平成14年度学位記授与式(博士課程)総長告辞

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式辞・告辞集 平成14年度学位記授与式(博士課程)総長告辞

告辞

国立大学法人東京大学総長 佐々木 毅
平成15年(2003年)3月28日

 

博士号を取得し、今日この式場に参列されている皆さんに対し、先ずは心からお祝いを申し上げたいと思います。博士号の取得は学歴の頂点に立つことであり、長年にわたる研鑚の道は険しいものであったと思われます。そうした勉学と研究を可能にしてくれた家族や支援者に対して、皆さんと共に感謝の気持ちを現したいと存じます。
特に、外国から東京大学に学び、博士号を取得された方々については、その尋常ならざる努力と研鑚に対し、心から敬意を表する次第です。
東京大学は今年度970名に達する博士号取得者を生み出しました。これは知の時代といわれる現代において誇るに足る数字です。その質についていえば、それが高い水準を保障したものであることは皆さんも周知の事実です。しかしながら、日本社会は相変わらず学部の卒業式には関心を向けますが、この修了式にはほとんどマスコミは関心を向けません。勿論、学部の卒業が重要な出来事であることを誰も否定するものではありませんが、それにしても昨日と今日とのこの落差は改めて考えさせられます。それというのも今や知が経済活動を初めあらゆる社会活動の鍵を握り、従って、その高い水準の持ち主の必要性と社会的価値がこれほど毎日言われているにもかかわらず、この落差は実際には何も学ぼうとしない日本社会の体質を如実に浮き彫りにしているからです。
諸外国の大学の学長達と話をすると学生数、特に、博士課程の学生数と博士課程の充実ぶり、博士号取得者の数が中心的な話題になります。そして同時に、それぞれの大学の学問的パフォーマンスがそれとなく宣伝されます。東京大学はさまざまな困難にもかかわらず、少なからぬ領域において世界に冠たる成果をあげてきたことは皆さんも周知の事実です。そして世界の大学からそれなりに高い評価を受けているわけですが、国内においてはあたかも日本の大学は全くダメであるかのような報道がなされ、あるいは、そうした固定観念が根深くあることは否定できません。これは外国から見れば自らの貴重な資源を無視する誠に奇妙な事態であり、これこそ最近流行の自虐的症候群の一つの典型でしょう。私が総長に就任した2年前は特にひどい状況にありました。私自身、言うべきことは言い、指摘すべきことは指摘してきました。その後、事態は若干変わったように見えます。それは直接的には大学についての見方が変化した結果というよりも、日本経済の苦境がますます深刻になり、活用できるものは何でも活用しなければならないという事態になったためでしょう。もっと露骨な言い方をすれば大学をスケープゴートにして責任転嫁を企てるような余裕がなくなり、大学は今度は「宝の山」だと言い始めたわけです。昨年、経済財政諮問会議と総合科学技術会議の担当大臣とメンバーがそれぞれ半日本学に滞在し、小宮山教授(前工学研究科長、四月から副学長)が中心になって推進したプロジェクトに耳を傾けましたが、これなどは変化の一つの兆候でした。また、皆さんも気付かれているように、この二年余りの間に学内に次々と新しい研究施設が建つようになりました。今の本郷構内は正に異常なほどの建設ラッシュになっています。全てのメンバーが満足する状態とは程遠いとしても、90年代前半に有馬元総長が大学貧乏物語
を説いて回ったことの成果を今ようやくわれわれは享受する段階になったのです。
これはあたかも日本の旧来のシステムが危機に陥った結果として、東京大学を初めとする国立大学が脚光を浴びるようになったということを意味します。ここには大学と社会との複雑な逆説的な関係が顔を覗かせています。つまり、日本型システムが全盛を極めていた時代は国立大学にとって決して恵まれた時代ではなく、むしろ、冷遇と不遇の時代であったということです。これは施設整備の貧困化一つ取り上げても体験的に裏付けることができます。80年代からバブルの時代にかけてわれわれの施設は狭く、汚く、古いの三拍子が揃ったものと見なされてきました。90年代に本学の施設を調査した文部省以外のメンバーを含む調査団は施設のこの放置された惨めな状態に強い衝撃を受けたということもありました。その後、幾度にもわたって国会議員が視察を繰り返しましたが、それでも事態はなかなか改善されず、一般の公共事業の評判が急落したお陰もあって、ようやく、建設ラッシュが出来することになったわけです。
このようにこの数十年、大学と日本の社会との間に幾つかのギクシャクした関係があり、そのことはこうした最近の変化にもかかわらず、皆さんの修了式に対する極端な無関心に示されているように簡単に変わるものではありません。しかし、社会の側が必要に迫られてとはいえ、大学に対する態度をそれなりに変え始めたことは一つの手がかりになります。大学としても相応の反応を示すことになりますが、究極的にはこの問題は皆さんのような博士号取得者が社会的にどの程度活動する場を与えられるか、大学における知識の発見と知見の開拓がどのように正当な評価をうけるか、にかかっています。博士号取得者が正当に評価されない限り、大学の最も基本的な活動が社会によって評価されたとはいえないからです。
勿論、先に指摘した不具合は大学のメンバーにもさまざまな影響を及ぼしました。それは大学の社会的孤立感とでもいうべきもので、社会からの孤立に自己満足を見出す傾向を助長しました。あたかも入学試験と学士卒業式以外に大学と社会との接点がないかのような感覚に甘んじる態度がそれでした。それは当然に博士号取得者にも一定の影響を与えたことでしょう。それが更に両者の不具合の再生産につながっていたわけです。その意味でわれわれの側でも見直しと再検討が必要な点が多々あることは認めなければなりません。大学と社会とのゼロサムゲームは今や不可能になり、新しいプラスサムゲームを提案すべき時期に来ております。
こうしたことを縷々述べてきた趣旨は、皆さんには従来の大学と社会との不具合な関係の犠牲者になってもらいたくない、むしろ、それを克服して新しい関係を作るような活躍をしていただきたいということにあります。このことは皆さんがこれからさまざまな職場でその実力を遺憾なく発揮し、個人的に大きな飛躍を遂げるということと無関係のことのように見えるかも知れませんが、実は密接に関連し合っていることであると思います。逆にいえば、皆さんが東京大学で会得した専門的知識を基本的な手がかりにして社会的に目覚しい活躍をするということは、私が先に指摘した大学と社会とのこれまでの不具合な関係を自らの人生を通して克服するのに貢献したということを意味します。その意味で専門的知識をますます深めるとともに、そうした専門的知識の社会的存在形態について常に配慮していただきたいというのが、私のメッセージです。
最後に、日本で活躍するにしろ、あるいは、祖国で活躍するにしろ、あるいは、外国で挑戦するにしろ、皆さんそれぞれが意義のある、そして、悔いのない人生をこれから送られるよう、東京大学を代表して心から祈念致します。ご健闘を祈ります。

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