平成13年度卒業式(文系)総長告辞

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式辞・告辞集 平成13年度卒業式(文系)総長告辞

告辞

国立大学法人東京大学総長 佐々木 毅
平成15年(2003年)3月28日

 

本日ここに学士の称号を得て、卒業の時期を迎えられた皆さんに対し、心からお祝いを申し上げます。また、この日に至るまで長い間にわたって皆さんの勉学を支えてこられたご家族の方々のご労苦に対しても敬意を表する次第であります。
今日、学士の称号を得るということは「勉学の終わり」を意味するものではなくなりました。かつて学士が勉学の終わりを意味した文系においてすら、事態は急速に変化しています。理系の卒業生の多くは再び大学院において研究を続けると思いますが、文系の卒業生にしてもそのかなりの部分は将来さまざまな形で大学院での勉強の機会に接すると思います。その意味で学士の修了は「勉学の一区切り」でしかなく、更なる飛躍に向かう一つの跳躍台に過ぎません。
この観点から、この卒業を「勉学の終わり」とし、しかも、その成果をご破算にして、いわば白紙状態で新しい世界に飛び込む人生の転機と考える古い発想とははっきりと決別しなければなりません。確かに皆さんは何らかの意味で新しい世界に入ることになりますが、皆さんがこの数年にわたって本学において獲得した成果は今やあなた方自身と一体のものであり、これを粗末に扱うことは自らを粗末に扱うことであるということを肝に命じて、より充実した自らの人生を実現するための大切な礎にしていただきたい。日本のこれまでの知的生活の問題の一つは次々と学んだものを卒業していき、あらゆる状態に適応しつつも、結局自らは何者であるかについて思考する習慣を継続的に喪失してきた点にありました。こうした卒業現象は知的生活の底の浅さにつながっているわけですが、最近、財界人などの間でも哲学などの必要性を強調する意見が目立っているのは古い卒業現象型適応が一種の自家中毒現象を生みだし、自縄自縛を招いているからだと思います。ある意味で人間は自ら考える動物であり、端的に言えば自らと社会を解釈し続ける動物です。この習慣を維持することは本人にとっても、自らの属する組織にとっても、貴重なものであることを皆さんに是非とも銘記していただきたい。
ところで人生は歴史の刻印を免れることはできません。日本が高度成長を謳歌していた時代には時間は常にわれわれの味方であり、個人の能力その他を不問に付すような形でシステムが魔法のような効果を発揮しているように見えました。しかし、皆さんが物心ついて以降はシステムの機能不全が目立ち、時間は無気味なクレバスをあけてわれわれを待っているように見えてきました。相互信頼過剰と見られていた日本社会は今や相互不信増幅社会となり、他のバッシングによって自らの免罪符を手に入れようとする粗雑な議論が横行するようになりました。その典型的なものとして、日本経済の不振の最大の原因を大学の研究教育に求めるような議論があります。しかし、あたかも大学が莫大な不良債権の原因であるかのような議論は正気の議論とも思えません。また、大学から成功赫赫たるベンチャ-企業が大量に発生し、そこに日本経済の回復シナリオの一つの核心があるといった発言が新聞紙上に溢れていますが、私はこうした議論が「奇跡」頼みのものではないかということを心から恐れております。他の先進諸国と比較して日本の高等教育への投資が対GDP比で圧倒的に低いことはすでによく知られておりま
す。それは皆さんがこの数年間を過ごした施設の貧弱さに如実に現れております。こうした事実を無視し、その上極端な悲観論に基づいて勝手な大学バッシングを繰り広げることは自ら墓穴を掘るようなものです。
この過度の楽観論と過度の悲観論の振幅は日本社会に特有のものではありませんが、日本社会がこの一世紀の間に二つのシステムについてこの巨大な振幅を味わったことははっきりしています。言うまでもなく、大日本帝国システムと高度経済成長システムの二つをめぐる歴史ドラマがそれに相当します。これはわれわれのユニ-クな歴史的経験です。少なくとも、他のアジア近隣諸国にはこうした経験は皆無です。しかし、このユニ-クさを指摘して満足することがここでのテ-マではありません。
問題の核心は二つあります。第一は、何故にこのような極端な振幅が起こったのか、特に、何故にこうしたシステムの失敗が起こったのかという問題です。勿論、外部勢力の「陰謀」に全ての原因を求めようとする人々に事欠くものではありません。そこでもっと限定的にいえば、仮にわれわれのシステムに問題があったとすればそれはどこにあったのかという問いかけです。夏目漱石の『三四郎』の冒頭部分において三四郎が日本は「亡びるね」という言葉を発する人物に出会って驚愕する場面がありますが、その場面に示唆されているように問題が知的、精神的なものであればわれわれそれぞれの問題であり、特に、大学において教育に従事している者は無視するわけにはいきません。これは技術的・専門的知識の問題とは次元を異にした思考態度に関わるものであり、人間の社会生活に関わる重要問題の洞察力と解決能力に基本的な問題があったということでしょう。
第二は、この二つのシステムをかつてと同じように繰り返すことはできないし、あるいは、すべきでないという点に関わります。今から百年前に立ち戻り、ナイ-ブに自らの可能性について構想するにはわれわれは余りにも重い歴史体験を重ねてしまいました。丁度今から百年前、本学の前身の一つである第一高等学校の寮歌として有名な「嗚呼玉杯に花うけて」が発表されましたが、あそこに漂う健康なナイ-ブさをわれわれは失ってしまいました。しかし、そのことを嘆いたり、過去を「なかったことにする」のは新たな混乱と新たな失敗の原因を自ら作ることにつながるだけです。むしろ、それらを精神的な糧として将来のシステムを構想することが課題だと考えられます。次のシステムの実像はこれから刻まれ、自らの資源と制約条件の下で創造されなければなりません。しかし、兵器やモノ、カネに頼り切るよりも知恵と自発性を軸に新たな公共性を構想することを前提にするものであることは容易に想像されます。その意味でナショナリズムと経済成長という二十世紀的シナリオしか見られないこの地域において先駆的な意味を持つ試みと考えられます。皆さんの世代が見事にこの挑戦において成果をあげるよう大いに期待しております。
こうした歴史の変わり目は何時の場合にも若い世代に格好の活躍の舞台を与えてくれます。「運命の女神」は絶えず挑戦する若者の友人であるということが言われてきたのは決して偶然ではありません。そこから新しいリ-ダ-が随所に出現するはずでありますが、それへの踏みならされた平坦な道はありません。道は見通しが利かず、常に果敢な挑戦によって切り開かれるべきものとなります。また、安定したように見える組織はその安定性の故に早晩危機に見舞われるのは今や周知の事実です。どのような豪雨や洪水にもびくともしない堤防があるという前提そのものが崩れてしまいました。これは一見異常な事態のように見えますが、長い歴史からすれば成功への平坦な道があるかのように考えていた時代こそむしろ例外であったという現実を認識すべきです。
盤石な堤防がある時代は羨ましく見えるかも知れませんが、実は自由が窒息し、画一化とマニュアル化が進み、精神的には不毛な時代でありました。現在の日本の抱えている最大の問題はこのような精神的不毛が社会の仕組みに深く浸透し、身動きできない状態をもたらした点にあります。逆にいえば、皆さんはこうした自由の窒息状態を免れ、安定を少々犠牲にしてもそれを補って余りある自由な思考と自由な挑戦を享受できると思います。皆さんがアニマル・スピリッツとでもいうべきものを発揮して果敢に大きな荒波に正面から挑戦するか、それとも、粘り強く活動を続けることによって手作りの堤防と実りある自由を享受できる道を選択するのか、それは各人の選択にかかっています。しかし、「寄らば大樹の陰」とばかりにありもしない大樹を求めて空しく人生を送ることだけは考え直すべきであろうと思います。
皆さんはこの数年大学で学び、幾許かの専門的知識を身に付けたことでしょう。同時に注意すべきは専門的知識の持ち主だけで社会システムは存続できないし、健全なバランスを維持できるものではないという点です。社会が一定程度良好な状態を維持するためには人間の共存関係の質を処理していく的確な知恵と道義性を備えた人間を必ず必要とし、そのような指導者を必要とします。若し、皆さんが社会において指導的な立場を求めようとするならば、自らのそうした知的・精神的力量についての厳しいテストを覚悟し、しかも、報われないことを覚悟した上での挑戦であることを予め認識すべきでしょう。不用意にそうした立場を求めることは本人にとっても社会にとっても誠に有害無益です。この点で人間世界は今も昔も苛烈であることを忘れてはなりません。そして、どのような人間がそうした立場にふさわしいかについて常に冷静な判断力を持ち、また、自らについて自省の態度を持つことを忘れないようにしていただきたい。
東京大学は皆さんの前途への大きな期待を込めて、本日オックスフォ-ド大学のコ-リン・ル-カス総長に遙々とご列席をいただき、特別のスピ-チをお願いしております。明治の開学以来、本学の実に多くの先輩たちがオックスフォ-ド大学に憧れ、そこでの勉学や研究の機会を与えられてきたことは改めて申すまでもありません。また、東京大学はオックスフォ-ド大学の数少ない協定大学の一つとして交流をさせていただいてきております。今日ここにル-カス総長をお迎えできたことは東京大学にとって記念すべき出来事であり、非常に名誉なことであると存じております。ここにル-カス総長の東京大学に対する深いご配慮に対して心から御礼を申し上げる次第であります。ル-カス総長はフランス革命研究などの業績で広く知られ、数々の輝かしい御経歴の後、ベイリオル・カレッジの学寮長を経て一九九七年から総長職を勤めておられます。大学のあり方を含め、その御見識は多くの尊敬を集めており、私にとりましても最も尊敬に値する先達のお一人でございます。卒業生の皆さん、どうぞこの記念すべき瞬間を生涯の記憶に留めるよう、ル-カス総長のお話を聞いていただきたい。
それでは最後に、卒業生の皆さんが心身ともに健康を維持し、その人生が希望に満ち、何よりも悔いのないものとなることを心から祈念して告辞を終わることと致します。

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