とその波紋など、混迷は深まるばかりです。世界の調和的発展を脅かしかねない事態に対する不安と緊張がいっそう高まっています。人類が創り上げてきた、民主主義や資本主義といった社会・経済の基本的な仕組みそのものを、今後どのように調整していくべきかが問われています。

私が何よりも心配なのは、これらの事象の背景で、人間の知性の力に絶望し、知を否定するような動きが目立ってきていることです。

科学技術の革新は、SNSなど、旧来の新聞や電波による放送とは異なった、情報拡散の新たな手段を生みだしました。この新しい情報メディアは個々の人々の生活スタイルだけでなく、事実や真実をめぐる人々の感覚やその共有の仕方をも変貌させつつあります。事実にもとづく反論や丹念な論証よりも、感情に訴える一方的な断定が大きなうねりとなり、偽りの共感を生みだしてしまうのです。このような事態を指して、「ポストトゥルース」の時代の到来を論ずる人もいます。新聞や放送といった既存のメディアを担ってきたプロのジャーナリストすら、新たな情報環境の影響から逃れることは難しそうです。新しい情報通信の環境を私達が人類社会をより良くするためにポジティブに活用できるのか、それとも制御ができず自滅してしまうのか、その分水嶺に立たされているのです。

 

ここで皆さんにまずお伝えしたいことは、「言葉を大切にしよう」ということです。私たち人間は言葉によって世界を知り、言葉によって世界を新しいものへと変えていくのです。言葉は人間の「考える」という知的な探究の作業の支えです。そして、その成果を時を超えて伝え、他者と分かちあってきた媒体であり、新たな社会と未来を創る糧でもあります。だからこそ、情報の海に溺れて飲み込まれてしまうのではなく、知に裏打ちされた言葉を自ら鍛えあげ、新しい推進力や想像力を生み出していく必要があります。しかし今、普遍性を備えた確かな知に裏打ちされた言葉をしっかりと見極めることがおろそかにされてしまっています。他者の立場をよく理解しよく考えた上で心のこもった言葉を使うという行為が、ないがしろにされているように思われます。

今こそ、知のもつ力を強く信じ、他者を尊重し、丁寧に言葉を吟味し、冷静な対話を通じて、確かな共感、すなわち「知に支えられた真の共感」を作りあげ、広げていく努力を惜しんではならないのです。大学はその中心となるべきであり、皆さんは私達と共に、その活動を支える仲間になったのです。

 

今お話したような社会的な事象や我々の日常と比べて、「自然」というものの時間や空間のスケールの広がりは、桁違いです。しかし、たとえば地球についても、無限に大きく盤石で不変のものでないことを強く意識すべき状況にあるのです。環境破壊、地域間格差、宗教対立の深刻化など、人類全体の持続を脅かす課題は、ますます複雑さと深刻さを増しています。人口が増え、科学技術が人間の力を拡大するなかで、地球という空間が限界を有する環境であることを認識せざるを得なくなっています。

このように有限化した地球、すなわち「小さくなった地球」、において、個々の人々は自由で活発に活動しながらも全体として調和のとれた発展を実現するにはどうすべきなのでしょうか。その答えは決して、世界全体を一つの価値観で塗りつぶす均質化ではないはずです。個々の多様な文化や伝統を大切にしつつ、むしろその多様性こそが、全体を強靱にする原理として活用されるべきなのです。このような発展に向け、個人や組織がとるべき行動のガイドとして、国際連合は2015年に17の目標からなる「持続可能な開発目標=SDGs、sustainable development goals」を定めました。これは、世界の公共性に奉仕するという東京大学の精神に合致しています。そこで、この目標を活用し、行動に繋げたいと考えています。

 

ここで、地球という環境の有限性に関連して、皆さんにも身近な「水」について、お話ししたいと思います。水は人間を含め、あらゆる生命を育み支える、かけがえないものです。一方で水害や津波などの災害をもたらす脅威ともなります。水をいかに制御し利用するかは、社会や経済の発展にとって不可欠なのです。

 

私は子供の頃、多摩川のすぐ近くで育ち、水遊びや釣りをおおいに楽しみました。しかし、当時、既に生活排水などで川の汚染がすすんでおり、「どぶ」のような匂いや洗剤の泡が舞っていたことを思い出します。その後、河原を歩くこともなくなり、すっかり遠ざかっていたのですが、最近ある雑誌の表紙に、鮎が川面から飛び跳ねている写真があり、それが多摩川だと知って大変驚きました。その雑誌には、近隣の小学生達が川に入って行う体験学習についても紹介されていました。子供達が川で泳げるほど水質が劇的に改善していたのです。そこで、少し多摩川について調べてみることにしました。すると、そこには「水」を意味づけ利用する人間社会の様々な物語があったのです。

かつての多摩川の清らかな流れは、万葉集の東歌(あずまうた)にも詠まれています。近世になって、農業用に本流からも支流からもおびただしい数の用水路が引かれ、水を産業の資源として利用するためのインフラの整備が進みました。17世紀の中ごろには玉川上水が開通し、江戸の中心部の飲み水も支えることになります。資源としての水は「用水」あるいは「上水」と呼ばれて利用されていきます。皆さんが学ぶ駒場キャンパスは、明治時代には農学校があり、その水田にも上水が引かれていました。余談ですが、忠犬ハチ公の飼い主としても有名な上野英三郎先生は、当時、農科大学の教授で、この用水の農業利用について研究をされていたのです。

 

高度経済成長期になると、多摩川には、開発された周辺部の宅地などから汚水が流れ込むこととなります。経済成長の中で利用する資源としての水だけに目が向き、利用した後の「下水」の後始末には思いが至らず、水質は極端に悪化していったのです。私が中学生だった1970年代には、それが社会問題となり、地域の人々が水質改善のために立ち上がりました。そこで下水・排水に対する取り組みが始まり、上水と下水、用水と排水とに切り離されてしまっていた水が、またひとつながりの存在として認識されるようになりました。そしてその結果、魚が戻り、子供達が親しめる場として多摩川は見事に甦ったのです。

 

現在、社会はかつてないスピードで発展していますが、地球上の資源は有限であり、野放図で無自覚な開発は永続しません。多摩川の例では、幸い回復させることができましたが、元に戻せない不可逆なダメージを地球に与えてしまうこともあります。そのようなことを防ぐために、意思決定をどのように行っていくのか、次世代の社会システムをどう作っていくのか。多摩川の例をみても、日本には語り継ぐべき経験が数多くあります。それを学問として普遍化し、世界にしっかり伝えていくことは、私達の重要な責務です。

 

東京大学が掲げる教育理念は「世界的視野をもった市民的エリート」の養成です。知をもって人類社会をより良くするために主体的に行動し、新たな価値創造と課題解決に挑む人材です。私は一昨年4月に総長に就任し、このような人材を「知のプロフェッショナル」と表現して説明しています。本日は、昨年、ノーベル生理学・医学賞を受賞された大隅良典東京工業大学栄誉教授からご祝辞をいただきます。本年2月には東京大学でも特別栄誉教授の称号を授与させて頂きました。大隅先生は、まさに、知のプロフェッショナルのお手本と呼ぶべき先輩です。

さて、「知のプロフェッショナル」となるために、まず三つの基礎力を養ってほしいと思います。第一は「自ら原理に立ち戻って考える力」、第二は、あきらめず「忍耐強く考え続ける力」、そして第三に、「自ら新しい発想を生み出す力」です。これらをベースとして、社会に貢献するためには、様々な人々を巻き込んで実際に行動しなければなりません。そのためには、「多様性を尊重する精神」と、自分の立ち位置を見据える「自らを相対化できる広い視野」が必要です。そうした基礎力と精神と視野を身につけ、人々の間に「知に支えられた真の共感」を生みだす担い手となってほしいのです。

 

さて、これから始まる大学での生活において、これらの力を獲得するために、どんなことから始めたらよいでしょうか。皆さんにこれからの駒場の生活の中で実践してほしいことを、少し具体的に提案したいと思います。

 

私達は、大学での学びの準備として、知識の量ではなく、基本となる知識を柔軟な発想によって使いこなす力を、皆さんには鍛えておいてほしい、と考えています。入学試験ではそこを重視して出題しています。皆さんはその要求にしっかり応え、めでたく入学されたのです。

しかし、これはいわば準備体操です。これから始まる学びは、これまでの勉強とは異なります。あらかじめ答えが用意された問いに対して、その答えを言い当てるという受け身の学習だけでは足りません。もっと自由で主体的な学びに変わらなければなりません。まず早い段階で、この大学での勉強の流儀を身につけ、そしてそれを楽しんでほしいのです。

このような能動的な学びへのギアチェンジをサポートするための仕掛けも用意しています。その一つが、「初年次ゼミナール」という少人数の演習です。様々な分野の第一線で活躍する東京大学の先生方が、それぞれ工夫をこらし、大学で学ぶための基本姿勢を皆さんに直接伝えます。演習の課題には、クイズ番組のようなはっきりとした答えはないかもしれません。答えを導くために、根拠のある事実を積みあげ、厳密にまた論理的に思考を進める必要があります。どのような情報を調べるか、得た情報をどう解釈するのか、そしていくつもの情報をどのようにまとめ上げ、どう活かすのか。その取り組み方を学ぶなかで、第一の基礎力「自ら原理に立ち戻って考える力」と、第二の基礎力「忍耐強く考え続ける力」を鍛えるとはどういうことか実感し、身につけてください。

 

専門課程に進むにつれて、第三の基礎力「自ら新しい発想を生み出す力」を意識してもらいたいと思います。最後の卒業研究や卒業論文は、その力を鍛えるよい機会になるでしょう。学問において何より大事なのは、自ら問いを立て、そしてその問いを自分で解いていくことです。問いを立てるには新たな疑問が必要であり、解くためには事実に基づいて分析の論理を積み上げる姿勢が重要になってきます。

 

最終的な私たちの願いは、そのような経験を積んだ上で、皆さんが「まだ答えがない問い」を自らが作れるようになってもらうことです。「まだ答えがない問い」とはもちろん、デタラメな問いという意味ではありません。「問い」を立てるということは、自分が何を知っているのかを自分で見つめなおす、極めて知的でタフな作業なのです。そこでは、大胆かつ謙虚という、相反するような気持ちを持つことが求められます。

 

なぜそのような問いを立てる力が大切か。それは大きく変わりつつある現代の世界で生き抜くためには、まさに簡単には答えを見つけられない、まだ答えが用意されていない問題に挑戦し続けなければならないからです。現代の社会には、手に負えない難題であっても放り出すわけにはいかないもの、解決まで粘り強く取り組まなければならないことが数多くあります。答えだとされているものをあえて疑い、事実の探り方を変え、確かめ方を模索しながら、何とか前に進んでいかねばなりません。「まだ答えのない問い」と向かい合うこと、それこそがまさに学問の営みであって、これもまた大学生として知ってもらいたいことなのです。大学という場はそうしたトレーニングをする最良の場所です。

 

このようにお話しすると道のりは遠そうですが、第一歩を踏み出しさえすれば、決して難しいことではありません。最後に、その第一歩となる秘訣をお教えしておきたいと思います。

それは、教室で発言することです。質問は大いに結構。先生方は、皆さんが口を開くのを待っています。はじめはうまく発言できず尻込みしてしまうかもしれません。しかし上手にできるまでは人前でやらないというならば、いつまでも上手にはなれません。

大学の教室は、知のコミュニケーションの場です。その場に参加する醍醐味を味わってください。多様性が許され、個性が歓迎されるということを知ってください。そこが高校までとは決定的に違うところかもしれません。自分と異なった意見を知って、ハッとする体験がとても重要です。いわゆる「空気」が変わるこうした瞬間を体験することを通じて、「多様性を尊重する精神」を育んでください。この多様性こそが新たな知を生みだす原動力、すなわち東京大学の卓越性を支えているのです。

そして、この精神こそが、知に支えられた真の共感の基礎なのです。

 

大きな教室で発言することは、なかなか勇気のいることです。まずは少人数クラスで挑戦してみてください。少人数クラスとしては、初年次ゼミナール以外にも、理系学生にはALESS、文系学生にはALESAという英語学習の授業も用意されています。

 

他者を思いやり、互いを認め合いながらも、異なった意見が言えるためには、自由な場が必要です。東京大学は、キャンパスにおいて、少数派かもしれないと思う人々が堂々と発言し、行動できる、そのために必要な環境を進んで提供していきます。そしてすべての学生の皆さんが「東京大学で学んでよかった」と心から思ってもらえるように努力します。

 

皆さんが思う存分学ぶためには何よりも、皆さん自身の心身の健康が大切です。まず朝ご飯をしっかり食べ、一日の始まりの時間から有意義に使うようにして下さい。そして、自分に適した形で、運動する習慣を身につけるようにしましょう。体育実技の時間や、運動会・サークル活動も有効に活用してください。

どうか皆さんの大学生活が実りの多い時間となるように、皆さんの健康と健闘を祈っています。

 

平成29年(2017年)4月12日
東京大学総長 五神 真

カテゴリナビ
アクセス・キャンパスマップ
閉じる
柏キャンパス
閉じる
本郷キャンパス
閉じる
駒場キャンパス
閉じる