平成14年度学位記授与式(修士課程)総長告辞

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式辞・告辞集 平成14年度学位記授与式(修士課程)総長告辞

告辞

国立大学法人東京大学総長 佐々木 毅
平成15年(2003年)3月28日

 

今日ここに修士課程を無事終えられた皆さんに対し、心からお祝いを述べたいと存じます。また、皆さんの勉学を支えてくれたご家族の方々を初めとする多くの方々に対し、敬意を表する次第です。特に、外国から来られ、見事に今日の修了式を迎えられた留学生の皆さんに対しては、より一層大きな拍手を送りたいと思います。
皆さんはこれまでさまざまな困難に遭遇したことと思いますが、それを粘り強い努力によって切り抜けてきました。皆さんの中には直ぐに社会に出る人もいるでしょうし、これから博士課程で更に研究に従事する人もいるでしょう。あるいは、祖国に帰り、祖国の発展のために働く人もいることでしょう。それぞれの将来計画の実現に向け、勇往邁進することと信じています。その際、この修士課程での研鑚の成果を充分に生かし、人生の新しい段階を切り開くよう一層の奮励努力を祈って止みません。
皆さん一人一人の人生をどう計画するかという問題と無関係でないもう一つの課題について、この機会に問題提起をしてみたいと思います。皆さんは修士課程において専門的知識に接し、少なくともある部分については自信をもって語れるだけのものを身につけたと思います。さてそうした大学で修得した知識はどれだけ通用力のあるものとして社会で受け入れられ、それなりの敬意をもって耳を傾けられるでしょうか。言うまでもなく、あらゆる知識の社会的通用力には大きな違いがあります。極端なことを考えると、ある知識は研究室で産声をあげたばかりでその中でしか通用しない場合があるだろうし、ある知識は大学の内外を通して広く共有されている場合が考えられます。勿論、中間形態はいろいろ想定できます。ここで私が特に言及したいのは、大学の中では常識に属することが社会では必ずしもそうではなく、両者の間に越えがたい亀裂があるという現象
です。
これは大学が常に新しい知識と知見の開発に意欲を燃やす独特の社会組織であるということから不可避的に出てくる現象であるということもできましょう。確かに、社会の側が大学から出てくる知識や知見を直ちに受け入れなければならないという道理はありません。しかし、両者の間に余りに大きな垣根があり、大学内の知識は学界を含めた大学の内部に止まらざるを得ないことも考えられます。特に、さまざまな知識から生み出される社会的処方箋といった問題になれば、この垣根は相当に大きなものになります。それは専門的知識の意味とそれを担う人々に難しい課題を突きつけることになります。それは社会が知識というものをどう位置付けるか、どう取り扱うかという根本問題と通じています。
かつて日本ではこの問題に独特な形で対処してきたように見えます。それは特定の組織への全面的忠誠を終身雇用と結びつけて調達し、大学で学んだことを多かれ少なかれ括弧に入れて専ら組織人として生活するように仕向けるという方法でした。こうした仕組みにおいてはなまじ専門的知識を持っている学生よりも「白紙」の学生が重宝がられ、社会科学系に典型的に見られるように修士課程を修了した学生よりも学部卒業生が好まれました。社会科学系の大学院がほとんど研究者養成機関としてのみ存在し、社会との隔離の中で存続してきたように見えるのは皮肉なことです。理系に見られた博士号をとった者よりも修士課程修了者を好むという傾向もその一変形のように見えます。この仕組みは知識の面でも大学を余り当てにしないという社会の側のメッセージを含んでいます。
ところが皮肉なことに、これら「白紙」の学生達が企業その他の支援を受けて外国で勉強するようになると彼らは専門的知識の担い手となり、その結果、彼らはかつて支援を受けた企業を去り、新天地を求めることも決して稀ではありませんでした。これは若手キャリア官僚にまで及んでいる現象であることは周知の事実です。ここに古い仕組みと専門的知識及びその担い手との不幸な問題的な関係が示唆されています。現在はこうした古い抱え込み型の仕組みが経済の低迷を受けて急速に崩れ、今や「白紙」状態の学生を求める経営者はなくなりました。それに呼応する形で専門的知識は今や邪魔になるものではなくアセットになりつつあります。昨今の専門職大学院の創設、特に、法科大学院の創設は個人と組織との従来の関係を決定的に変える可能性を秘めています。
しかしながら、現在の状態はいわば混沌状態であり、専門的知識が従来よりも社会において有効に生かされ、専門家たちがその良心に恥じることなく仕事ができるような環境が充分に整っているわけではありません。それは今後の努力によって闘いとられなければならないものであると認識すべきです。それは社会的な影響力をめぐる争いである以上、権力をめぐる抗争の一種であることを免れません。そのことを念頭に粘り強く奮闘していただきたい。皆さんのうち、祖国に帰る人にとってもそれぞれの社会にこうした課題があるものと思いますので、是非とも一度検討してみていただきたい。
言うまでもなく、このテーマは皆さんがこれまで身につけた専門的知識を生かして人生を送っていこうという立場に立つ限り、避けて通れないものです。それはまた、日本社会をもっと透明性の高い、より合理的な社会にしていくためにも乗り越えなければならない課題です。その意味では社会的な大義にかなうものであるといえます。世界中どこにおいても、社会はますます専門的知識に大きく依存するものに変わりつつあるという認識が広がっています。社会が大学を当てにしないという体質にとってこのことは大きな試練であり、表向きのレトリックと実際に行なっていることとの間に齟齬があるように、なかなか混沌状態を抜け出せないという当然の結果に陥っています。
近年、あらゆる面での知識の社会的機能の重要性が強調されるようになったということは、本来、大学にとって非常な追い風となるはずです。このことは大学をめぐる報道の急増振りにはっきりと現れています。しかし、社会と大学との間にはこれまで幾多の歴史的な行きがかりがあり、それを修正するには相当のエネルギーが求められます。実際、東京大学のメンバーからなされる先端的研究に基づくさまざまな提案も現実には厚い壁にぶつかることが珍しくありません。かくして、日本の仕組みは社会の利益と個人の幸福のために本当に機能しているのだろうかという疑問が学内からも上がっています。このように先に提案した課題は現実には厄介な抵抗勢力との対決を沢山抱えているのです。
言うまでもなく、この問題がどのような趨勢を辿るかは大学の基盤と将来にとって非常に重要なことであります。東京大学でなお研究を続ける皆さんとは勿論のこと、今日で東京大学と別れる皆さんとも協力し、社会における専門的知識の正当な地位の確立のために一緒に努力しようではありませんか。東京大学はあらゆる意味でこうした皆さんの活動の重要な支援者として、あるいはその震源地としてあり続けたいと願っています。
最後に、皆さん一人一人の将来が幸運に恵まれ、それぞれに悔いの残らない人生であったという総括ができるような人生を送られることを心から祈念し、私のお別れの言葉と致します。

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